タイトル 地底旅団ROVER元老院第58回CAVING
サブタイトル 奥多野かんな姫計劃・第2次中里村立処山洞穴調査
分 類 調査(測量)・探査ケイビング
入洞洞窟 立処鍾乳洞(立処鍾乳洞第1洞)、立処鍾乳洞第2洞(立処山第2洞)、立処三十路穴、[仮]立処三層洞、立処8之字穴、抜け穴(登り穴)、[仮]木古里岩熊の寝床、不二洞
日 程 2001年9月15日(土)〜16日(日)
参加者 千葉、山下、大池、宮野原、渡辺、中村允彦(明治大学地底研究部) 以上6名
古鉄橋
活動開始!
立処八之字穴
「立処8之字穴」を確認
[仮]立処三層洞
洞口高40pの新洞
「奥多野かんな姫計劃」の一環として企画された。
立処山は1980年に「明治大学地底研究部」によって洞穴探査及び測量がなされているが、地主の話によると未報告の洞穴が多数あるようなので洞穴探査・測量を行うことにした。


15日23:00、ミュージックサウルス(15日pmに行われた地元アマチュアバンド発表会)で先発入りしていた山下・大池に千葉・宮野原・中村君が合流する。
到着早々、打ち上げに招かれ、実行委員会の方々と飲むこととなった。ここでは中里村役場建設課・総務課の方々と「立処鍾乳洞」「ちゃんから穴」「抜け穴」「むじな穴」との関わり、叶山鉱山の状況などをヒアリングすることができた。また、山下・宮野原・渡辺は人妻とアドレス交換を楽しんでいた。しかし、この人妻、23歳の息子がいるようには見えない。若い・・・。

25:30、「木古里山荘」に帰還。

26:30、ブリーディング後に消灯。
16日8:00、起床。朝食。

9:00、活動開始。山下は二日酔いのため「木古里」にて待機、残り5名は立処山へ向かう。

10:00、「立処鍾乳洞」到着。千葉は1998年地R元測量のスケッチ補足、他は洞内生物採集をかねてファンケイビングを行った。

11:00、大池の案内で「立処鍾乳洞第2洞」へ向かう。巾40pの岸壁中腹テラスをアプローチしていたところ大池が滑落。5m下の立木に引っかかり、露岩を転げ落ちることは免れたが、どうやら足首を痛めたらしい(後日、靱帯損傷と診断)。このまま山狩りを続けることは不可能と判断、平原地区の下見をしていた山下を迎えに来させる手配をして大池を下山させた。

12:00、「立処鍾乳洞第2洞」を諦め、前回第49回CAVING測量した「立処8之字穴」へ向かう。ここで千葉はスケッチ補足、他はファンケイビングを行った。この洞穴洞口にはナチュラルブリッジが見られ、洞口上部は洞奥へ、下部は洞外への水流によって形成されたようである。

13:00、北東面へ移動、小穴を発見する。基線2本で済みそうなので、スケッチ千葉・コンパス中村君・メジャー宮野原の体制で測量する。発見者にちなんで「立処三十路穴」と命名する。

13:30、「[仮]立処三層洞」に到着する。これは5月に細野が発見した洞穴である。洞内確認をしてみると三層構造というよりは斜洞である。測量した際には名称を変えるべきであろう。なお、ここの洞口には魚にそっくりな残存カーテンが見られる。

14:30、立処山南東斜面に移り、再び新洞探査を行う。同時に5月雨宮が発見した「[仮]立処すりばち穴」を探すが、「抜け穴」に入ってみると、どうやらこのことである。新洞ではなかったことに落胆しながら下山開始。

15:30、活動終了となった。
「木古里」にてかなり遅めの昼食後、千葉・山下・宮野原・渡辺は観光洞「不二洞」へ向かう。目的は再測量の下見。基線の張り方を検討しながら見学をしてまわり、従業員の方に挨拶をして「木古里」へ戻った。

17:30、背中に「地底旅団」と文字をいれた野々香ちゃんと共に記念撮影してから帰京した。


立処山の洞穴は、現在13洞確認、6洞測量済みとなった。残りは順次測量していく予定である。(文責 千葉伸幸)


【2001年9月立処山滑落事故報告】
発生日時 2001年9月16日11:30頃
場 所 群馬県多野郡中里村神ヶ原・立処山(標高735m)
「立処鍾乳洞」(標高710m)から東へ延びる岸壁基部。通路幅は約40p。岸壁にはホールド箇所は少なく、足下は草により明確ではない。
事故当事者 大池香里(身長161p、山狩り経験日数約5日)
事故発生経緯 大池が5月に訪れた「立処鍾乳洞第2洞」へ案内をするため、先頭に立って岸壁基部をアプローチした。千葉が再三注意を促してはいたが、エッジ部分が崩壊、叫び声と共に滑落した。
救助状況

千葉と中村が一旦降りて、下から救助へ向かう。すると滑落現場から5m下の立木に引っかかって止まっており、これがなければ露岩を転落して大事故になっていた状況であった。
大池に聞くと、足首が痛いが動ける状態であるという。千葉と中村のサポートにより、事故発生から約20後に無事救助した。

当事者心理

滑落したところを通るときに危ないな〜と一瞬思ったが、さっきも同じようなところを通ったので大丈夫だと思い、行こうとしたら右足の部分が抜け落ち、滑落した。落ちたあとはただひたすら申し訳なく、いかにして表面的に平気だと言うことを証明するかを考えていた。他には後悔の念しか残っていなかった。

負傷状況 右足首靱帯損傷。線状の痣多数。通院1ヶ月(装具をつけて生活)。
問題点 1.活動計画での問題点
活動前日はミュージックサウルス及び打ち上げで体力を消耗しており、精神的にも十分な状態ではなかった。本人は非常にやる気があるのだが、肉体的には無理をした活動であったように思う。

2.活動中の問題点
洞口アプローチは事故当事者のみが知っていると言うことから先頭に立てたが、経験不足であるために危険回避が万全ではなかった。やはり危険個所は一定の経験を積んだ者が取るべきであったであろう。

3.救助の問題点
事故当事者は冷静であったため、特に問題はなかった。
考 察 幸運にも立木に引っかかったことにより大事には至らなかったが、洞穴探査においては洞内と同様に注意を払うことを啓蒙していくべきであろう。また、危険個所は無理をせず、通過する場合は経験者が先頭をとり、状況によってはビレイをとるべきであろう。

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