タイトル 地底旅団ROVER元老院第166回CAVING
サブタイトル 第2次龍泉洞再測量調査 at 岩泉町・龍泉洞
分 類 調査ケイビング
入洞洞穴 龍泉洞(湧口、湧窟、龍泉窟)
日 程 2005年12月30日(金)〜3日(火)
参加者 千葉、黒田、村野て、星野、細野、菊地敏雄(日本洞穴学研究所)、湊幸栄、小池純、宮崎朋彦(以上、東京スペレオクラブ)、石山慎弥、小暮雄樹、名眞大気(以上、パイオニアケイビングクラブ)、イセーンコ・イエフゲーニ(北海道大学探険部)、山口真也、槇島啓子(以上、明治大学地底研究部OB・OG)、田中則清(日本大学探険部OB)、藤澤典子(拓殖大学探検部OG) 以上17名
青少年旅行村管理棟日本三大鍾乳洞のひとつとされる国指定天然記念物「龍泉洞」。本洞穴は透明度日本一という地底湖が見所である、岩手県岩泉町経営の観光鍾乳洞である。「平成17年度日本洞穴学研究所総会」において協議された結果、再測量を行う運びとなった。
第1次龍泉洞再測量調査(第159回CAVING)を経て、今回より本格的に始動開始、観光通路及び夏季水没部測量を目的として計画された。


30日9:00、帝都組は武蔵府中を出発する。交通量、天候共に問題ないが、相変わらず遠いの一言である。

15:00、住田経由隊(湊・小池・宮崎・槇島)、山口@盛岡、イセーンコ(通称:ゼニャ)@札幌は龍泉洞事務所に到着。
事務所、警察署、消防署に挨拶を済ませ、買い出しを行う。

19:00、帝都組合流。先発隊から伝達事項を受ける。宿舎は青少年旅行村管理棟とバンガロー3棟。暖房器具は各棟に石油ストーブ1つと残置毛布類のみである。気温計によると外部は−7℃前後ということで、とにかく寒い。
役場支給の弁当を頂きながら、班編制を中心にブリーフィングを済ませる。

22:00、6班体制にて活動を開始。洞口までは徒歩6〜7分のアプローチなのだが、この距離で指先が痛くなる。入洞すると洞内温度計は、洞外−6℃・洞内+4℃の表示。やる気が失せる瞬間である。

M村野・S藤澤・Cゼニャは「洞口」〜「玉響の滝」までを担当する。
まずは洞口付近の測量を行うが、洞外気温は氷点下。粉雪が舞うなかでの作業となった。さらに洞口にはエアーカーテンが設置されており、この風が寒さに追い討ちをかける。手がかじかむなか、泣きを入れることもなく作業を進める(単に寒さで何も考えられなくなっただけ)。
村野は洞口高計測のために入口屋根に登ったりと、改めてメジャーマンは気合が勝負であることを実感。ゼニャのコンパス読みは緻密で、さすがは理系人間であった。
洞内温度計の設置されたホールまで測量して終了。洞内温度は終始+4℃を示しており、劣悪環境での活動であった。

S千葉・M細野・C山口は「玉簾の滝」〜「地蔵岩」までを担当する。
洞内気温は+7℃はあり、比較的問題なく測量は進む。途中、天井部ポケットで謎のコウモリを視認。千葉は近寄って観察するが、色合いはウサギコウモリだが耳介形状が違い、毛並みや顔つきからテング、モモジロ、ユビナガ、チチブでもない。「これが見たことのないノレンコウモリなのか?」ということで同定できないままで終わった(後日、向山先生に同定していただき、冬眠中ということにより特徴的な耳がたたまれたウサギコウモリということが判明)。

S黒田・C星野・M槇島は「第3地底湖」〜「地蔵岩」までを担当する。
今回、最も暖かいエリアということで洞内温度は+9℃。最も快適である。途中、磁場の影響を確認しながらの測量となった。

