タイトル 地底旅団ROVER元老院第422回CAVING
サブタイトル こういう穴ならもう一度行きたい 春が来るたび狭洞に逢える at 南相馬市・大穴鍾乳洞
分 類 合同・ファンケイビング
入洞洞窟 大穴鍾乳洞(立石鍾乳洞、立石の大穴、大穴)
日 程 2025年4月12日(土)〜13日(日)
参加者 千葉、村野、細野、櫻田、矢島、平間、平宗雄(あぶくま・けいばぁず・くらぶ)、林由希子(パイオニアケイビングクラブ)、久保結花(Japan Exploration Team)、大倉優芽(東京農業大学農友会探検部OG)、仲川邦弘(南相馬市博物館) 以上11名
大穴鍾乳洞・洞口「あぶくま・けいばぁず・くらぶ」の平氏よりお誘いがあったこともあり、日本洞窟学会第50回大会・佐野市葛生大会(地R元第414回CAVING)及びプレ活動で頑張った地R元若手への御褒美として企画された。地R元主催企画としては12年ぶり5回目の巡検である。


12日20:00、村野が千葉宅に到着。村野車(カローラフィールダー)に団体装備も積み込んで出発。

20:30、細野宅に到着。おじさん組(千葉・村野・細野)集合。東京外かく環状道路・大泉ICより三郷JCT経由で常磐自動車道を北上する。
気が付くと「常磐富岡IC−南相馬IC 車両火災通行止」の表示が現れていた。

22:00、平間・大倉(アトレー)は道の駅 南相馬に到着。当初、深夜に真野ダム駐車場に着く予定だったが、その場所を検索すると「心霊」というワードが出てきて怖くなってしまったからである。道の駅は静かで設備も綺麗であり、快適な車中泊ができそうだ。

24:00、おじさん組(千葉・村野・細野)は常磐自動車道・常磐富岡ICで降りて一般道を北上する。通行止めは解除にならず。

25:00(1:00)、おじさん組はセブンイレブン 原町石神店にて買い出し。

25:30(1:30)、おじさん組は真野ダム駐車場に到着。
怪奇現象が多く見られるという公衆トイレの前で酒盛りを始める。幽霊は出ないが、どんどん気温が下がっていくのがわかる。寒い。

27:30(3:30)、おじさん組は気温5度のなか消灯。幽霊ハンティング失敗。

13日7:00、おじさん組(千葉・村野・細野)は起床。お湯を沸かして朝食。寒い。

8:00、平さんを筆頭に続々と真野ダム駐車場に到着し始める。

8:30、全員集合。簡単に挨拶やミーティングを済ませ、いざ出発。

8:45、はやま湖対岸側に車でアクセスし、そこから洞口へ徒歩で向かう。

はやま湖付近
村野負傷(平宗雄氏撮影)
9:15、道中、村野が両手のひらを負傷し応急処置を施す。幸いにも大ケガではなく止血で済んだのでそのまま続行。

9:30、小休憩。久々に山狩りのようなルートを歩くとさすがに疲れる。しかし、平さんは隊の中で最高齢にも関わらず、元気に先頭を進んでゆく。

9:45、「大穴鍾乳洞」に到着。洞口は尾根上で真北に向いて開口していた。
早速、ジオグラフィカに現在地をプロットさせる。地理院地図にはすでに「大穴鍾乳洞群」と記載はあるが、場所は尾根上から西に30mほどずれている。千葉・平間のプロット位置は尾根線上の同位置にあり、おそらく地理院地図の方がずれているものと思う。
洞口付近にロープやハンマードリル等のレスキュー用団体装備を残置する。

10:00、例年は通称:写真の樹に登って撮影するところを、おとなしく洞口前で集合写真を撮影してから入洞開始。
洞口からしばらくは洞内も比較的広く、通路「大穴トンネル」は立って進めた。
途中に深さ8mほどの竪穴があり、資料によると鉄製の橋が架かっているとの事であったが、すでに朽ち果てていた。
そこを過ぎると錆びた鉄製梯子にたどり着き、下ると旧洞部最大のホールに出た。ホールからは至る所に支洞が存在しているが、今回は南方向へと進む。

大穴鍾乳洞・新洞部入り口(鉄門)
新洞部へ
大穴鍾乳洞・自然淘汰の門付近
「天保五午年」「○永三丙○天」
大穴鍾乳洞・自然淘汰の門
自然淘汰された細野(平宗雄氏撮影)
10:10、教育委員会が設置した鉄門のある新洞部入口に到着。入口前はこれまた少し広めのホールになっている。 壁面を見ると無数の落書きが。多くが比較的新しめのもので、いたずら書きのようなものも散見された。仲川さんによると、近隣のヤンチャ学校の名前もあるので度胸試しか何かで入洞したのだろうとのこと。

