タイトル 地底旅団ROVER元老院第73回CAVING
サブタイトル 第3回婆々穴ケイビング
分 類 合同・調査(測量)・レスキュー訓練ケイビング
入洞洞窟 婆々穴(バンバ穴)
日 程 2002年4月13日(土)〜14日(日)
参加者 千葉、雨宮、酒井と、酒井ゆ、中野、大池、伊東典夫、勝間田隆吉、宮崎哲、小山啓介、佐藤千晴、伊藤裕(以上、富士山火山洞窟学研究会)、落合直之、後藤聡、山西敏光、木崎裕久、森住貢一、湊幸栄、松澤亮、大久保秋、 両角耕一、大河内彩子、末次隆之、松岡千春(以上、東京スペレオクラブ)、中村允彦(明治大学地底研究部OB)、戸田聡(亀戸ケイビングクラブ) 以上26名
酒井富士宮実家
名誉団長と記念撮影
婆々穴・洞口
SRTで入洞開始
婆々穴・洞口直下
洞口ピッチ−17mを降下
婆々穴・旧洞
毛の白いコキクガシラコウモリ
婆々穴・新洞
磁気影響のため大分度器を使用
婆々穴・洞口
ホーリングシステムで回収
富士山麓に開口する「婆々穴」は、姥捨て伝説が残る溶岩洞である。洞口は竪穴となるガス噴出孔であり、容易に入洞することは出来ない。
これまで総延長は621.2m(旧洞部のみ・溶岩洞国内第8位)とされてきたが、2000年に富士山火山洞窟学研究会・東京スペレオクラブにより新洞部が確認、01年には仮測量が行われて+約480mと報告された。
これらの予備調査に続き、今回は完全測量することになり、本企画に地R元も協力させていただくことにした。また、同時にレスキュー訓練も行うこととなった。
なお、1978年にはテレビ番組「水曜スペシャル・川口浩探検隊シリーズ/姥捨て!!富士山麓謎の巨大洞穴に老婆は生きたまま投げ捨てられた!!」による伝承確認調査?が行われている。


13日深夜、地R元は富士宮市内の旅団員酒井の実家に到着する。ここで2年振りに名誉団長と再会、十八番料理の煮込みを頂きながらの宴会となる。やはり旨い。
14日9:00、新富士オートキャンプ場にて富士山火山洞窟学研究会・東京スペレオクラブと合流する。話によると、前日は新洞部途中まで測量、洞口にはチロリアンブリッジ+ホーリングシステムをセットしたということである。
地R元は一足先に伊東典夫さんと洞口へ向かう。「これが川口浩の入った穴」と思うと、世代的に感無量である。

10:00、各自SRTにて入洞開始。洞口直下の洞床は川口浩探検隊によって掘りならされ、ここでは獣骨に混じって正体不明の骨が発掘されたことになっている。何故か雨宮が洞口付近で線香を焚いたため、洞内に煙が充満、かえって気味が悪い・・・。
洞床へ到達後、すぐさま洞奥へ向かと、天井部にコキクガシラコウモリのコロニーを確認する。細かく観察していくと、一頭の白いコウモリを確認する事ができた。+2m地点にいるため近づくことはできないが、体毛だけが白い。どうやらアルビノ種ではなく、毛の色素をつくる能力に異常がある個体のようである。かわいい。

11:30、新々洞部入口に到着する。昼食後、スケッチ千葉、大分度器(方位角)伊東、クリノメーター(斜角)酒井、メジャー大池・中野の体制で新々洞部測量を開始する。この新々洞部は前日に戸田君と両角君がディギングして確認したものである。通常、測量はコンパスによって方位を測定するが、磁気の影響を考慮して大分度器を使用した。順調に最奥部に到達、反転して新洞部入口へ向かい、合計166.4mを測量する。溶岩洞は比較的洞内形態が単純なのでスケッチは楽であった。
新洞部アプローチ途中で残置された雨宮は後発隊と合流。スケッチ宮崎、大分度器松澤、メジャー雨宮・松岡の体制で新洞部中間地点より洞奥へ向かって測量、地R元班と接続して終了となった。

17:00、洞口到着。千葉はSRTにて出動したが、多くの者は待ちかまえていた東京スペレオクラブによって強制搬出(ホーリングシステム)となって出洞した。

18:30、地R元は現地で分流、その後「天母の湯」にて入泉して解散となった。


地R元5名参加中3名が初溶岩洞であり、また初の大分度器使用測量と新たな経験をした。
アルビノ・コウモリ観察も貴重な体験であった。
しかし、いつ入洞しても溶岩洞は長く感じるものである。
今調査結果は富士山火山洞窟学研究会会報により発表、溶岩洞総延長国内第3位にランクされる予定である。(文責 千葉伸幸)

「活動報告」に戻る
 次の「個別活動報告」へ進む TOPへ戻る

2002 Copyright(C) 地底旅団ROVER元老院
cavers_rover_in_tokyo@yahoo.co.jp