タイトル | 地底旅団ROVER元老院第119回CAVING | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サブタイトル | 新年早々、穴にはいるのなんでだろう〜なんでだろう〜 in 琉球石灰岩エリア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
分 類 | 合同・ファンケイビング | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
入洞洞窟 | 水連洞、半崎大鍾乳洞、第二洞、リムストーンケイブ、銀水洞、昇竜洞、サンゴ洞(昇竜洞中洞)、昇竜洞下洞(夢幻洞−白蛇洞)、昇竜洞上洞(桃源洞−石華洞−華垂洞)、白鳳洞、糸数アブチラガマ(糸数壕・糸数病院壕)、玉泉洞(宇和川壕・玉城洞)、武芸洞(垣見中尉の穴)、珍珍洞(女子禁制壕)、金武鍾乳洞(日秀洞)、普天満宮洞穴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日 程 | 2004年1月1日(木)〜7日(水) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参加者 | 千葉、村野て、松澤亮(東京スペレオクラブ)、野中朋美(岡山大学ケイビングクラブ)、鈴木達朗(東京農業大学探険部)、鶴巻琴子(亀戸ケイビングクラブ)、大岡素平(玉泉洞)、田村常雄(あなもぐらん?) 以上8名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
恒例となった正月ファンケイビング、今年は琉球石灰岩エリアである。鹿児島県沖永良部島は前々から訪れてみたいと考えてはいたが、アプローチ時間がかかることもあって二の足を踏んでいた。 しかし、近年は複数の学生ケイバーから、会うたび、電話のたびに「あれ千葉さん、エラブ行ったことないんですか? ふふん。」と挑発し続けるため、その口をふさぐ目的もあって計画された。 元日10:00、千葉・野中朋美嬢はエアードルフィン社BN2アイランダーにて那覇空港より沖永良部空港へ到着する。この機体は9人乗りで、揺れにおののきながらの離着陸であった。 10:30、先発していた鈴木達朗君、牧野組(牧野・佐藤・鶴巻)の鶴巻琴子嬢、現地人の白川鉄男氏と合流。達朗君を千葉組へ受け入れ、レンタカーにて活動開始となる。気温は13〜18℃と暖かく、日中は1枚でも十分の日差しである。 まずは和泊港へ移動、途中、国頭小学校の「日本一のガジュマル」とやらを見学する。枝張り直径22mということだが特に感動することもなく、それより銅像台の琉球石灰岩の方が気になる。石灰岩というよりも珊瑚そのものという感じである。確かにこれではアンカーは効きそうにもない。 和泊港にて宅急便荷物を受け取り、続いて沖永良部与論地区広域事務組合に挨拶、その後に宿泊所である大山野営場へ向かう。そこで宿舎バンガローを共有する山西組(山西・高橋・岡村・小林・大久保)と合流、すぐ「水連洞」まで案内をしてもらう。 12:00、「水連洞」到着。突然、鶴巻嬢から連絡が入り合流、一緒に入洞することとなる。 中程にある陥没洞口より入洞、まずは流出洞口を往復する。 続いて洞奧へ向かうと、ニュース番組「ズームイン!!SUPER」で見た風景が広がっていた。これまで写真でしか見たことのないリムストーンプールが続く。南の洞穴に慣れていないこともあって浅瀬を選んで進んでいると、鶴巻嬢に突き落とされ達朗君が泳ぎ出す。千葉も恐る恐る泳いでみると冷たくない。2月「内間木洞」で基線を張るために泳いだのと雲泥の差である。・・・楽しい。 次々とプールを越え、最奧部手前の水深不明プールでは−2mの水面へ飛び込み、小空間にある蜂の巣のような二次生成物を観察する。 16:30、出洞。この洞穴だけでエラブの魅力が分かったような気がした。しかし代償としてか、カメラ"現場監督"が水死してしまった。 17:00、続いて「半崎大鍾乳洞」へ入洞する。この洞穴も洞口は陥没口である。豊富な二次生成物を楽しむが、目的のホールへは到着することができず。 18:00、出洞。 その後、海で装備洗い、和泊町内で食糧買い出しをおこない、フローラル館で入泉する。 宿舎バンガローで海ぶどう、特産品豆腐のみそ漬などの正月料理?で一杯やっていると、「第二洞」で測量調査を行っていた牧野組が帰還してくる。なんでも4洞が連結したとのことで、5qを越える大洞穴となったらしい。お祝いもかねて乾杯。その後は山西組・牧野組とともに関東ケイバーの将来について真剣に話し合ってから消灯となった。