10:15、鉄門をくぐり抜け、オオアナメクラチビゴミムシを観察しながら進むと、3畳ほどのスペースにたどり着いた。
ここにも壁面に文字が書かれていたが、先ほどのものとは違い、「天保五午年」「○永三丙○天」などの江戸時代の元号と思われる文字が読み取れた。崩し字であるため読み解くのは難しいが、「大倉村同行○九人」などの文字も見られた。大倉村は真野ダム近隣地域の字名(現:飯館村大倉)として残っている地名である。天保4年といえば「天保の大飢饉」が始まった頃なので、それと関係した入洞なのであろうか。他にも多くの貴重な昔の人間の文字が刻まれていたので、是非とも今後読み解きたい。

10:45、壁面文字の観察や洞内生物を探しながら同じ場所に待機。というのも、この3畳ほどのスペースから次の場所へ移動するのにみんな時間がかかっている。平さん曰く「自然淘汰の門」と呼ぶ狭洞部らしい。
最初は何のことやらであったが、いざそこに着いた瞬間身体でわからされた。直径40cm、絶妙な登り傾斜と屈曲により、小柄な人なら難なく通れるが、恰幅がよかったり身長が高かったりするとこれがなかなか通れない。
平間の先に千葉がチャレンジしたが、2013年地R元第279回CAVINGまで通れた狭洞部に今回は難儀。ヘルメットと長靴を脱ぎ、6分かかって何とか通過。どの洞窟も年々狭くなっていると文句。おじさんは12年で変態する。

11:00、最後尾にいた細野が「自然淘汰の門」をアタックするもすぐにリタイア。千葉が通過できたので細野も行けるはずであったが、メンタルが負けて淘汰されてしまった。
細野を置いて先に進む。

大穴鍾乳洞・真野の峡谷
クラック「真野の峡谷」
大穴鍾乳洞・長寿の泉
リムストーンプール「長寿の泉」
11:15、クラック「真野の峡谷」を通過。天井高は8mほどで、天井付近を両手両足を突っ張りながら40mほど進む。下を見ると縮み上がりそうになったが無事通過できた。小柄で足が届かない林は千葉がフォロー。

11:30、大きなホールに出た。その一角に「長寿の泉」と呼ばれる立派なリムストーンプールがあった。平さんは1979(昭和54)年にここへ訪れた記念として石碑を供えており、それも綺麗に鎮座しているのが確認できた。
また、ここにはメナシヨコエビがいるとのことで観察。矢島はチビゴミムシを発見して観察した。
集合写真、地R元若者による宣材写真を撮影。

11:45、洞奥へと進みながらバイパス支洞へ少し寄り道。ここには洞壁や洞床に球状の白い鉱石があった。平さん曰く、石膏で「ジプサムボール(球状石膏)」と呼ばれるものとのこと。よく見るとそこらかしこにあり、強く触ると簡単に壊れてしまうので注意して移動再開。

12:00、小さなホール「コウモリの館」に到着。このホールに入った途端に水流の音がはっきり聞こえた。 天井にはコキクガシラコウモリがちらほら散見。多いときは天井をコウモリが埋め尽くしているとのこと。
コウモリを見られて嬉しいのか、千葉はしきりと櫻田にコウモリを食べさせようとしていた。相変わらずである。

大穴鍾乳洞
カルサイト(方解石)の結晶
大穴鍾乳洞
ちっちゃい娘をフォロー(平宗雄氏撮影)
12:15、「コウモリの館」からは上層と下層のルートに分かれており、上層を進むと道中で古いロープが残置されていた(T字路)。当初はそちらに進もうとしたが、平さんの神経痛による左足麻痺もあるため下層ルートを選択。平さんは「40代の頃は登れたから、今日きているメンバーみんな登れるよ」と言っていたが、足元も泥でとても滑りやすく落ちたらまあまあな怪我を負いそうなので正直フリーは怖い。
下層を通過中、直径10cmほどの水たまりに方解石の結晶があった。とても小さいものであったが、綺麗な結晶であった。壊さないように最善の注意を払って通過した。

12:30、下層から上層へ。ここは分岐「T字路」から残置ロープを通過してくれば合流できる場所となっており、一行は珊瑚化石を見るために+4m段差をフリーで登った。ほとんどの人はフリーで登れたが、小柄な人は下で足元を支えられながらよじ登ったりしていた。林は下で千葉と村野に足を押し上げてもらい、上から平間に吊り上げられてようやく登れた。

13:00、珊瑚化石がある空間に全員集合。ここまで休憩はほとんどなく、元気な平さんにみんな必死について行っていたのでそろそろ腹が減ったので昼食。千葉・村野は要領よく、待機時間で腹を満たしていた。

13:15、昼食を済ませ出発。これより奥は深く落ち込んでおり(東の物見)、ラダーかSRTが必要であるため、あとは寄り道しながらもと来た道を引き返すことに。

大穴鍾乳洞・霧雨の間
天井高30m「霧雨の間」
13:30、珊瑚化石空間から+4m段差に向かう道中、空間「霧雨の間」に寄り道。幅は4m程で高さは30mもある大きな支洞だ。20mほど進むと突き当たるが、20mほど上のテラスから常時水滴が降ってくる。平さんは以前、このテラスにアタックするために自作の継手ハシゴを持参し登ったとのこと。

