タイトル | 地底旅団ROVER元老院第75回CAVING | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サブタイトル | 第41次内間木洞調査委員会プロジェクト
at 山形村・内間木洞 日本洞窟学会洞窟救助委員会主催 内間木洞洞窟救助訓練 |
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分 類 | 合同・調査(測量)・レスキュー訓練ケイビング | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
入洞洞窟 | 内間木洞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日 程 | 2002年5月2日(木)〜6日(月) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参加者 | 千葉、酒井、中野、宮野原、菊地敏雄、山口泰史、松本力(以上、東山ケイビングクラブ)、平宗雄、渡辺欣孝(以上、あぶくまけいばぁずくらぶ)、向山満(青森県立三戸高等学校)、後藤聡、落合直之、山西敏光、森住貢一、石川典彦、湊幸栄、松澤亮、大久保秋、両角耕一、村田玲奈、大河内彩子、Jessica Snider(以上、東京スペレオクラブ)、小林日、戸田聡、小久保純子、佐藤光則(以上、亀戸ケイビングクラブ)、佐藤千春(パイオニアケイビングクラブ)、宮崎哲(富士山火山洞窟学研究会)、中村允彦(明治大学地底研究部OB)、湊正代(早稲田大学探検部OG)、鈴木知昇(愛媛大学探検部OB)、宮崎朋彦、槇島啓子(以上、明治大学地底研究部)、渡辺佐保、石田慎二、金子雅一、荒巻大輔、森拓一郎(以上、法政大学探検部)、田中則清(日本大学探検部)、藤澤典子、佐藤晴樹(以上、拓殖大学探検部)、鶴巻琴子(東海大学探検会) 以上42名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1995年から「東山ケイビングクラブ」を中心に行われている内間木洞調査委員会プロジェクト、今調査の日程は4月28日(日)〜5月6日(月)である。同日程で洞窟救助委員会主催のレスキュー訓練も行われた。 2日20:00、地R元は中村君・宮崎君と共に東京を出発する。現地ではすでに7名が活動(北洞の新洞測量・レスキュー訓練準備)しており、我々2日発組は第3陣となる。 7:00、管理者である松坂家に挨拶、開洞してもらう。実は電話予約時に内間木洞調査の話を持ち出し、無理を言って朝早く入洞させていただくことになったのである。 この縄文遺跡洞はホールと小支洞からなり、総延長約80mと規模は小さいものの保存状態が良い。発掘時の話を聞き、二次生成物やコウモリを観察して出洞。 松坂さんに自家製リンゴジュースを頂いてから内間木集落へ向かう。 13:00、昼食後に洞外講習を再開する。講習内容はZリグ(ロワーリング、チェンジオーバー)、担架の扱い方(水平、垂直での扱い)、チロリアンブリッジの扱い(張り方、チロリアン上の移動)。千葉は初めてストレッチャーを扱うこととなり、想像していた以上に搬送にコツがいることを認識させられた。 その後、洞内に移動。「千畳敷」にてチロリアンブリッジ+ホーリングの訓練を行った。 レスキュー訓練に参加しなかった酒井・中野・宮野原は、「稲妻洞」ファンケイビングを行う。中野・宮野原は初「内間木洞」、酒井も「稲妻洞」は初めてである。まずは「稲妻ジャンクション」で迷い、何とか「第2ヘアピン」に到達するも「ずぶ濡れチムニー」が確認できずタイムアップ、出洞となった。 「べっぴんの湯」にて入泉、帰路にいつか見たようなつなぎ姿の人物を発見する。挨拶してみると、やはり平さんである。2年前と全く装備が変わらない姿であった。 夕食後、飲んだくれて消灯。
4日9:00、翌日のレスキュー用リギングを開始する。「銀河の滝」班は湊(幸)・小林・大久保・両角、「魔のチムニーbQ」班は山西・湊(正)・戸田・田中、「魔のチムニーbP」班は後藤・千葉・小久保、「稲妻洞入口」班は落合・宮崎・金子の体制。各セクション設置をほぼ完了する。 14:30、タイムアップとなって出洞した。 千葉を除く地R元班は、「南洞・南の部屋」手前の空間を補足測量した。体制はスケッチ酒井、コンパス鶴巻、メジャー宮野原、データ記載中野。全員が測量経験の浅いメンバーであった。 「スケッチはあるが基線が張ってない場所の測量をやってほしい」という山口さんの説明を受け、当初は既存スケッチの肉付け測量かと思いきや、しっかりスケッチを行うこととなった。 9:30、入洞。山口さんから測量箇所の説明を受ける。小ループ空間であるが、竪穴と水流のある重要なポイントであるとのこと、再測量は時間的に不可能ということを聞かされプレッシャーを感じる。竪穴と斜洞のループ、滝の表現に苦しみながらも、山口さんの指導を受けながら鍾乳石やムーンミルク風の未確認鉱物を発見する。 11ポイントをとり測量を終了する。 13:30、出洞。総延長は22mあまり。命名権を与えられたので、小ループ空間であることと中野ちえの名前を取って「ちえの輪ホール」と命名した。
