タイトル 地底旅団ROVER元老院第28回CAVING
サブタイトル 第26次内間木洞調査委員会プロジェクト at 山形村・内間木洞
分 類 合同・調査(測量)・観光ケイビング
入洞洞穴 内間木洞(風穴、上の岩穴、上の岩屋)、下の岩穴bQ(権の穴)、水道穴、コウモリ穴、氷渡探検洞(氷渡洞)−坪沢穴、安家洞、龍泉洞、龍泉新洞(龍泉新洞科学館)
日 程 2000年5月1日(木)〜6日(火)
参加者 千葉、酒井、黒田、菊地敏雄、山口泰史、神原祐一郎、佐藤誠也、立花祐(以上、東山ケイビングクラブ)、向山満(青森県立三戸高等学校)、A氏(一戸関係者)、柳沢忠昭、岡本透(以上、日本洞穴学研究所)、木崎裕久、落合直之(以上、地下旅会)、正井和夫(JSP)、後藤聡、石川典彦(以上、江戸川ケイビングクラブ)、松丸敦、松澤亮、戸田聡、大岡素平、小林日、小野秀一郎、佐藤登、村上恵理(以上、亀戸ケイビングクラブ)、佐藤千春(パイオニアケイビングクラブ)、湊幸栄(Speleo Extremers)、宮崎哲(富士山火山洞窟研究会)、冨永直樹、清水栄治、道本武志、宮崎朋彦、山田奏、山口真也、山田優子、槙島啓子、竹内菜穂子(以上、明治大学地底研究部)、宮崎真紀子(慶應義塾大学探検部OG)、高田浩子(高知大学学術探検部)、O喜多宏水(洞窟探検隊) 以上40名
下の岩穴bQ・洞口
30m程度といわれたが・・・
内間木洞・神秘の門
「北洞」から無事帰還
プレハブ小屋
製図作業とプシュッ!
1995年から「東山ケイビングクラブ」を中心に行われている内間木洞調査委員会プロジェクト、今調査の日程は4月29日(土)〜5月7日(日)、うち2〜4日の測量調査に参加した。


2日9:00、現地到着。プレハブ小屋ではすでに9名が活動していた。

10:00、測量を開始する。千葉班はスケッチ千葉、コンパス酒井、メジャーO喜多氏。担当箇所は稲妻洞入口の支洞「左怒の小路」「(仮)覗き岩裏通路」である。

12:30、「左怒の小路」はすべて匍匐測量であったが、「(仮)覗き岩裏通路」とともに形態が単調であったため、前者18.4m、後者43.6mの合計62.0mの測量をに終了した。なお、黒田は体調不良により未入洞であった。

14:00、次の担当箇所として「下の岩穴bQ」を開始する。協議の結果、体制はスケッチO喜多氏、コンパス酒井、メジャー千葉。本洞穴はかつての信仰対象で、洞口には朽ち果てた社がある。洞内は崩落による3洞口を持つホール、そこから延びる主洞、狭洞部のバイパスルートからなる。
まずは洞口ホールや狭洞部を測量していたが、疲労により酒井のコンパス読み違いが目立ってきた。

16:30、活動を終了することにした。
入泉後、プシュッ!を開始する。毎日これが楽しいものである(製図がなかったらもっと楽しい?)。ブリーフィングでは「下の岩穴bQ」の上層部の可能性を報告し、次回は二連梯子をかけることになった。
3日10:00、測量を開始する。千葉班はスケッチ黒田、コンパス千葉、メジャー酒井。ポケットコンパスを使用、投入箇所は北洞「うらぎりのホール下層」。この日は未明よりの大雨で、測量中に滴下水が滝に変わっていき、全身濡れながらの測量となった。

17:30、レスキュータイムぎりぎりまで測量、なんとかマーカー名「マキノ37」に接続、68.5mの測量を終了した。
入泉後はまたプシュッ!である。
4日10:00、測量を開始する。千葉班はスケッチO喜多氏、コンパス宮崎哲さん、メジャー千葉の体制で「下の岩穴bQ」の続きを行うこととなった。また、黒田・酒井は先日の北洞「うらぎりのホール下層」の補足を行うために、平面スケッチ(確認)黒田、断面スケッチ後藤さん、マーカー打ち直し酒井で北洞へ向かった。
「下の岩穴bQ」では、最初に二連梯子をかけて未知なる上層部へアプローチを試みることにする。+6mの位置まで梯子をかけたが、ホールド箇所がなく、流入土で覆われていたためにそれ以上のアプローチは断念する。

その後、測量を開始しようとするが、見るとO喜多氏は手ぶらである。「スケッチ板はどうしたんですか?」と問うと、スケッチは嫌だと言い始める。「いくらも(距離の)ない穴だし、一昨日途中までやったんだから、(一昨日と)同じ体制でやりましょう。」と言っても、どうしてもスケッチはしたくないと言う。二日酔いのせいもあるようだ。なだめても聞く耳を持たず、挙げ句の果てには「誰が自分を今日のスケッチマンと決めたのだ?」とまで言いだした。これには憤慨である。宮崎さんの説得により、予定通りの体制で13:00に測量を終了した。
今まで数々のケイバーと活動を共にしてきたが、自分のわがままから入洞後に担当拒否するという人は前代未聞である。スケッチが嫌だというならば、ブリーフィングや入洞前に変更申請をすればよいだけの話である。また、2日午後に行ったスケッチも紛失、記憶によるいい加減な製図作業を行っていた。洞壁を定規で直線に描く姿には絶句である。このような態度は合同測量調査においては不愉快なだけで、所属団体活動のみでしてもらいたい。年輩ケイバーとして、知識や技術に期待していたが、単なる探険ごっこ好きの人物であった。

14:30、山口さんと「序亜の小道」の狭洞を確認しに行く。稲妻洞「お化けトンネル」は完全に水没してしまったため、バイパスルート経由で到着する。小柄な黒田が投入されたが、やはり2m弱で終わっていた。
その後「仙女のねべや」や風寒洞入口「押しの一手」、「新川洞」「南洞」を観光してから出洞した。

そして、入泉後プシュッ!
夜には明治大学地底研究部が到着、参加者全員が揃った。
5日7:30、地R元は内間木集落を出発する。
途中、「コウモリ穴」を覗いてから岩泉町の観光洞へ向かう。2日間の降雨のため「氷渡探検洞」も水没、「長慶の間」までの観光となった。次に「安家洞」へ入洞したが、やはり観光最奥部手前で水没、「龍泉洞」は閉鎖されていた。その後「龍泉新洞」を観光、ミズバショウ群落を見て、「ぴょんぴょん舎」で冷麺を食べてから帰京した。


内間木洞・北洞・廻り岩 内間木洞・北洞・廻り岩 プレハブ小屋
クラック際にポイント設置 −5mクラックのスケッチ 測量終了!おつかれ〜!(後藤氏撮影)
遠いのが難点だが、病みつきになる測量合宿であった。(文責 千葉伸幸)

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