タイトル 地底旅団ROVER元老院第48回CAVING
サブタイトル 第35次内間木洞調査委員会プロジェクト at 山形村・内間木洞
分 類 合同・調査(測量)ケイビング
入洞洞窟 内間木洞、下の岩穴bQ(権の穴)、コウモリ穴、失水洞、新失水洞
日 程 2001年4月27日(金)〜5月6日(日)
参加者 千葉、黒田、大池、菊地敏雄、山口泰史、神原祐一郎、佐々木亮二、立花祐、松川光海(以上、東山ケイビングクラブ)、柳沢忠昭、岡本透(以上、日本洞穴学研究所)、後藤聡、木崎裕久、湊幸栄、松澤亮、冨永直樹、宮崎真紀子、村田玲奈(以上、東京スペレオクラブ)、松丸敦、小林日、小野秀一郎、村上恵理、大日野佳代子、奥野恵(以上、亀戸ケイビングクラブ)、宮崎朋彦(明治大学地底研究部)、浅井里佳(大阪市立大学探険部) 以上26名
海と陸のパイナップル
どっちが「ほや」?
稲妻洞・第1ヘアピン
埋没部をディギングして開通
風寒洞・あきらめのホール
楽しい洞内昼食(宴会?)
1995年から「東山ケイビングクラブ」を中心に行われている内間木洞調査委員会プロジェクト、今調査の日程は4月28日(土)〜5月6日(日)である。


28日10:00、先発隊(大池・奥野・宮崎)が現着する。
仮眠後に宿泊所のセッティングを行い、ミーティング後に消灯となった。
29日10:00、菊地さん(日帰り)が合宿備品を持って到着する。
備品搬入後、菊地さんの指示に従い「下の岩穴第2洞」測量を開始する。この洞穴は2000年5月(第28回CAVING)に測量を行ったが、いい加減なスケッチのために再測量することになったものである。
まず最初に上層部へ梯子をかけて支洞の有無を確認するが、残念ながら大量のグアノがあるのみであった。それから14:00まで測量を行った。

17:00、「内間木洞」ファンケイビングに行う。「稲妻洞」最奥部を目指すが、「モルタル坂」へ迷い込みルート喪失、諦めて「南洞」を楽しんだ。

20:00、出洞。
その後、夕食(きのこハンバーグ)をとって消灯した。


30日8:30、先発隊は内間木を撤収する。

16:00、村上ちゃんが単独で現着、一人寂しく後発隊を待つこととなる。


1日未明、後藤さんは単独で現着する(そのころ菊地車は高速で故障)。

10:00、千葉・黒田・宮崎君は途中、山根洞穴群「失水洞」「新失水洞」「コウモリ穴」に入洞してから現着。

11:00、菊地さん・湊さんが現着する。

13:00、岩泉村役場安家支所へケイフェスの打ち合わせに行き、その足で久慈で買い出し、入泉する。温泉で松丸さん・松澤さんが合流。

その後、夕食(砂肝炒めと珍味ほや)、ミーティング、消灯となった。そして千葉は風邪をひく・・・。
2日10:00、各班に別れて活動開始する。

後藤・村上班は「北洞」で輪投げ登攀による測量、湊・宮崎班は「風寒洞」ラダー設置を行う。

千葉・黒田・松澤班は「稲妻洞・第1ヘアピン」のディギングを行う。ここは1973年の調査では開いていたが、その後埋没、前回の2月合宿で再び一部開いているのが確認された箇所である。前後からの埋没部分を確認後、「モルタル坂」側から作業に入る。交代しながら匍匐体制で洞床を掘り、1時間後に開通した。
各班出洞して昼食後、全員で「風寒洞」測量箇所確認を行い、本日の活動は終了となった。
その後、入泉、夕食(キムチチゲとフルーツヨーグルト)、ミーティング、消灯となった。そして、8箱の加工肉が搬入されるのであった・・・。
3日未明、山口さん・木崎さん・浅井ちゃんが現着する。朝になって柳沢さん・岡本さん・久さん、残りの東京勢も現着する。

