タイトル | 地底旅団ROVER元老院第39回CAVING | ||||||
サブタイトル | 第32次内間木洞調査委員会プロジェクト at 山形村・内間木洞 | ||||||
分 類 | 合同・調査(測量)ケイビング | ||||||
入洞洞窟 | 内間木洞 | ||||||
日 程 | 2000年11月2日(金)〜5日(日) | ||||||
参加者 | 千葉、黒田、菊地敏雄、山口泰史、神原雄一郎、佐藤誠也、立花祐、A氏(以上、東山ケイビングクラブ)、柳沢忠昭、岡本透(以上、日本洞穴学研究所)、後藤聡、木崎裕久(以上、東京スペレオクラブ)、大岡素平、戸田聡、小野秀一郎(以上、亀戸ケイビングクラブ)、飯田智朗(立正大学探険部)、藤井孝志、田村勇気(以上、秋田大学ケイビング部) 以上18名 | ||||||
3日10:30、現地到着。これで東京勢は全員が到着した。 14:00、各班に別れて活動を開始する。 後藤班は「北洞・神秘の門〜花笠〜下層〜大広間」のループ再測、木崎班は「大広間落盤下の空間」の測量、柳沢班は水系調査、山口班は「稲妻洞・第2ヘアピン」のスケッチ確認、千葉班は「稲妻洞・第2ヘアピン・上層部」の再測を行う。 千葉は飯田君と共に、6月第30回CAVINGで行った箇所の再測へ向かう。ここは「稲妻本洞」「第2ヘアピン・上層部」「千葉三十路」の3つが一ヶ所でループしている。再測してみると確かにずれており補正する。 また、6月には危険と判断して進まなかったクラックへアプローチ、6mを追加測量した。そのホールド箇所がほとんどないクラックで測量していると、遙か下に明かりが見えた。声をかけると山口さんと小野君で、途端に高低差を意識させられることになった。測ってみると−18m、2人とも恐怖に駆られてそそくさと退散、19:00出洞した。 黒田はポケットコンパスの使用法を習った後、スケッチ大岡さん、コンパス黒田、メジャー木崎さんの体制で「大広間」へ向かう。チョックストーンにおののきながら、全体の半分を測量して出洞した。 その後は入泉、夕食、菊地さんが到着、ミーティング、宴会、消灯となった。 4日10:00、調査開始する。 午前中は、山口さんは「覗き岩裏通路」のディギング、神原班は地形測量、後藤班は「北洞」の続再測、木崎班は「大広間落盤下の空間」の続測量、千葉班は「稲妻洞・モルタル坂」の再測を行う。 千葉はスケッチ小野君、コンパス大岡さん、メジャー千葉の体制で「モルタル坂」へ向かう。「モルタル坂」を埋没している「第1ヘアピン」へ向かって測量、折り返して狭支洞2本と「斜井瀬」を測量して13:30出洞した。この結果、1976年当時と比べて約25mが埋没していることが確認された。 黒田はスケッチ飯田君、コンパス黒田、メジャー木崎さんの体制で再び「大広間」へ向かい、測量を終了せさた。 15:00、菊地班は各所の接続追加測量、山口さんは各所測量確認、神原班は続地形測量、後藤さんは「北洞」の測量確認、木崎班は「大広間落盤下の空間」のディギング、千葉班は「覗き岩裏通路」の再測を行う。 千葉と黒田は、5月第28回CAVINGに行った箇所の再測へ向かう。前回はスント・タンデムを使用しており、延びている方向が怪しかったためにポケコンでの再測量となった。 また、この支洞の最奥部(午前中に山口さんがディギング)は「内間木富士」と落盤帯の隙間で接続しており、相互から位置関係を確認する。その後、「内間木水道」へ流れ込むと思われる狭洞へ黒田が入洞を試みるが、あと一息のところで断念せざるを得なかった。 18:30、出洞。再測の結果、コンパスは正しく、メジャーに誤差が確認された。 その後は入泉、夕食、ミーティング、宴会、消灯となった。 5日、各自装備洗いとプレハブ小屋清掃。 12:00、内間木集落を出発する。 帰路、葛巻町「明神穴」付近にドリーネがあるという情報から、全員でアプローチするが確認出来ず、付近で昼食後に解散となった。 今調査で総延長が5000mを越えた。次回は2月連休に「風寒洞」や水没部を中心に測量を行う予定である。(文責 千葉伸幸) |
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