タイトル | 地底旅団ROVER元老院第44回CAVING | ||||||
サブタイトル | 第33次内間木洞調査委員会プロジェクト at 山形村・内間木洞 | ||||||
分 類 | 合同・調査(測量)ケイビング | ||||||
入洞洞窟 | 内間木洞 | ||||||
日 程 | 2001年2月10日(土)〜12日(月) | ||||||
参加者 | 千葉、黒田、菊地敏雄、山口泰史、松本力(以上、東山ケイビングクラブ)、向山満(青森県立三戸高等学校)、後藤聡、木崎裕久、森住貢一、松澤亮(以上、東京スペレオクラブ)、大岡素平、小林日、戸田聡、小野秀一郎(以上、亀戸ケイビングクラブ)、大池香里(立正大学探険部)、浅井里佳、高道和博(以上、大阪市立大学探険部)、甲斐洋介(岡山大学ケイビングクラブ) 以上18名 | ||||||
10日11:00、アイスバーンに苦戦しながら現地到着、これで全員が到着する。 12:30、各班に別れて活動開始する。千葉班の投入箇所は「稲妻洞・第2ヘアピン」。体制はスケッチ千葉、コンパス小野君、メジャー黒田・大池さん。大池さんは測量はおろか、初ケイビングである。「モルタル坂」付近の狭洞部に手間取りながらも、無事「第2ヘアピン」に到着する。まず初めに、「第2ヘアピン〜魔のチムニーbQの上層ルート」の再測を行う。+9mの「ずぶ濡れチムニー」登攀に苦労するものの全員通過、既存ポイントに接続して16:00に終了した。 次に「第2ヘアピン〜魔のチムニーbQの本洞ルート」の測量を行う。ここはほぼ通年完全水没しており、調査開始以来見送られていた箇所である。測量しながら進んでいくと、水はかなり減ってはいるがやはり水没している。しかし、よく見てみると隅の方に水面から高さ5p、幅15p程度開いている箇所があった。この機を逃してはもう後がない。千葉は片手にマグライト、片手にメジャーを持って水くぐりを決行、続いて小野君も無事通過して測量を完成させた。この時期の内間木の水は非常に冷たく、ガタガタ震えながら17:30出洞した。 他班はJ支洞のディギング(許可取得済)、「禁断の森」水没部の連結、「南洞」の新支洞測量、「風寒洞」のラダーセッティングを行った。 その後、入泉、夕食(ビーフシチューとチキンナゲット他)、ミーティング、消灯となった。 11日10:00、地元の氷筍観察会と並行して活動開始となる。 後藤さん(ディギング)、戸田くん(ディギング)、山口さん(補足等)、森住さん(洞内気象)以外は、全員「風寒洞」再測に向かう。 木崎班は「あきらめのホール」手前、大岡班はホール中央、松澤班はホール奥、小林班は支洞の測量を行う。 千葉はスケッチ小林さん、コンパス千葉、メジャー大池さんの体制。天井高が30〜50pのルートで、終始寝ながらの測量であった。 黒田はスケッチ大岡さん、コンパス黒田、メジャー浅井ちゃんの体制。細かく基線を張ってホールの完全測量をした。各班キリの良いところで終了、18:00出洞した。 その後、入泉、夕食となる。今回のメニューは唐揚げ、チキンチーズカツ、天麩羅、バナナの唐揚げであった。前半は喰い手が先行していたが、シェフ山口、木崎料理長に松本コックが加わり、最終的には喰い手の大敗となった(当然、翌日の朝昼飯となる)。 ミーティング後、消灯。外気温は−10℃以下・・・。 12日10:00、活動開始する。 千葉と黒田は新洞「J支洞」測量、大岡班はラダー撤収、その他は宿泊所清掃を開始する。 測量班はスケッチ戸田くん、コンパス千葉、メジャー黒田の体制。菊地さんも入口まで同行するが、溶け残しの一部が頭に落下、負傷して病院直行となった(数針縫う)。 測量はそつなく終了、氷筍見学をして11:30出洞した。 13:00、千葉車と松澤車は内間木を出発。 千葉車は「白龍」で盛岡名物じゃじゃ麺を食すが、残念ながら口にあわなかった。 23:30、不満を残しながら帰京となった。 残すところ未測量箇所は、今回開いた「稲妻洞・第1ヘアピン」、「風寒洞」の半分である。20人体制で行えば、2日で終わりそうである(水没しなければの話だが)。次回は5月連休の予定、最後という噂があるが本当に最後となるのであろうか。(文責 千葉伸幸) |
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