タイトル | 地底旅団ROVER元老院第93回CAVING | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サブタイトル | お遍路、八十八ヶ所、結界、死者。そして・・・・穴。四国洞穴巡礼 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
分 類 | ファンケイビング | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
入洞洞窟 | 龍河洞、桑尾の小穴、桑尾の風穴、猿田洞、安森洞(タルブチ洞窟)、穴神鍾乳洞、龍雲鍾乳洞、羅漢穴、黒岩洞(堤鍾乳洞)、竜宮穴、法華津鍾乳洞(穴御前) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日 程 | 2002年12月30日(月)〜2003年1月5日(日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参加者 | 千葉、大池、宮野原、春山、甲斐洋介(岡山大学ケイビングクラブOB)、山口文恵(九州大学探検部OG)、松澤亮(東京スペレオクラブ) 以上7名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002年に引き続き、正月ファンケイビング合宿を計画した。四国カルストにおいては、同日程にて竪穴活動を行う戸田班(年末阿哲台・年始四国カルスト)と一部宿泊所を共有、活動メンバーも随時入れ替わるような体制となった。 30日20:00、千葉・大池・宮野原・春山は東京を出発。千葉愛機サファリで中央道、名神道、中国道、山陽道と清掃し、瀬戸大橋(瀬戸中央道)経由で四国へと向かう。 31日(大晦日)5:30、瀬戸中央自動車道・与島SA到着、無料マッサージ室にて休憩を取りながら、阿哲台活動していた甲斐君を待つ。 9:00、甲斐君合流。早速、讃岐うどんを食べに向かう。しかし、電話にて問い合わせてみると、大晦日ということでほとんどが玉売りのみ。 やっとのことで、究極セルフ店「なかむら」を探し当てる。入店前に甲斐式讃岐うどん講座を受講、おそるおそる入店する。うどん玉をもらい、ネギを刻み、大根をおろし、好きなものトッピング、だしをかけ、自分で計算して店主に代金を手渡す。全てセルフサービスだが、時としてうどんを湯がいたり、畑からネギを取ってくることもあるそうである。柔らかくもコシがある初讃岐うどんを各自2玉ずつ堪能した。 取りあえずお腹が一杯になってしまったので、甲斐君が阿哲台で案内したことがあるという越智宅へ立ち寄る。 その後、「山下うどん」で再びうどんを食す。今度はレモンが入っており、これがなかなかマッチしていて美味。讃岐うどんはとにかくおいしいものであった。 14:30、「龍河洞」に到着。すぐさまつなぎに着替え、探検コース(無照明)巡検の受付を済ます。案内人は12月6日に村野@地R元がお世話になった岡崎さんを指名。カーバイドランプに照らされながら段差を昇降、1時間の活動を終える。二次生成物などの見どころはないが、一般人なら手応えある活動になるのではないだろうか。 観光部分に戻って土器「神の壺」などを見学、入洞券売場で踏破証明書をもらう。 その後、「龍河洞観光センター」に立ち寄って洞穴パスポートに押印。報告書を数冊購入してから「龍河洞」を後にした。 途中、踏破証明書を提示すると割引されるという温泉宿「龍河温泉」にて入泉。買いだし。 19:30、桑尾地区に到着する。設営後、チーズフォンデュと刺身で豪華な夕食。紅白歌合戦を聞きながら消灯。