15:30、山形村主催「内間木洞調査報告会(打ち上げ)」の為に平庭山荘へ向かう。なんと送迎バス付きで、今夜は布団で寝ることができるらしい。 到着後、まずは風呂に入り、その後会場へ。村長、村議会員の方々の挨拶に始まり、菊地さんの調査報告。村民も総延長国内第3位の洞穴があることを非常に喜んでいるようである。調査員の簡単な挨拶後、乾杯。のどごしの良い地ビールや短角牛など美味しい料理をたらふく頂いた。これまで横のつながりが少なかった酒井・中野・宮野原も多くの者と交流を深めた。 20:00、翌朝一足先に帰る酒井は、ロビーで山口さんと地R元メンバーに見守られながら製図作業を行う。幾度となくダメだしを受け、23:00にやっと山口さんに受理される。 その後千葉は、菊地さん、山西さんらと次巨大プロジェクトについて話してから消灯となった。発動したら10年コースになることは間違いない。嬉しいやら悲しいやら・・・・。
5日8:00、平庭山荘で朝食後、「内間木洞」へ戻る。 10:30、千葉はレスキュー訓練を開始する。内容は稲妻洞・銀河の滝上部から洞口までの搬出」、総勢23名の訓練である。 まずは「銀河の滝」を登攀し、13:30「天空の間」にてビクティム(事故者)を担架に収容、レスキュー開始となる。 第1セクションは−13m「銀河の滝」。CL湊さん。直降すると滝に濡れてしまうため、途中でチロリアンブリッジに移動して搬送した。その後、「雷神の滝」付近まで横穴搬送。 第2セクションは+10m「魔のチムニーbQ」。CL山西さん。ホーリング+チロリアン、その後斜洞を1/3システムで搬送した。一旦「ずぶ濡れチムニー」を通過させ、再び「魔のチムニーbP」下まで横穴搬送。 第3セクションは+8m「魔のチムニーbP」。CL後藤さん。カウンターウェイトでホーリングし、クラック通路をチロリアンブリッジ、その後狭斜洞を横穴搬送した。一旦「稲妻ジャンクション」を通過させ、再び「稲妻洞入口」下まで横穴搬送。 第4セクションは+5m「稲妻洞入口」。CL落合さん。ホーリング+チロリアンで崩落帯を通過し、その後「千畳敷」までロワーリングを行った。 18:40、全てのレスキュー訓練を終了した。 宮野原は未測支道測量とファンをかねて「北洞」へ向かう。体制はスケッチ宮野原、コンパス山口、メジャー鶴巻。いくつかの測量を終え本洞に出ると、山口さんの指示で支洞の確認を行う。出口で山口さんと出会うはずだったが、出た所は別の場所。「あれっ?じゃあこっちの穴は?」と言うことで新洞を発見することとなった。すぐさまこれも測量を行い、命名権を得た宮野原は、ニックネームとヘリクタイトがあることから「半蔵ラセン支洞」と命名した。 入泉・夕食後、レスキュービデオの放映会を行い、各セクションのチェックを行った。その後、飲んだくれて消灯。
6日9:00、装備洗いやプレハブ小屋撤収作業を行う。 12:00、内間木集落を出発。 14:00、盛岡市内で再び集合、皆で遅めの昼食を取ってから帰京となった。 レスキュー訓練に関しては、初参加ということもあって非常に勉強になった。意外であったのは横穴搬送の難しさ。ビクティム曰く、あちこちぶつけられたり逆勾配が付いたりと、かなり辛いものであったそうである。また、1m程度の段差や狭洞での搬送は、機転をきかす必要性が大であった。 全体としては、各CLにより段差部での流れは良かったのだが、一部で声の掛け合いが無かったり、ビクティムを担架に寝かせる手順が違っていたり、狭洞部で個装を背負っていたりと、細かな問題点も多かった。 地R元としては、全員がせめて横穴搬送のリーダーシップぐらい取れるように育成していきたいと思う。 測量に関しては、酒井は山口さんに徹底した製図をたたき込まれた。これほどに製図を教わる機会は最初で最後であるかと思うと、今回の測量に参加させていただいたことは非常に幸運だと感じたようである。 宮野原は前々から洞穴に自分の名前を残したく思っていたのでかなり喜んだ。測量についても勉強になり、これからの意欲もモリモリと沸いたようである。 前回調査で完全に終わったはずだったが、これで測図も発行されることとなり(報告書は発行済)、本当に「内間木洞」調査は終了となった。3340mであった総延長は6000mを越えた。地R元としては後半2年半の参加であったが、測量を学び、人脈を広げと非常に有意義な活動であったと思う。 今後は2月の氷筍祭りのファンケイビングのみとなるが、自主的に山狩りも行いたいと考えている。「第2洞口」を発見するために!(文責 千葉伸幸・酒井智文・宮野原弘規) 地底旅団ROVER元老院と内間木洞 1.参加期間 2000年2月11日〜2002年5月6日 2.参加調査 第24次内間木洞調査合宿 第26次内間木洞調査合宿 第27次内間木洞調査合宿 第31次内間木洞調査合宿 第32次内間木洞調査合宿 第33次内間木洞調査合宿 第35次内間木洞調査合宿 第36次内間木洞調査合宿 第37次内間木洞調査合宿 第40次内間木洞調査合宿 第41次内間木洞調査合宿 ※2002年2月以降の全国ケイバー招集調査には全て参加。 3.参加旅団員 千葉伸幸 黒田さち子 大池香里 酒井智文 宮野原弘規 中野ちえ 以上6名 4.参加延べ旅団員数 23名 5.調査箇所
6.命名・地R元関係箇所
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