タイトル | 第7回日本山岳耐久レース | ||||||
会 場 | 東京都あきる野市、西多摩郡檜原村、西多摩郡奥多摩町 | ||||||
日 程 | 1999年10月23日(土)〜24日(日) | ||||||
参加者 | 千葉、細野、雨宮(サポート)、村野(サポート) ほか参戦者1000名以上 | ||||||
コースはあきる野市役所〜市道山〜生藤山〜浅間峠〜西原峠〜三頭山〜月夜見山〜御前山〜大岳山〜御岳山〜日の出山〜あきる野市役所という、檜原村を周回するルート。22.5q地点(浅間峠)、42q地点(月夜見山)、58q地点(御前山)にはそれぞれ関門が設置されており、制限時間を過ぎると失格となる。 当然、ライトや水、行動食は携行しなければならない。 興味を持った細野が旅団員に話を持ちかけたところ、挑発された千葉が参加表明、雨宮・村野がサポートすることになった。 細野・千葉は学生時代にボーイスカウト100qオーバーナイトハイク(24時間以内)に2回参加しており、楽に完走していたために気楽な気持ちで参加した。 23日当日は快晴、絶好のコンディションである。まずは受付へ行き、「地底旅団ROVER元老院」所属で登録する。 続いて持ち物検査を行い、それから準備にとりかかる。極力軽量化を図るため、水2リットル、行動食はビスケット類、防寒具は地R元つなぎとパーカーのみとした。 16:00、スタート。千葉・細野は一緒に歩き始めるが、2q地点で細野が先へ行く。千葉は10q地点でペースを掌握、下りを走ることにより細野との順位を逆転した。そして、これがレース中に千葉が細野を見た最後であった。 千葉は順調に第2関門「月夜見山」を目指す。しかし、想像以上に空腹と喉の乾きがすすみ、水と食料をほとんど消耗してしまった。歩き始めてまだ20km程度である。これはまずい・・・。 その後の20q間は水分補給もなく、泥水をすすりながらなんとか第2関門に到着。水1.5リットルの補給を受け、睡魔に勝てずに仮眠後する。このときの気温は6℃。考えていたものよりもかなり寒い。 24日2:00、再スタート。疲労と睡魔から夜露で濡れた斜面を滑落、時には骨折するものが続出する。千葉もひと登りごとに休憩、その都度30分ぐらい寝てしまい、身体が寒さで硬直して目覚めるということを繰り返す。食料も完全に底をつき、頭には焼肉、トロ、コーラなど口当たりの良い物ばかり浮かぶ。精神的にはかなり辛い。 意識がもうろうとするなか、御前山の石灰岩を視認、ケイビングのことを考え気を紛らわす。 なんとか大岳山に到着。計算すると、このペースだとタイムオーバーとなってしまうことがわかり、気力を振り絞ってペースをあげる。リタイヤだけは避けなければならない。 14:00、スタートから22時間13分後にゴール。雨宮・村野に出迎えられ、その傍らには細野もいる。さすが細野、やはり私よりも早い。何時間でゴールをしたか問うと、第2関門でタイムオーバーしたとのこと。・・・・。誘っておいてリタイアとは汚いやつだ。
千葉の順位は649位。全体では200名近くのリタイアがあったらしい。自虐的行為を望む方には、是非参加していただきたい。(文責 千葉伸幸) |
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