タイトル 地底旅団ROVER元老院第420回CAVING
サブタイトル ヤマビルがいないうちにサックっと降りよう その1 in 栃木市・満願寺北の竪穴
分 類 合同・ファンケイビング
入洞洞窟 満願寺北の竪穴(デデンボーの穴、デデンボウの穴)、不動霊窟(不動尊の霊窟)
日 程 2025年3月1日(土)〜2日(日)
参加者 千葉、細野、山口真也(東山ケイビングクラブ) 以上3名
観音入林道2024年10月に開催された日本洞窟学会大会第50回大会(佐野市葛生大会)及び6〜9月プレ活動(地R元第410回CAVING第411回第412回第413回)では、其処等中から湧き出るヤマビルに献血協力をする結果となった。これ以上、ヤマビルに栄養補給をさせないためにも活動停滞する冬季に、葛生石灰岩地域の竪穴「満願寺北の竪穴」「高実子の竪穴」への入洞を行うことを目的として企画された。
第1弾は「満願寺北の竪穴」のGPS測定、ゲレンデ整備、洞内生物調査、化石予備調査を目的として計画された。 この竪穴には28年前後、誰も入洞していないはずである。


1日16:45、山口が代車:エルグランドで細野宅にお迎え。荷物を積んで出発。

17:10、千葉宅に到着。アンカーやハンガー、ハンマードリル、ロープ等々、必要な団装を確認しながら準備。千葉の個人装備とともに車に積み込み出発。
中央自動車道・国立府中ICより乗り、八王子JCTから首都圏中央連絡自動車道を経由し、東北自動車道を北上。佐野SAスマートICより降りる。

19:10、宿泊場所のホテル「仙水閣」に到着してチェックイン。千葉・細野は日本洞窟学会大会第50回大会(佐野市葛生大会)の時に宿泊したホテル。半年も経たずにまた宿泊するとは思ってもいなかった。
フロントでのじゃんけんの結果、1人部屋は山口。千葉・細野は相部屋。

19:35、夕食のため、ホテルより徒歩5分ほどの居酒屋すじいちに移動。牛すじモツ煮込み、茄子麻婆、すじいちの鶏の唐揚げ、大根サラダ、塩もつ鍋をつまみながらビール。
洞窟活動のこと、率先して学生を不法入洞させている還暦ケイバーのこと、子供のこと、年収など、何気ない話で盛り上がる。

21:30、居酒屋を退店。セブンイレブン 佐野奈良渕店にて、つまみとビールを購入してからホテルに戻る。
各自シャワーを浴びてから、千葉・細野の部屋にて部屋飲み。山口は時々寝落ち。

23:30、山口が自分の部屋に戻った時点で消灯。
2日6:10、順次起床。

6:30、1階ラウンジにて朝食。限定プリンが美味しい。千葉は食べ過ぎる。

7:30、仙水閣を出発。再びセブンイレブン 佐野奈良渕店にて行動食を購入。

8:40、出流山満願寺に到着。
寺務所に行くと誰もいない。千葉が大御堂(本堂)にいるかなと言いながら向かうと僧侶を発見。世間話をしながら寺務所に戻り、手土産を渡しながら改めて活動内容を伝える。
駐車場トイレに寄ってから現地に移動。

9:00、観音入林道の通行止め地点に車両を停車。 活動準備。千葉はコンタクトを忘れたことが発覚。

9:30、徒歩アプローチ開始。朽ち果てた案内板の脇から千部ヶ岳遊歩道(登山道)を山頂に向かう。
報告書「Caving Reports 1997」の洞窟プロット位置に到着。洞口は見当たらないが、付近には山頂へと伸びる石灰岩露岩帯が確認できる。
プロット位置が露岩より西側であったため、まずはそちらを重点的に散策するが発見できず。アプローチ記載には「林道から直線距離にして50Mほど離れた山中にある」とあるため、露岩の東側に加え、露岩の下側(観音入林道から50m)も分かれて散策。

11:30、山口が倒木が詰まっている洞口を発見。正解は洞窟プロット図よりも東南東に約90m、露岩の東側であった。アプローチ記載にあった林道とは登山道のことだったらしい。本記載には千部ヶ岳遊歩道(登山道)を山道、林道と2通りで表現。改めて正しく記載し、表記揺れを無くすことが重要だと認識。
比較的近くにいた細野は山口のコールが聞こえたため合流。千葉はだいぶ離れてしまっていた(露岩下側)ようだったので携帯電話で発見の連絡、現地への誘導はホイッスル。周辺の山々に音が跳ね返り、なかなか位置が掴めないようだ。
入山してから発見まで2時間かかってしまった。

11:50、山口がリギング開始。洞口を含め、付近にアンカーを打った形跡はない。ドリーネ状の洞口付近の立ち木と露岩にバックアップを取る。
千葉がやっと合流。ジオグラフィカで位置を記録。

12:20、ピッチヘッド工作のためにハンマードリルで穴を空けようとしたところ、ビットの先端が欠けて使い物にならなくなってしまう。手打ちは効率悪いので、車両まで取りに行くことになる。誰が取りに行くかジャンケン。山口が取りに行くことになる。
その間に少しでも前進するため、千葉が手打ちでリギング。−20m地点まで下降するが、最低限のリギング装備しか持っていないので、竪穴部途中の洞壁にアンカーを打って待機場所を確保。