元日6:30、起床。野犬か何かに荒らされた形跡があるが被害なし。寒さをこらえて朝食、撤営。 8:00、活動開始。まずは「桑尾の風穴」へ向かう。濡れないように鏡川対岸へ渡り、プロット記載より洞口を探す。最初に入ったのは獣骨散らばるループ洞で「桑尾の小穴」であった。 続いて本命「桑尾の風穴」へ入洞する。数ヶ所の段差に春山は苦戦し、やっと約100m地点まで到着。ここでタイムアップとなってしまう。 10:00、出洞。これからというところでのUターンとなってしまい、再入洞を試みたいものである。 10:30、桑尾地区出発、猿田地区へ向かう。 11:30、猿田地区到着、日高村産業郷土資料館には事前許可を得ていたのですぐさま入洞する。 まずは洞口にある「猿田龍王神」に初詣、本年の洞内安全祈願をする。その後、観光ルートを進むと、放棄された照明配線やアングル構造の梯子があり、迷うことなく洞奥へ進む。途中、電球傘にぶら下がったキクガシラコウモリなどの撮影を行い、上部洞口から出洞となった。 14:00、猿田地区出発して十和村の甲斐邸へ向かう。 途中、須崎市「ぼっちり」に立ち寄り、名物・鍋焼きラーメンを食す。これは町をあげてPRしているもので、ぐつぐつと煮込んだラーメン、まさにB級グルメである。各自、普通・豚・ネギ・キムチ・激辛を注文、皆でつつきあってそれぞれの味を楽しんだ。 15:30、おみくじを引きたいとのリクエストから久礼八幡宮で一般式初詣。 その後、温泉宿「黒潮本陣」に立ち寄るが時間外で入泉できず。しぶしぶ十和村へ向かう。甲斐邸のそばの「十和温泉」で入泉。 19:30、甲斐邸到着。一段高いところにあり、一人暮らしとしてはかなりの広さであるが、風が吹くとカーテンが揺れるというなかなかの建て付けである。 簡単に清掃して夕食。お節、雑煮、アマゴと豪華な晩餐であった。
2日6:30、起床。朝食。 8:00、四万十川にかかる「岩間沈下橋」に到着。日本最後の清流と言われるだけあって透明度が高い。沈下橋も素朴で景観に溶け込んでいる。ここで何故か水切り大会。30分間楽しむ。 9:00、JR松丸駅で春山離脱、一足先に東京へ帰る。 9:30、連絡しておいた「安森洞」到着。ここは夏季には流しそうめんが名物となっている70m程度の観光洞である。安森洞保存会会長の岡本氏に発見・観光化経緯を説明して頂き、洞内を観光した。 10:00、やはり連絡しておいた「穴神鍾乳洞」到着。鍵を開けてもらい、洞窟遺跡や発見経緯を説明して頂いた。 11:30、小藪温泉に到着。ここでのお目当ては「龍雲鍾乳洞」である。名称だけは知っていたが、所在地が全く分からず、県内市町村に尋ねてやっとの思いで見つけた旧観光洞である。 職員に挨拶すると、洞窟は隣の建物にあるという。建物にある?と思いながら進むと、扉の脇に「鍾乳洞入口」の文字。勝手口のような扉を開けると、前方と右手に1枚ずつ扉出現。前扉は放棄された部屋へ続き、右扉は階段を数段降りる。コンクリートで固められた通路を進むと、あった!洞口である。洞内は立って歩け、丸い照明器具が放置されている。数ヶ所で上部建物と連絡しているようだが、どれもコンクリートで塞がれている。規模は30m程度というところか。 出洞し、放棄された部屋を探索する。すると小さな洞穴風呂を発見。これが外に描かれていた乳洞湯らしい。後で話をうかがうと、一昔前まで立派に機能していたらしい。しかし、狭い過ぎる浴槽・・・。 14:00、道の駅「ひじかわ」で昼食後、「羅漢穴」に到着。あたりは銀世界。 甲斐君は洞口待機ということで、地R元3名(千葉・大池・宮野原)のみの入洞となる。天井高3m程度の主洞を進むとテングコウモリが数頭おり、特徴を説明してから分岐点まで進む。まずは「左洞」へ向かい、バーミキュレーションを観察、再奥プールを確認してから分岐点に戻る。次ぎに「右洞」へ向かい、1986年に発見された支洞に入るものの、途中でタイムアップとなって出洞した。 17:00、積雪のため遠回りして愛媛大学石舟ロッヂに到着。合流予定の戸田班はまだ来ていない。暖を取り、内外を整備、夕食、消灯というところへ戸田班到着。 よって、甲斐君が戸田班へ移り、文恵嬢と松澤さんが千葉班へ移った。 23:00、消灯。