S宮崎・C石山・M名真は「亀岩支洞」を担当する。
測量に慣れていない2人を宮崎が教えるという形で進められた。

A田中・B湊は「亀岩」上層への人工登攀を担当する。
洞壁一面をフローストーンが覆っているため、アンカーを打つ箇所を模索しながらもノルマを達成する。

A小暮・B小池は前回千葉が人工登攀した「月宮殿」上層の続きを行う。
リギング済の+30m地点からフリーで登攀、新たな空間を確認した。

27:00(3:00)、黒田・星野・槇島班が不調を訴えてきたため出洞を許可する。初日ということもあり、これを機に全員へ切りの良いところで終了するように指示。

29:00(5:00)、全員出洞。

30:00(6:00)、千葉・村野と各スケッチマンはデータ入力を行う。眠気をこらえ、黒田が持ち込んだフェレット3頭に癒されながら(邪魔されながら?)の作業となった。
他の者は順次消灯。
龍泉洞・洞口付近 龍泉洞・亀岩 龍泉洞・観光通路
極寒−6℃の洞口班(石山氏撮影) 亀岩上層への登攀を行う田中・湊 耳介を畳んだウサギコウモリ(石山氏撮影)

大晦日31日8:00、役場支給の弁当が届く。千葉と村野はデータ入力が終わっておらず、他数名と朝食を食べる。引き続きデータ入力。

10:00、龍泉洞温泉ホテルの風呂が入浴可能な時間になったため、千葉と村野だけで入泉へ行く。やっと生き返った気分である。

11:00、龍泉洞事務所に挨拶。事務所パソコンにも測量ソフトをインストールする。

13:00、一部の者が起床。入泉を兼ねて買い出しを行う。

14:00、千葉と村野はやっと消灯。

16:00、全員起床。支給された弁当を食べながらブリーフィングを行う。本日は年越し、反乱を恐れて早めに出洞することを伝える。

17:30、6班体制にて活動を開始。昨日よりは暖かいが、洞外−4℃・洞内+4℃の表示である。

M村野・S藤澤・Cゼニャは引き続き「洞口」〜「玉響の滝」までを担当する。
洞内温度計の設置されたホールより「百間廊下」へと基線を延ばすが、この付近は一直線状のクラックとなっており、支洞分岐もわずかしかないので順調に作業が進む。しかし、洞内を吹き抜ける風はやっぱり寒いのであった。本日の目標である「玉響の滝」に到着時点で休息。藤澤が紅茶を沸かし、ゼニャのロシア小噺を聞きながら温まる。その後、千葉の指示でカウントダウンの場「第3地底湖」へ移動。年越しそばの準備に取り掛かった。

S千葉・M細野・C山口は引き続き「玉簾の滝」〜「地蔵岩」までを担当する。
スケッチ途中、「潜龍の渕」で小ループを確認してしまい、これを片付けてから「亀岩」へ到達する。ここで運良く「月宮殿」上層班と遭遇、レーザー測量器を使って+20mを接続した。

S黒田・C星野・M槇島は引き続き「第3地底湖」〜「地蔵岩」までを担当する。
磁場の影響を逃げながら基線を張っていたが、「守り獅子」付近でどうしても逃げることが出来ずタイムアップとなった。
S宮崎・C田中・M名真は引き続き「亀岩支洞」を担当する。
本洞へ接続を完了するが、磁場の影響があったことがその後に判明した。

湊・小池・小暮は「月宮殿」上層の測量を行う。
しかし、次々と新洞部が現れる結果となった。

石山は単独で記録写真撮影を行った。

24:00(元日0:00)、「新年おめでとう!」「あけおめことよろ」の声と共に年明けそばを食べる。ケイバーなんてそんなもんである。

25:00(1:00)、千葉・村野・細野・石山・ゼニャ・田中・藤澤は、12月14日に放映された「おもいッきりテレビ」取材時に残置されたロープ撤収、他の者は出洞した。

27:00(3:00)、全員出洞。

28:00(4:00)、宿舎でぜんざいを作りながら楽しい時間を過ごす。
その後、千葉・村野と各スケッチマンはデータ入力、他の者は順次消灯となった。

30:00(6:00)、全員消灯。
龍泉洞・潜龍の渕 龍泉洞・第3地底湖 龍泉洞・水晶宮
コンパスを読む山口(石山氏撮影) 間に合わなかった年越しそば(石山氏撮影) 水晶宮の二次生成物

元日8:00、朝食が届く。その後、村野・細野・星野は一足先に撤収する。

10:00、龍泉洞温泉ホテルにて入泉。御年賀としてひとりずつボックスティッシュを頂く。そうだ、正月だ。どうも正月感は皆無である。

11:00、龍泉洞事務所に立ち寄り、データをインストールと報告をする。そして甘酒を一杯いただく。

16:00、全員起床。CL菊地さんが合流、一緒に松本力@東山CCも年始挨拶へ来てくれる。
まずは支給された弁当を食べるが、今回は伊達巻きが入っていた。また忘れかけていた。いまは正月である。購入していた紅白カマボコを切り分け、少しでも正月感を盛り上げる。

