タイトル | 地底旅団ROVER元老院第49回CAVING | ||||||
サブタイトル |
奥多野かんな姫計劃・第9次奥多野ちゃんから穴調査 奥多野かんな姫計劃・第1次中里村立処山洞穴調査 |
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分 類 | 調査(測量)・探査ケイビング | ||||||
入洞洞窟 | ちゃんから穴(珍空洞・チャンカラ洞)、珍空岩第1洞、珍空岩第2洞、珍空岩第3洞、立処鍾乳洞(立処山の鍾乳洞・立処鍾乳洞第1洞)、立処鍾乳洞第2洞(立処山第2洞)、[仮]立処三層洞、立処8之字穴、[仮]立処すりばち穴、[仮]立処すりばち穴左の小穴、[仮]木古里岩風の穴、[仮]木古里岩竹の抜け穴、目玉穴、白水の滝洞窟 | ||||||
日 程 | 2001年5月12日(土)〜13日(日) | ||||||
参加者 | 千葉、細野、雨宮、小園、酒井、黒田、山下、大池、 以上8名 | ||||||
立処山は1980年に「明治大学地底研究部」によって洞穴探査及び測量がなされているが、地主の話によると未報告の洞穴が多数あるようなので洞穴探査を行うことにした。 12日13:00、細野・雨宮・山下が現地に到着する。 「木古里」に挨拶後、クライマー名「木古里岩」の洞穴確認へ向かう。現着すると、想像していたものより大きい岩壁である。探すまでもなく3洞を確認、各洞穴に入洞する。過去の測図と照会すると、1洞目は「目玉穴」、2洞目は新洞、3洞目は「抜け穴」と似ているが違うような感もある。取りあえず、「[仮]木古里岩竹の抜け穴」「[仮]木古里岩風の穴」と名付け、GPS測定をする。 15:00、「ちゃんから穴」へ移動、洞内写真撮影・マーカーの撤去・洞内清掃を行う。 17:00、活動終了。木古里山荘にて入湯、夕食、後発隊を待つ。 23:00、後発隊到着。先発隊の活動報告を受け、翌日の活動方針・班割を行う。 25:00、消灯。 13日8:30、活動を開始する。先発隊の報告によると全域携帯電話がつながるようなので、アマチュア無線機を使わずに初の携帯連絡山狩りを行うことにした。 千葉・黒田班は「ちゃんから穴」上部の洞口らしき箇所の確認を行う。下から見ると何とも怪しい。現着すると2洞確認できた。両洞とも5〜10mだったので直ちに測量・GPS測定を行う。 次に3つ目の洞口らしき箇所を確認する。下からは+3mに位置するため、岸壁上部からSRTによるアプローチを試みる。しかし、洞口付近はオーバーハング気味であったため取り付けず、入洞は出来なかったが洞口ということは確認できた。SRTよりも、脚立を持ち込んだ方が早そうである。これらの小穴は「珍空岩第1〜3洞」と命名した。しかし、約80mの高さ、白昼のSRTは怖い・・・。 細野・山下・大池班は立処山標高650m〜の山狩りを行う。 まず始めに「立処鍾乳洞」でのファンケイビングを行い、そのあと立処山に登頂する。景色を満喫してから山狩りを行う。 途中「立処山第2洞」の確認、続いて高さ40pの洞口を細野が発見、入洞すると誰も入った形跡がない。規模は50m+、洞内は3層構造となっている。概念図をスケッチ、「[仮]立処三層洞」と命名して13:30下山した。 雨宮・小園・酒井班は立処山標高550〜650mの山狩りを行う。立処山登頂後、山狩りを開始、洞口付近にナチュラルブリッジがある洞穴を確認する。入洞してみると単調であったため、GPS測定に続いて測量を行う。総延長27.3m・高低差1.6m、「[仮]立処8之字穴」と命名する(測量後確定)。PCC発見の「立処山南腹の穴」と同穴かとも思われたが、どうやら別洞のようである。 続いて2洞を確認をする。1洞は3m程度の小穴であったが、もう1洞は洞内がドリーネ状になっていた。ドリーネの底は−5m強の竪穴となっておりフリーでの入洞は不可能である。概念図スケッチ・GPS測定を行い「[仮]立処すりばち穴」と命名、14:00下山した。 14:30、木古里にてミーティングをしながら遅めの昼食を取る。 18:00、木古里ファミリーと集合写真を撮ってから撤収、途中「白水の滝洞窟」の位置を確認して入泉後に帰宅した。 1年以上行ってきた「ちゃんから穴」調査は完了した。あとは報告書を作成するだけである。また、立処山の洞穴探査を行った結果、100m以下の洞穴はまだありそうである。「明大地底研」「PCC」報告の洞穴も併せて測量していく予定である。(文責 千葉伸幸・山下勲) |
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