12:00、各班に別れて活動開始する。
湊・宮崎・浅井班は「風寒洞・竜宮の館」測量、菊地・木崎・冨永班は「風寒洞・あきらめのホール上層」及び「水没部」測量、千葉・松澤・黒田班は「風寒洞・あきらめのホール下層」測量を行った。
小野君ら東京勢4名は翌日の為に洞内食などを「風寒洞・死の谷」まで搬入、柳沢・岡本班は水系調査を行った。

19:00、活動終了、出洞した。

その後、入泉、神原組現着、夕食(豚汁と大学いも)、ミーティング、消灯となった。後藤さんは風邪のため撃沈、湊さんも風邪をひく・・・。
4日10:00、各班に別れて活動開始する。
千葉・湊さんは一足先に入洞、「稲妻洞・第2ヘアピン水没部」接続をさせてから「風寒洞」へ向かう。
菊地・小野・大日野班は「風寒洞・死の谷」〜「あきらめのホール」間の測量、湊・村田・宮崎班は「風寒洞・竜宮の館」の続測量、木崎・冨永・小林班は「風寒洞・あきらめのホール下層」の続測量、千葉・松澤・黒田班は「風寒洞・あきらめのホール下層」の続測量を行った。千葉と湊さんは、洞内で風邪薬をのみながらの活動であった。
山口・浅井班は「南洞・風の産道」を匍匐後進しながら測量する。ここは延々と天井高30〜40pが続く狭洞ルートである。痣だらけになりながらの20:00まで過酷な活動を行った。
久さんはドリーネ確認、神原組は地上測量を行った。

その後、入泉、夕食(超激辛カレーとロールウィンナーとマトン焼き)、ミーティング、消灯となった。後藤さんは更に風邪悪化、菊地さんと日さんも風邪をひいたようだ・・・。
5日10:00、各班に別れて活動開始する。
菊地・小野・大日野班と松澤・冨永・小林班は「風寒洞・あきらめのホール」〜「死の谷」〜「押しの一手」間の測量、山口・村田・浅井班は「稲妻洞・第1ヘアピン」と「槇島支洞」の測量を行う。

湊・宮崎班と千葉・黒田班は当初「北洞」ファンケイビングをする予定であったが、前日MTGの結果「南洞・風の産道」と「風寒洞・あきらめのホール下層」を接続する可能性が高いことが分かり、双方からアタックを開始する。

千葉・黒田班は「風寒洞」側から、砂床・天井高10pの箇所のディギングを開始する。ここは前回の2月合宿で測量したときに風が強く吹き出しており、怪しいと提言していたところである。ヘルメットを外し、ひたすら掘り進んでいく。同時に後ろから黒田が測量を行う。8m掘り進むと、やっとしゃがめる空間に出る。どうやら過去の水流痕である。さらに進むと天井高2m、8m四方の小ホールにでた。過去に入洞した形跡はなく、天井部の様子から完全水没するようである。
ここでホイッスルを鳴らし湊班との連絡を試みる。データによると10m程度しか離れていないはずである。同時刻、湊班もホイッスルを鳴らしていたようだが、残念ながら連絡は取れなかった。この小ホールからは2方向にルートが延びていたが、方向的に接続可能性大のルートは天井高10pで再びディギングしなければ進めない。体力的に厳しかったので、もう一方のルートの測量を行う。つらら石に注意しながら25mを測量、出洞することにした。

湊・宮崎班は「南洞・風の産道」出洞後、「稲妻洞・第2ヘアピン」の2ポイント再測を行い、「銀河の滝」を見学してから出洞した。

千葉・黒田・湊・宮崎は一足先に入泉、20:00内間木を撤収、盛岡名物「冷麺」を食べてから帰京となった。

残りのメンバーは出洞後、入泉、夕食(麻婆茄子)、ミーティング、消灯となった。後藤さんは日増しに弱っていった・・・。

6日、宿泊所清掃後、全員撤収。一部は仙台名物「牛タン焼き」を食べてから帰京となった。


今回で「内間木洞」測量はほぼ終了した。残すところは「下の岩穴第2洞」「水道穴」である。
「風寒洞・あきらめのホール下層」で見つけた新支洞は、砂で埋没していたことと発見者・黒田さち子にちなんで「砂沈支洞」と命名された。次回は再度ディギング、「南洞・風の産道」と接続を試みる予定である。(文責 千葉伸幸・大池香里)

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