2日10:00、当初は「鳳雛洞」へ行く予定であったが前日の吉報により「第二洞」へ変更、「拡張b支洞洞口」より入洞開始する。 まずは「リムストーンケイブ」である下流を巡検、一旦洞口へ戻り、昼食を取ってから上流へ進む。水面がわずかに開いている通路を5mほど進むと、第11次沖永良部島洞窟探検隊(第106回CAVING)のメッセージがあった。どうやら、ここが新洞と思ったら「第二洞」だったことが発覚したポイントらしい。 途中、見るからに不味そうなカニを捕まえながら最上流と思われるところまで巡検、夜間活動のことを考えて14:00に出洞した。 もいできた島みかんでビタミン摂取しながら宿舎バンガローで休憩、思い思いの時間を過ごす。 16:30、村野・松澤亮さんが合流。早めの夕食を取り、一服する間もなく入洞準備を整える。村野は明日には沖永良部島を発たなければならず、よって強行的に夜間活動をすることとなったのである。 18:00「銀水洞」マンホール洞口に到着、竪穴装備を着用する。噂には聞いていたが、本当に畑脇にマンホールがある。どうやら竪穴洞口に農業用排水としてヒューム管を立てたらしい。 妙なシチュエーションにワクワクしながら千葉がリギング、初心者を挟むような隊形で亮さん、達朗君、村野、朋美嬢、千葉の順で入洞開始する。 洞内では「晩飯じゃ〜エビフライじゃ〜」とテナガエビ捕獲を試みながら水流部を遡り、泳いだり、飛び込んだり、「お化けフローストーン」に感動しながら上流部を目指す。 途中、千葉と村野は流入した腐木付近を観察、これまで見たことのない洞内生物を観察する。どうやらこれがホラアナゴキブリらしく、このサイズ、スピードであれば天敵ゴキブリといえども無問題とほくそ笑む。 途中で上層へ上がると、眼下には巨大リムストーンが広がっていた。水はたまっていないようだったが、白く幻想的である。しばし見とれたのち、付近の浮遊カルサイトを観察、初見者は感銘を受けたようであった。 出洞予定時間も押し迫り、またこれ以上進むと破壊しかねないということで反転、マンホール洞口を目指す。 帰路、トラバースポイントで朋美嬢が技を伝授すると言いだした。まずは匍匐であるポイントまで進み、「ローリングサンダー!」と叫びながら横転、−5mの水面まで転げ落ちるという荒技である。千葉・村野・亮さんは恐怖におののき断念、達朗君のみが若さ故かチャレンジ、肩を強打して着水となった。大学探険部は穴の楽しみ方が本当にうまい。 23:00全員出洞、帰舎後消灯。
3日9:30、まずは「昇竜洞」観光を行う。洞口はこれぞ熱帯洞穴という雰囲気である。洞口ホールやカルサイト結晶がまばたくフローストーンは、松竹映画「八つ墓村」の1シーンとすぐ分かる。 二次生成物に覆われた人骨発見に由来する「昇竜神社」で初詣。2002年「日メ坂鐘乳穴神社」、2003年「猿田龍王神」に続き、3年連続穴神社での初詣である。 出洞した時点で村野が離脱、山西組(山西・大久保・小林)・牧野組(牧野・佐藤)とともに沖永良部島を後にする。2日16:00〜3日12:00という、20時間エラブ活動は幕を閉じたのであった。 続いて「サンゴ洞(昇竜洞中洞)」を通り抜け、「昇竜洞下洞(夢幻洞−白蛇洞)」へ向かう。当初は「昇竜洞ケイブシステム」全てに入洞する予定であったが、前夜の疲れもあることから入洞キャンセル、竪穴部下見だけを行う。 売店でフルーツジュース4種によるビタミン摂取、再び「昇竜洞」入口側駐車場へ戻って入洞準備。 11:00、「昇竜洞上洞(桃源洞−石華洞−華垂洞)」に「桃源洞」から入洞開始する。