13:30、山口が戻ってきたところで細野が入洞。千葉が手打ちでリギング完了していると思い込み、ハンマードリルを持ち込まずに下降してしまった。
千葉をそのまま洞壁に残し、とりあえず残りのロープでテラス(−30m地点)まで降りる。所々でロープが洞壁に当っており、完全にアメリカンスタイルとなってしまっていた。
テラス周辺を観察してから、途中で千葉よりハンマーやアンカーを受け取って登り返す。

14:00、細野が出洞。洞口で待機していた山口に状況を伝える。
細野から装備を受け取って、山口が入洞。
まずは洞壁にビレイを取りながら90分近く立っている千葉からの指示により、ディビエーションを追加する。続いて−25m地点にリビレイを設置、テラス(−30m地点)まで到達する。千葉もテラスまで降りる。
山口は引き続き最終ピッチをリギング、千葉はその間に付近を探索。小動物の獣骨を確認、洞窟棲のホタルヤスデとクモを捕獲した。
最終ピッチを降りた山口の報告を聞き、未測量部分があることがわかったが、千葉は降りずに出洞することを選択。

15:30、千葉が出洞。

15:50、山口がデリギングを行いながら出洞。
そそくさと装備をタックルバッグに詰め込み下山開始。

16:20、観音入林道に到着。千葉は「不動霊窟(不動尊の霊窟)」へ行き、砂利で埋まってしまった通路入口を再確認。
着替えをして在京へ活動終了連絡。

16:50、出流山満願寺に到着。寺務所にて活動終了と洞窟位置の報告を行う。僧侶も位置を把握していないとのこと。
まさに帰ろうとしたところ、その傍らで販売されていた洞窟絵馬を千葉が発見。日本洞窟学会大会第50回大会(佐野市葛生大会)の直後に製作、販売開始されたものらしい。1000円也。旧バージョン(2007年購入)は300円だったので約333%の値上げだが、物価高騰の御時世なので仕方なし。千葉・山口が購入、奉納せずに持ち帰る。

17:10、出流山満願寺を出発。
細野・山口リクエストにより、夕食はご当地ラーメン「佐野ラーメン」に決定。Googleマップで高評価の店「青竹手打ちラーメン 麺屋貴」を見つけて出発。

地R元的佐野ラーメンランキング
(どのお店も美味しく僅差です)
1位 青竹手打ちらーめん 木挽亭
2位 青竹手打ちラーメン 麺や大山
3位 らーめん大金
4位 麺屋ようすけ 堀米店
18:00、お目当ての店は何故か閉まっていた。。。。途方にくれながら次の店を探そうとしていると、偶然にも青竹打ちを掲げる店が目の前に現れた。評価も悪くない。「青竹手打ちらーめん 木挽亭」に決定。
3人共にラーメン(850円)と餃子(500円)を注文。初佐野ラーメンである細野であったが、あっさりしているスープ、太さに均一性のない青竹手打ち麺もしっかり味があり、とても美味しかった。多々ある佐野ラーメン店を巡ってみても面白いと感じた。

18:30、少し北上しなければならないが、土産を購入したいということで佐野SAを目指して移動開始。

18:50、佐野SAに到着。各自、土産物を購入。細野は菓子、千葉は地場産シイタケ、佐野名物桜あんぱん(ナカダのパン)、佐野ラーメンを購入。

19:10、出発。東北自動車道を南下。久喜白岡JCTより首都圏中央連絡自動車道を経由し、中央自動車道・府中国立ICにて降りる。

20:50、千葉宅に到着。団体装備を下ろして片付け。

21:20、細野宅に到着。

22:30、山口帰宅。
満願寺北の竪穴・洞口 満願寺北の竪穴・−25m地点 満願寺北の竪穴・最終ピッチ
リギング開始 テラスに向けて下降中 最終ピッチ
満願寺北の竪穴・テラス(−30m地点) 出流山満願寺・寺務所 青竹手打ちらーめん 木挽亭
テラスにて記念撮影 リニューアル再発売となった洞窟絵馬 4回目となる佐野ラーメン


「サックっと降りよう」と銘打っていたが、洞口確認に時間を要し、サックっとはいかない活動になった。しかし、GPSによる正確な位置情報を得ることができ、報告書「Caving Reports 1997」の図面にはない未測記載部分(最深部)があることも分かった。洞内外には一切アンカーが無かったことから、立木からアメリカンスタイルでテラス(−30m地点)まで一気に降り、最終ピッチはテラスから覗き込んだだけなのであろう。データ的には総延長64.7+m、高低差38.8+mではなく、総延長約70m、高低差約40mといったところか。また、洞内生物は同報告書の記載ほどは確認はできなかった。
本活動で出流鍾乳洞群はすべて再確認できた。報告書「Caving Reports 1997」にある洞窟プロット図とのズレ、洞内外の変化、未測量部分の確認、再測量図面、と28年間で変化もあったため、「(仮)栃木県栃木市「出流鍾乳洞群」調査報告書 「Caving Reports 1997」更新版」を速やかに発行したい。 (文責 細野誠・千葉伸幸)

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