タイトル 地底旅団ROVER元老院第400回CAVING
サブタイトル 棚澤地区入川谷洞窟調査 at 奥多摩町
分 類 調査ケイビング
入洞洞窟 金平岩の穴、速滝ノ岩屋
日 程 2023年5月21日(日)
参加者 村野、千葉の 以上2名
林道西川線 東京都西多摩郡奥多摩町棚澤地区を流れる入川(国土地理院の地形図では峰入川谷と記載)に、「金平岩(こんぴらいわ)」と呼ばれる小さな石灰岩の露岩がある。この岩は1944(昭和19)年発行の宮内敏雄著「奥多摩」に記述があり、洞窟界的には報告がないが、一種の鍾乳洞があると書かれている。2022年8月に実施された第6次日原地区洞窟所在地確認調査(地R元第388回CAVING)において、この岩に2つの洞口を持つ石灰洞の存在を確認、測量調査を行った。岩の上に小さな鉄製鳥居が見えたので、上の洞口(第2洞口)から登ろうとするも、この時は雨で滑りやすく、断念した。
本活動は、金平岩の上にあるという祠の確認、露岩の状態確認(転石か露頭か)および入川上流の速滝付近にあり、柳田國男著「後狩詞記(のちのかりことばのき)」にも記載のある「速滝ノ岩屋」の所在地確認を行うことを目的とした。


21日7:00、千葉・村野が村野宅を出発。セブンイレブン 瑞穂長岡4丁目店で昼食等の買い出しを行った後、一路奥多摩へと向かう。
青梅街道の鳩之巣橋手前で右折し、林道西川線に入る。大根ノ山ノ神を過ぎ、峰集落跡地を過ぎると、ここ1、2年で開削された高規格な林道となる。ダートながら路面状態の良い道であるが、峰集落跡地から200mほどでバリケードフェンスが設置されており、車両ではこれ以上進入できなくなる。

8:30、フェンス手前の小転回地に駐車し、準備を始める。

9:00、出発。フェンスの脇をすり抜けて工事中の林道をさらに進むと、130mほどで終点に到着。標高590m付近、ちょうどブス平(だいろ)ノ沢を渡ったところである。林道終点からは水平な山仕事道が延びており、約80mで右に入川方面へ下る踏み跡が分岐する。この道を下ると、約320mで布滝沢に掛かる布滝が正面に見えるようになり、ほどなくして入川の布滝沢出合に到着。ここから下流へ50mほど進むと金平岩に到着した。駐車地点からここまで15分あまり。前回のアプローチ所要時間の半分以下である。林道との標高差も70m程度でそれほど苦ではないし、西川線を利用して正解であった。

9:30、作業開始。まずは金平岩のサイズ等を計測し、ついで「金平岩の穴」第1洞口から入洞して岩の上の鉄鳥居に向かった。第2洞口から鳥居へのアプローチは思いのほか急傾斜で、なんとなく滑る感じで復路が思いやられるが、ここまで来たらもう行くしかない。岩角や木の根につかまりながら鳥居前に到着。岩の頂は意外に狭い。
鳥居のサイズを計測していたところ、額束の部分に何やら文字のようなものが刻まれていることに気付く。錆付いており、老眼のおじさん2人には何とも判読に手間取ったが、スマホで撮影した写真を拡大したりして、どうやら「天保三 辰六月吉日」と刻まれているらしいことを確認。天保3年といえば、西暦1832年、今から191年前のことである。190年以上も前に、同じようにこの穴をくぐって参拝していた人がいたかと思うと感慨深い。
宮内氏の「奥多摩」には、ここに金毘羅様の祠があったと記載されているが、肝心の祠は棟と思われる部位を残して跡形もなくなっていた。おそらく峰の集落の住人が管理していたのであろうが、廃村とともに手入れする人もいなくなり、このまま自然に帰っていくのだろう。歴史ある文化遺産が忘れ去られていくのは何とも口惜しいものである。
このあと、金平岩全体の状態を確認。やはりどう見ても転石なのであるが、一体どこからやって来たのだろうか。まず考えられるのは岩の東側の斜面上方からであり、試しに登ってみると、案の定、金平岩から斜距離にして約45m、高低差+約25m付近に石灰岩質の露頭が現れた。金平岩はおそらくこの露頭から転がり落ちてきたのだろう。