この洞穴は2001年にTV番組「THE鉄腕DASH」ロケで使用、「巨大地下迷路で出会うことは出来るのか!?」と題してTOKIOが入洞している。 プールではやはり朋美嬢が技を披露。+3m地点まで登り、「昇竜拳!」と叫びながらプールへ飛び込むという荒技である。またもや千葉・亮さんは断念、達朗君のみがチャレンジ、わざわざずぶ濡れになった。 一旦「石華洞」洞口を出てから再び入洞する。分岐点付近で迷うものの、洞内深くまでゴルフボールが流入してきており、簡単にルートファインティングがおこなえた。途中で(オリイ?)コキクガシラコウモリ・グアノ採集、「華垂洞」洞口より出洞。この洞口はゴルフ場ショートコース内に開口しており、知っていながらも特異なシュチュエーションに大喜びをする。ふ〜ん、ここで城島茂氏がパットしていたのねぇ。 14:00、ゴルフ場を後にするも現在地が分からず、「昇竜洞」とは逆方向へ進んでしまう。野生の島みかんでビタミン摂取したり、野良ヤギを挑発しながらムダに4q歩いて「昇竜洞」へ戻る。駐車場の排水で装備洗い後、再び管理事務所へ出向き40周年記念誌を購入。事務所職員と世間話をしてから「昇竜洞」を後にする。 宿舎バンガローにて鶴巻嬢@牧野組残党と岡村さん@山西組残党と合流、知名町内で食糧買い出しをおこない、フローラル館で入泉する。 夕食は和泊町まで出向き、宮野原@地R元推奨の焼肉店「ニュータウン」で食べ放題。なかなかの肉量であった。帰路に酔っぱらいながら西洲神社に参拝。まぶたに西郷隆盛像を焼き付けながら消灯。
4日10:00「白鳳洞」へ向かう。洞口位置がはっきりせず、アプローチで多少迷うものの無事確認、入洞開始する。 千葉が洞口ドリーネよりリギング。このところ初見洞穴でのリギングが続く。楽しいと言えば楽しいのだが、神経が疲れるといえば疲れる。SRT初心者の達朗君を考慮してアメリカン・スタイルで落とすつもりであったが、ドリーネ内でどうしてもロープ接触してしまうためリビレイを作る。同時に亮さんが達朗君に短期リビレイ通過教室を開催。千葉、朋美嬢、達朗君、亮さんの隊形で降下、すぐさま第2ピッチへ移動する。再び千葉がリギング、同順で−25mを降下する。竪穴部が近づくと無口になり、汗ばむ達朗君であった。 途中、フリー昇降すると思われる−3m段差には戸惑うが、無事に目的地である「白鳳の間」に到着。ここは二次生成物天国である。ヘリクタイトはもちろん、これまで満足なものを見たことなかったヘリグマイトも豊富にある。そして、噂に聞いていた「すれ違いストロー」を目の当たりにする。確かに上からも下からもストローである。おそらく十分な水量によりストローのまま洞床に到達し、なんらかの影響で分断、再び上のストローは発達を続けたのであろう。遠巻きに観察後、千葉は苦肉の策として使い捨てカメラによる写真撮影。満喫してから洞口を目指し、千葉と朋美嬢がデリギングを行って17:00出洞となった。 フローラル館で入泉、宿舎で残食材処理。千葉・朋美嬢・達朗君は消灯、亮さん・鶴巻嬢は白河さんと灯台を見に行ったのであった。
5日、宿舎バンガローの清掃、撤収を行う。警察署、消防署、役場に活動終了連絡をいれ、白河さんとともに大山野営場を後にする。和泊港へ行く途中、数少ない観光名所である西郷隆盛の独居房(復元)を見学する。 12:00、大島運輸フェリーに乗船、沖縄へ移動する。千葉だけはハイテンションで眠れない。 19:00、那覇港到着。レンタカーを借り入れ、各自各ホテルにチェックインを済ませる。その後に国際通りへ移動、事前連絡を取っていた田村君@あなもぐらん?と3年振り久々に再会する。琉球料理居酒屋で晩餐会を開始、舌鼓を打つ。どれも旨い。途中で大岡素平玉泉洞王国参事官が合流、これまた2年振りの再会である。二次会でも泡盛を満喫してから解散、消灯となった。 6日9:00、朋美嬢は帰京、千葉・亮さん・達朗君はレンタカーにて活動を開始する。 まずは戦跡「糸数アブチラガマ」を観光する。純粋に洞穴を楽しむつもりで入洞するが、次第に重苦しい雰囲気となり、出洞後は会話が弾まない。申請すれば非観光部も入洞可能らしいが、心底申請しなくて良かったと感じる。 