3日6:00、起床。まだ真っ暗のなかでの朝食。 7:00、千葉・大池・宮野原・松澤・山口は愛大ロッジを出発、雨天のなか「黒岩洞」に到着する。 9:00、入洞開始。すぐに+5m段差に到着する。フリーで登れるものの、帰路のことを考えてラダーを張ることにする。 千葉・文恵嬢は一旦出洞し、ラダーとダイナミックロープを持って再入洞する。ラダー+ビレイを設置、上層部へ進み、崩落ホール上部で写真撮影を行う。 その後に洞奥へ進み、迷路状のところで多少迷うものの、砂床空間に到達する。ここから最奥部は砂で埋没しており、残置してあったスコップを借用してディギングを開始する。十数分後開通、最奥で砂浴びを済ます。 12:00、出洞。 岩陰状態の洞口前で昼食、その後「筒城穴神洞」へ向かう。しかし、アプローチ道が見つからず、雨足も強くなってきためキャンセル。 徒歩アプローチ0分という「竜宮穴」へ向かい、宮野原だけが入洞した。 いつ雪に変わってもおかしくないぐらい冷え込んできたため、早めに活動を切り上げて温泉へ向かう。 15:30、国民宿舎古岩屋荘「古岩屋温泉」にて入泉。 17:30、愛大ロッヂに帰還する。「竜王洞」リギングと「羅漢穴」ファンに行っているはずの戸田班は帰還しておらず。我々は夕食をとる。 22:00、消灯。戸田班とは同じ屋根の下にいるにもかかわらず、活動時間帯が違うので会話が出来ないのが残念である。ま、数ヶ月以内にまた会う者ばかりだが・・・。
4日6:00、起床。またしても真っ暗のなかで朝食。我々は完全撤収につき、備品と両班のゴミを詰め込む。 8:00、愛大ロッヂを出発する。外は大雪ですでに10p近く積もっている。途中、吹雪によりホワイトアウトしながらも無事下山、ひたすら西走する。 10:00、名水100選「観音水」到着。別に名水マニアでも何でもないが、洞窟から湧水=水穴と聞けば行かないわけにはいかない。 山道を登ること5分、洞口に到着。昼間から名水の闊歩する訳にもいかないので、おとなしく洞内を覗き、一口飲んでから撤収。 11:00、昭和50年代の古い写真と同じ風景に到着。どうやらここが「法華津鍾乳洞」付近のようである。 準備後、みかん畑に立ち入らなければならないので人を捜すが、誰もいないので無断通過させてもらう。振り返ると眼下に法華津湾が広がっている。気分がいい。 洞口を確認して入洞開始。すると、外光の差し込む入口より数mの洞壁に、東日本ではあまり見慣れないコウモリを3頭発見。よく観察するとユビナガコウモリのようである。でこっぱちな姿がかわいい。 鉄柵を通過し、まずは再奥を目指す。ほとんど予備知識が無かったせいか、高低差もあってなかなか楽しい。グアノで生物観察会をすると、大池と宮野原は実際にカニムシを見たことが無かったため大喜び。特徴や行動習性を事細やかに教えてからグアノタワーを探す。当然ながらここも生物の宝庫で、まさによだれものの糞塔であった。 14:00、出洞して撤収。このまま里帰りをする宮野原はJR上宇和駅で離脱、残り3名は名湯「道後温泉」へ向かう。 「道後温泉本館」は芋洗い状態という情報を得て、隣接する「道後温泉 椿の湯」入泉。グアノを流す。 商店街で名産品を買い込み、フェリーで帰る文恵嬢は松山観光港で離脱する。 19:30、残された千葉・大池2名は帰京体制。 松山市内に戻ると、松山自動車道は降雪のため一部通行止め。降雪のために瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸道)も閉鎖されたという。 国道11号線で瀬戸大橋(瀬戸中央道)へ向かうが、峠道「桜三里」の手前で大渋滞。峠前後には40台以上車両が放棄され、10台近いレッカー車が奔走する事態となっていた。スタッドレスもチェーンも履いていない車ばかりなので当然である。 そんななかで瀬戸大橋も閉鎖されたという情報が入る。残る橋は明石海峡大橋(神戸淡路鳴門自動車道)のみ・・・。徳島ラーメンでも食べていくか。 25:00、やっと愛媛県脱出。5時間もかかった計算である。徳島ラーメンはコンビニ飯に変更。 大池は助手席で爆睡、ワンドライバーはつらい。 その後は順調に東走。
5日13:00、解散となった。 昨年に引き続き、大雪に祟られた初四国洞穴であったが、元日の段取りに無駄が無く、非常に充実した活動であった。地R元の結束力も昨年に増したと思う。 途中出洞となってしまった「桑尾の風穴」、見つからなかった「筒城穴神洞」、戸田班の入洞した「竜王洞」など、まだまだ入って見たい洞穴はある。讃岐うどんも食べ足りない。また近いうちに四国合宿を開催したいものである。 最後に資料を提供してくれたパズル&ササ@高知大、本田嬢@愛大には感謝いたします。(文責 千葉伸幸) |
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