18:00、6班体制にて活動を開始。
S藤澤・Cゼニャ・M山口は「長命の渕」などの夏季水没部の測量を行った。

S黒田・C千葉・M槇島は引き続き「第3地底湖」〜「地蔵岩」までを担当する。
再測量も含めて「地蔵岩」まで進み、電源を落とした時点でデータ確認作業を行った。

S宮崎・M名真・C田中は「長命の泉」や「亀岩」上層などの測量を行う。
途中、名真が発熱でダウン。2名での作業となった。

湊・小池・小暮は引き続き「月宮殿」上層の測量を行う。

石山は単独で記録写真撮影を行った。

菊地さんは単独で各班をまわり、並行してアタック箇所の洗い出しを行った。

30:00(6:00)、全員出洞。

31:00(7:00)、千葉・ゼニャと各スケッチマンはデータ入力、他の者は順次消灯となった。
龍泉洞・洞口 龍泉洞・長命の渕 龍泉洞・守り獅子
正月使用の洞口 スケッチをする藤澤(ゼニャ撮影) コンパス数値を読む千葉(石山氏撮影)

2日8:00、朝食が届く。

10:00、龍泉洞温泉ホテルにて入泉。本日は+1℃。ここ4日でもっとも暖かい。

13:00、千葉とゼニャら数名はデータ誤差発見に手間取り、力尽きて消灯となった。

16:00、全員出洞。本日の弁当は暖かいカツ丼である。ちょっと嬉しい。

19:00、4班体制にて活動開始。まずは3班が入洞する。
S藤澤・Cゼニャ・M山口は引き続き「長命の渕」付近の測量を行った。
すると、縄目模様がある土器の一部を確認。本洞穴は奈良・平安時代の遺跡指定にはなっているが、縄文or弥生式というのは興味深い発見である(後日、簡易鑑定により弥生期初期と同定)。

宮崎・田中・名真・槇島は「亀岩支洞」に磁場の影響が見られたため、データのみ再測量を行った。
その後、「白亜の議事堂」の探検を行った。

湊・小池・小暮は引き続き「月宮殿」上層での活動となり、新たに見つかった部分の簡易測量や写真撮影を行った。その結果、観光部より約+55mまで延びていることが分かった。

21:00、遅れて菊地・千葉・黒田・石山が入洞。電源を落としてのデータ確認作業後、「三原山」付近の新洞部探索へ向かう。怪しいとの報告があった2箇所へ突っ込むが、1つは+15m程度でフローストーンにより閉塞。もう1つは+50度勾配の斜洞で、「水晶宮」と同一方向に延びていることを確認。入洞形跡はなかったが、規模や位置からして新洞部というの可能性は低いものであった(過去の測量図からは未判明)。

28:00(3日4:00)、全員出洞。

6:30、事前に受け取っていた朝食を頂く。その後、データ入力と宿舎撤収を行う。

10:00、龍泉洞事務所に挨拶、活動報告をして岩泉町を離脱する。

12:00、ゼニャが冷麺未経験ということなので、全員で盛岡へ移動。ぴょんぴょん舎にて昼食をとり、解散となった。
龍泉洞へのアプローチ 龍泉洞・地蔵岩 青少年旅行村管理棟
毎夜憂鬱な氷点下アプローチ 月宮殿上層から帰還する湊 毎朝のデータ入力作業(石山氏撮影)


今回より本格的に測量開始、4日間の昼夜逆転活動となった。
全体としては予想よりも磁場の影響が大きく、対策が次回への課題となった。また、冬季により水面が低く、活動しやすいという利点はあったが、同時に洞口付近は終始低温活動となった。4日間活動した藤澤・ゼニャには脱帽である。
前回に続いてアタックをかけた「月宮殿」上層は、大規模空間は確認できなかったが、面白い形の石筍やカルサイト結晶などが確認された。今後の調査が楽しみである。
次回は5月開催の日本洞穴学研究所総会以降、「三原山」観光ルートなどの測量や上層アタックを継続していく予定である。(文責 千葉伸幸・村野哲雄)
測量結果によるイメージ図(測量ソフトOn Stationから引用)

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