重苦しいまま移動開始、気分転換に湧水「垣花樋川(カキハナヒージャー)」を見学することにする。トゥファを眺めながら塩せんべいを食す。まだ気分が立ち直らない。 23:00、玉泉洞王国(現:おきなわワールド)到着。ここで田村君と再び合流。大岡参事官を呼びだし、外交特権で無料入国させてもらう。まずはハブ博物館でゴールデンパイソンを首に巻き、レストランで昼食を取る。「海ぶどう丼」や「大海老丼」を頼むが、メニュー写真よりも大きく食べきれず。 一服後に「玉泉洞」観光を行う。14年前に訪れたときとルートが変わり、手摺りもステンレス製に変更となっていた。後に聞くところによると、ステンレスになってから数年ということであったが、すでに二次生成物が出来ており、成長の早さに驚かされる。メカゴジラ秘密基地への入口はどこだろう?(東宝映画ゴジラ対メカゴジラで、つらら石をパカッと明けると秘密基地へのボタンが出てくる)などど話しながら洞内を堪能、洞内ウナギを鑑賞してから出洞となった。 その後は王国内を見学し、スターフルーツを食べ、サトウキビジュースを飲み、エイサー躍りを楽しむ。そして閉園まで土産10%にて購入(外交特権)して時間調整を行う。 18:00、大岡参事官と共に「玉泉洞・第2支洞」、いわゆる「玉泉洞新洞」へ入洞開始する。まずは水くぐりを5回ほど経て下層最奧へ。これまた水温が高く、泳いでいても快適である。数々のテレビロケ裏話を聞きながら国内2位というストロー1.2mやケイブポテト、透明カーテンを観察する。 続いて上層最奧へ。教科書のようなケイブパールに感激していると、洞床を非洞窟性ゴキブリ(チャバネ風)が疾走!ショック・・・。聞けば地上と幾らも離れていないとのことであった。少し南の洞穴が嫌いになった・・・。 23:00、名残惜しみながら出洞。ここではストロボが衝撃により昇天してしまった。やはり壺は必需品・・・。 24:00、東風平町の集会場へ移動、ここで山内平三郎氏@日本洞窟学会と合流する。この集会場には山内さん所有洞穴資料が所蔵されており、一同目を見張る。読みあさっていると、35年前ものを含むレアもの報告書を複数冊を頂く。何よりの土産である。ハイテンション状態で焼肉晩餐会を開始。たらふく食べるが、一人また一人と轟沈していくのであった・・・。 25:30、全滅。
7日8:00、起床。すると達朗君はすでに報告書を読みあさっている。よほど気に入ったらしい。すぐさま撤収作業、大岡参事官からは「洞穴パスポート」スタンプ完了ということで観光用パンフレット3種5冊(どれも絶版、1冊は32年前もの)もらい、別れを告げる。 見学しそこねた箇所を補うため「玉泉洞王国」へ戻る。途中、300円で鯛刺身定食を食べる。う〜ん安い。 到着後すぐに「武芸洞」「古琉の谷(洞穴残骸)」「珍珍洞」を巡検。「珍珍洞」の"いちもつ"にはノッチが刻まれており、それがまたリアル感を与える。見渡すと、ほかの斜めつらら石にもノッチが刻まれている。土石などにより水流が上下したということなのであろう。 次は占領地「キャンプハンセン」のある金武町へ移動、「金武鍾乳洞」観光をする。洞内では泡盛と豆腐ようが熟成させており、独特の香りが漂う。以前は琉球八社としての信仰洞色が強かったが、今では国内唯一の酒蔵専用洞である。これはこれで経済的に成功しているらしい。お茶を頂きながら管理人と話をすると、11月末にスロヴァキア環境省洞窟管理事務所の面々も訪れたらしい。一風変わった洞穴利用に関心を示していたとのことであった。 出洞後、タコライス発祥店「キングタコース」でタコライスとルートビアで昼食。これがまた旨い!達朗君は初ルートビアに困惑していたようであったが、何はともあれ感激の逸品であった。 次に占領地「普天間飛行場」のある宜野湾市へ向かう。新垣普天満宮宮司@日本洞窟学会から沖縄洞穴近況などをうかがい、その後「普天満宮洞穴」を案内してもらう。洞穴絵馬購入、全ての活動を終了した。 那覇空港にて土産購入しながら時間調整、達朗君を残置(〜8日まで単独行動)して千葉・亮さんは帰京となった。(文責 千葉伸幸)
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