13:45、先ほど登ってきた+4m段差をまたフリーで降下し、再び下層へ。来た道とは違う道へ少し寄り道。

14:00、「紫紺の滝」入口に到着。ここでも集合写真を撮影。

14:30、時間も時間なので撤収することを判断。もと来た道をたどる。

14:45、分岐「T字路」にて千葉が残置ロープにアタックするも足がなかなか上がらない。大人なので勇気ある撤退を選んだ。えらい。
その後、平さんのご家族の話になり盛り上がった。娘さんが昨年に美容室を開業して髪を切ってもらったことや、小6のお孫さんが平さんより重いことなどたわいのない会話であったが、終始平さんの顔は喜びに満ちておりこちらまで幸せな気持ちになった。

大穴鍾乳洞・長寿の泉
メクラヨコエビの観察
15:15、リムストーンプール「長寿の泉」に帰還。千葉や仲川さんたちは再び洞内生物を探し始めた。
その間に平さんがクラック「真野の峡谷」に持参した標識ロープをトラバースラインとして設置。行きはそこまで怖くなく難なく通過できたが、帰りは足元が少し湿っていて滑りやすくなっていたこともあり怖さが倍増した。一人ひとり慎重に通過する。

15:30、渡った先では地底湖「エメラルドの泉」への寄り道ができると言われ、総意で行きたいとなった。しかし、4mほどの急壁をよじ登らないといけないとわかり、お手本のような掌返しで勇気ある撤退を決意。

大穴鍾乳洞・自然淘汰の門
自然淘汰の門を通過した平間
15:45、「喜びの間」に到着。ここから例の極狭洞「自然淘汰の門」へ林を先頭に千葉、平間・・・と続いた。またあの狭さを味わうのかとドキドキしていたがそんな気持ちを払拭してくれた出来事があった・・・。
林は難なく通過して千葉の番。往路の教訓で事前にヘルメットと長靴を脱いで、足先行で狭洞に挑む。何とか肩までは入るがその先でつなぎが引っ掛かり進めない。戻るのが大変そうなので仕方なく引っこ抜くことに。次は頭から挑戦したが腰で同様に引っ掛かり、足だけが穴からパタパタしているなんともシュールな光景に。自力ではどうにもできないとのことでこれも仕方なく引っこ抜いた。
千葉はついに奥の手を使用。恥も外聞も捨て、つなぎを脱ぎインナーのみになって足先行で挑戦。3度目の挑戦でなんとか潜り抜けた。一部始終を見ていた平間は、つなぎを脱ぎはしなかったが、ヘルメットと長靴を脱いで足先行で挑戦。先が見えないため、多少苦戦したが1回の挑戦で通過。
後続組はスルスルと通過。最後に平さんが出てきた。帰りの際の通過する時の姿勢は頭からが正解との事。千葉と平間だけ自ら難しい方を選択したようだ。

16:15、新洞入口の鉄門を通過。洞壁の落書きが懐かしく感じた。門扉前には心配になって心細くなっていた細野が待機していた。あと少しで洞口だ。

大穴鍾乳洞・洞口付近
出洞!(平宗雄氏撮影)
16:30、出洞。雨は降っていないものの、対岸は少しガスっているような状況だった。隊員の顔は皆安堵の表情だった。
洞口前で集合写真を撮影。入洞と打って変わって泥にまみれた最高の1枚である。

17:15、車両に到着。皆それぞれに撤収作業や着替えをした。
その最中に平さんのお知り合いの女性の方が登場。地鎮祭に使用したものとのことで、立派な大根や鯛をいただいた。疲れが吹っ飛んだ。千葉は女性に洞窟装備の購入先を教えていたようだ。

セデッテかしま
ご当地グルメ「なみえ焼きそば」
17:30、落ち着いたところで解散式。
おじさん組(千葉・村野・細野)は常磐自動車道・南相馬鹿島SICより高速に乗り、南相馬SAのセデッテかしまにてお土産購入やなみえ焼きそば(800円)を食べてから岐路につく。
他の者はそれぞれの事情で急いでおり、寄り道なしで直帰した。

23:45、隊員全員の帰宅を確認。完全活動終了。


「大穴鍾乳洞」の話を聞いたのは2月の定例ミーティングであったが、その時に聞いていたものをはるかに超える素晴らしい穴だった。
平さんの知識にはただただ感服した次第で、ただ洞窟を探検するというものにはならず、自分にとって興味深い新しい知識や着眼点を与えてくださったことに感謝したい。
大穴鍾乳洞・東の物見付近
洞窟棲カニムシ(平宗雄氏撮影)
また、洞壁に書かれた先人たちの記録は、私にとっては目の前で見られたことに感動と探求心をさらに植え付けてくれた。もしかしたら簡単な内容なのかもしれないが、これまで気にも留めていなかったことに興味をもてたので、本活動は非常に有意義なものになったと思う。
またいつか入洞できる時には、さらに新しい出会いがあることを楽しみにしたいと思う。(文責 平間 弦・千葉伸幸)

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