タイトル | 地底旅団ROVER元老院第385回CAVING | ||||||||||||
サブタイトル | 第4次日原地区洞窟所在地確認調査 at 奥多摩町 | ||||||||||||
分 類 | 調査ケイビング | ||||||||||||
入洞洞窟 | 御神仏の穴第1洞、御神仏の穴第2洞、日原鍾乳洞(一石山御岩屋、一石山権現)、[仮]倉沢のこうもり穴第3洞 | ||||||||||||
日 程 | 2022年4月23日(土)〜24日(日) | ||||||||||||
参加者 | 千葉の、村野て、細野、山口真也(東山ケイビングクラブ)、田中亮悟(明治大学地底研究部OB)、矢島安菜(東洋大学探検部) 以上6名 | ||||||||||||
東京都西多摩郡奥多摩町日原地区には、観光洞「日原鍾乳洞」や「日原三又洞」「ちょうちん穴」など大小81洞の洞窟が報告されている。そのうち、倉沢地区では旧観光洞「倉沢鍾乳洞」を含む32洞が報告されていたが、第1次調査(地R元第381回CAIVING)では、「倉沢無名洞」と「倉沢ねずみ穴」、「倉沢三山穴」と「林道の穴」が同一であることを確認した。 第2次調査(地R元第383回CAVING)、第3次調査(地R元第384回CAVING)では、目的とした既存洞窟へはたどり着けなかったが、「倉沢の鹿穴」を確認した。 今回は引き続き幕岩周辺の倉沢谷右岸エリア、「倉沢のたつ穴」上方の倉沢谷左岸エリアにおける既存洞窟確認を行い、今後の調査の基礎資料を作成することを目的とした。 23日14:30、JR東小金井駅にて細野・山口・田中が合流、出発。 14:45、いなげや 小平回田店に立ち寄り、生もの以外の調味料等の購入。 新青梅街道、青梅街道、吉野街道と西走する。 16:10、肉や野菜などの食材購入のためTAIRAYA 吉野店に立ち寄る。 16:30、セブンイレブン 奥多摩古里店にて村野合流。 朝食、行動食を購入後、いつものように倉沢林道入口まで2台連ねて移動し、林道入口で村野が細野車へ移乗、「倉沢鍾乳洞」付近に向けて、奥へと進む。相変わらずの悪路に細野ランクルも大揺れ。そのため細野が自分用に購入した缶ビールに荷物が当たってしまったようで、穴が開き中身が漏れてしまった。悲しい限りである。 17:30、「倉沢鍾乳洞」付近の幕営場所に到着。早速、野営の準備を始める。今回の夕食メニューは、ラムチョップをメインとしたBBQである。 準備が一段落したら、ビールを開けて恒例となった宴会予行演習を行いながら、後発隊の到着を待つ。ちなみに今回のビールは「スーパードライ 生ジョッキ缶」。巷で噂の商品のようだが、初体験の村野は無限に湧き出てくる泡に、よく考えたもんだとひとしきり感心してしまった。 19:00、後発隊(千葉・矢島)が到着。 早速、懇親の宴を始める。旅団の活動に久々の参加の田中君、初参加の矢島嬢とも楽しい語らいの時間を過ごす。山口さんが買ってきた「クレイジー岩塩」は、千葉が所望した「クレイジーソルト」とは別物だったようだが、どちらにしても旨いものは旨い。やっぱり暖かくなってきたらBBQである。肉だけでなく海鮮も堪能し、あっという間に夜が更けていく。 村野は途中でブルーシートの上で寝落ちしてしまったため、宴会がいつまでが続いていたのかよく分からないが、どうやら24:30頃にお開きになったようである。 24日8:00、起床。昨夜残った肉も焼いて食べる。朝から肉はちょっと辛い。 9:00、活動開始。今回も2班(幕岩山狩り班、倉沢谷左岸SRT班)に分かれて活動を開始する。 【幕岩山狩り班(千葉・村野・矢島)】 9:00、倉沢林道を下り、源五郎滝付近から倉沢谷右岸の沢「幕岩沢」に入る。第2次調査で入山した沢よりもやや下流であり、前回は名もないガレ沢を間違えて登ってしまったようである。 千葉・矢島は沢の本流沿いに、村野は左岸側の山腹を登っていく。標高800mを超えたあたりから、所々に小さな石灰岩の転石がみられるようになる。 10:30、村野は前方の斜面を50mほど行ったところの杉の植林の中に、中規模の露頭があることを視認。よく見ると洞口のようなものも見える。急ぎ近づいていくと、やはり洞口であった。パイオニアケイビングクラブによる測量図から「御神仏の穴第1洞」と確認できた。4回目の挑戦でようやくの確認である。 洞口近くに足跡があったので、千葉か矢島嬢が先に到着したと思っていたのだが、付近に人の気配がなく、どうやらまだ到着していないようであった。とりあえず洞内を簡単に探索する。洞床はほぼフラットで、ざっと見た感じ日原銭は見つからなかった。 出洞後しばらく洞口前で待機していたが、2人ともまだやってくる気配がないため、「御神仏の穴第2洞」を探索することにした。「第1洞」の洞口に向かって左手にある沢に向かうと、30mほど上方の露頭に洞口があることがすぐに分かった。近づくと洞口前に木の祠の残骸のようなものがあり、古くから信仰対象となっていたことがうかがわれた。 また、洞口前には1本の立派な杉の木が立っており、パイオニアケイビングクラブの報告にあった「一本杉の穴」とは、このことではないかと思った。 内部を確認し、測量図からまさしく「御神仏の穴第2洞」であることを確認した。最奥部で日原銭1枚を回収。 