11:00、金平岩を出発、次の目的地「速滝ノ岩屋」へと向かう。まずは布滝沢出合まで戻り、改めて布滝を鑑賞する。その名の通り、白布を垂らしたような美しい滝である。このまま本流を遡っていくが、「オキの倉骨」と呼ばれるゴルジュ帯まで来たところで、いよいよ水に濡れずに遡行するのは難しい状況になる。沢登りが目的ではないし、かといって高巻くには結構な急斜面を上る必要がありそうだ。このまま遡行するのは断念して、元来た道を戻ることとした。
林道終点近くの分岐点まで戻り、そこから西方向に延びる仕事道に入る。高低差がほとんどないため、順調に進む。途中で姥岩(うばや)沢に下る踏み跡に進み、沢を渡ってさらに進むと露岩が進路をふさぐため、本流へと下ると「銚子の滝」の上部に出た。ここからは本流沿いに進む。

12:00、クマタカ沢出合に到着。村野が少し先に進むと、「速滝」はすでに目の前であったが、休憩スポットとしてはクマタカ沢出合の方が良さそうだったので、そこで昼食とした。思い返せば、布滝からあのまま沢を進んでいたら、この時間にここまで来られただろうか・・・。

12:30、活動再開。すぐに「速滝」に到着。上下2段、比高約30mの爽快感のある滝で、流石は奥多摩の名瀑と謳われるだけのことはある。「速滝ノ岩屋」は、滝の手前の右岸側から合流する柳ガマ沢沿いにあるはずだが・・・と周囲を見回すと、千葉が滝の左岸側の岩壁中腹に、大きな洞口らしきものを発見。急いで行ってみると、洞口の形は「速滝ノ岩屋」のそれとそっくりである。しかしサイズがスケッチよりかなり大きい。内部の様子も平面図とはまったく異なっているし、何よりも奥行きがない。残念ながら洞穴とは言えなさそうだ。これはいわば「ニセ速滝ノ岩屋」である。
改めて滝壺に戻り、柳ガマ沢を約30m登る。すると左岸側からガレた涸れ沢が合流するので、それをさらに50mほど登ると「速滝ノ岩屋」に到着した。内部の状況も平面図とほぼ合っており、ここで間違いなさそうだ。この穴は「速滝」から見れば、尾根状の岩帯を挟んだ裏側に当たり、「速滝ノ岩屋」という名称でいえば、先ほどの「ニセ速滝ノ岩屋」の方がしっくりくるが、それはまぁ、“そういうものだ”ということで片付ける。
穴も見つかったことだし、めでたしめでたし、帰りましょうと言いたいところだが、残念ながら縦断面図が存在しないため、改めて測量することにした。メジャー/コンパス・千葉、スケッチ・村野の体制で行い、総延長6.8m、高低差1.7mとなった。

14:30、下山開始。柳ガマ沢右岸の植林の斜面を適当に登り、さらに適当にたどり着いた仕事道を進んで15:30、駐車ポイントに到着。

16:00、出発。峰集落跡地に立ち寄る。跡地はもはや杉の植林と化しており、日天神社が残るほかは家屋などの形跡はほぼ皆無であった。住人のいなくなった集落に神社だけが取り残されているのは、なんとも寂しい限りである。千葉は第1次奥多摩町旧峰集落洞穴探査(地R元第19回CAVING)として元旅団員の雨宮と調査に訪れたことがあるとのことで、当時のことを思い出そうとして思い出せないでいたようだ。10分ほど滞在して現地を後にした。

17:00、JR福生駅西口で村野離脱、解散となった。

今回は洞窟の規模がいずれも小さく、アプローチメインの活動であったが、気候も良い時期で何となく気楽で楽しい活動であった。「速滝ノ岩屋」の総延長と高低差が計測できたこと、縦断面図が作成できたことは1つの成果であるが、峰集落からはかなり距離があり、果たしてこの穴が後狩詞記にある滝の穴なのか、若干の疑問は残る。金平岩についてもいろいろと気になるところはあるが(いつ頃から知られていたのか、なぜ金毘羅様が祀られていたのか等々)、文献調査では筆者の知る限り、宮内氏の「奥多摩」にしか記述がなく、峰集落の住人もいなくなった現在ではこれくらいが調査の限界なのかもしれない。入川谷の洞窟調査は、ひとまず今回でひと区切りとしたい。(文責 村野哲雄)
金平岩 金平岩 速滝ノ岩屋
トゥルーパルスで金平岩を計測 縦書きで「天保三 辰六月吉日」 速滝ノ岩屋

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