11:00、「御神仏の穴第1洞」の前で3人が合流。千葉は「第1洞」で保存状態の良い日原銭を1枚回収した。その後、3人で再度「第2洞」を探索。数枚の日原銭を回収した。 12:00、「第1洞」の前で昼食を取る。 12:30、活動再開。「小白竜窟」「[仮]幕岩の謎の穴」に向けて、山腹を幕岩方面へトラバースする。 30分ほどで幕岩の標高900m付近の基部に到着。事前情報では、この時期になれば基部にいても「小白竜窟」の洞口から噴き出す冷気が感じられるとのことだが、天候の影響か、あまりそのような雰囲気はない。 トラバース中に矢島嬢とはぐれてしまったため、千葉は単独で付近を探索。村野は矢島嬢の到着を待ったが、声は聞こえたものの一向にこちらに向かってくる気配がないため、こちらから探して数十m下った地点で矢島嬢と落ち合った。 結局、千葉の探索で洞口らしきものは見つかったものの、「小白竜窟」と同定できるものではなく、今回も確認できない結果となった。 13:30、「[仮]幕岩の謎の穴」に向けて出発。 実は村野は今回初めて直接「謎の穴」を見たのだが、確かに洞口のように見える。洞口下側から斜面を登るが、急すぎるし、その先にはさらに2m以上の段差がある。千葉は人工登攀を考えていたが、露岩は脆く、厄介そうと考え直す。 そこで村野の提案で、上からのアプローチを試みる。疲労困憊の矢島嬢を残し、千葉・村野は洞口に向かって右側の斜面を登って一旦尾根に出て、そこから洞口に向かって降りていく。しかし、やはり途中に深い谷が入り込んでおり、フリーでのアプローチは難しい。トラバースラインを張れば、なんとかたどり着けるかもしれない。ここから下を見ると、例の段差の先も急登となっており、下からアプローチしたとしても、洞口までたどり着くのはかなり厳しいように見える。まずは今回は撤退し、改めて戦略を練りたいと思う。 雨が降ってきたこともあり、下山することにする。 14:30、幕営地に到着。 【倉沢谷左岸SRT班(細野・山口・田中)】 10:30、リギング装備準備を行い、リギング起点へ移動し下降開始。 リギングは山口さん。第3次調査でアンカーは打ってあるためルート工作は必要なかったが、足場が良くないため少々時間がかかる。セカンド田中君はリギング確認を行いながら下降。サード細野。 11:30、第3次調査で確認した「[仮]倉沢のこうもり穴第3洞」前テラスに全員到着。細野と倉沢活動初参加の田中君が洞内確認。 12:00、各自昼食と世間話で盛り上がるが、ロープは追加持参したものの、ハンガー類を追加するのを忘れてしまった事に気づく。 12:30、細野は「[仮]倉沢のこうもり穴第3洞」の簡易図の作成。山口・田中は残っている装備でリギングを行い、できる限りの下降と周辺の確認を行う。 14:00、簡易図の作成を完了した細野と、リギングも限界を迎えた山口さんは昇り返す。デリギングは田中君。 14:30、幕営地に戻って装備の片付けを始めると幕岩山狩り班が戻ってきた。 15:00、幕営地を出発。雨は降りだしてしまっているが、まだ時間的余裕があるため、「日原神社裏の穴」の確認を行うこととした。 日原神社という神社は存在しないので、これは一石山神社のことであろう。 15:30、「日原鍾乳洞」駐車場に到着。一石山神社は、駐車場のすぐ向かいである。 東京洞穴研究会による情報では、神社の東側斜面に開口している奥行き5mほどの横穴とのことだが、神社の東側はすぐに日原街道の法面の石垣となっており、一通り確認するも、穴があるような状態ではない。 境内に移動し、神社周辺もよく確認するが、やはり穴らしきものは確認できなかった。 神社入口の石段のたもとに石仏が祀られた岩陰があったが、このことではないだろう。工事などで埋められてしまったのだろうか。 なお、この一石山神社境内には「倉沢鍾乳洞」を本宮とする倉沢大権現も遷座されており、皆で挨拶をする。 16:00、まだまだ時間もあるため「日原鍾乳洞」を観光することに。皆で観光洞ケイビングを楽しむのも久し振りで、以前はこのようなお気楽活動もあったなぁと懐かしく思う。 出洞後は千葉の案内で梵天岩、燕岩、籠岩などを見学した。 16:30、日原地区を出発。村野は離脱。 18:00、東京亭 昭島店にて活動報告をしながら夕食。 19:30、解散。 倉沢地区での洞窟確認は、右岸エリアでは4回目にしてようやく「御神仏の穴」を確認することができた。今まで散々探したエリアとは尾根一つ隔てたところであった。資料のプロットもずれていたりして、やはり正確な記録が重要であると痛感した。 左岸エリアでは装備不足などから新たな成果は得られなかったが、引き続き調査を続けていきたい。 なお、村野は帰宅後にシャワーを浴びていたら臍の近くを特大のマダニに現在進行形で咬まれていることに気付き、何をしても取れる気配がないため皮膚科の夜間診療を受診したら「ウチでは対応できない」と青梅市立総合病院の救急外来を紹介され、3人の医者に取り囲まれて珍しがられ、ようやく除去してもらうことができた。とんだ目にあってしまったものである。暖かくなってくると虫対策も十分行う必要性があると感じた。(文責 細野誠・村野哲雄)
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