タイトル | 地底旅団ROVER元老院第268回CAVING | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サブタイトル | 中欧洞穴巡見 in スロヴァキア・ハンガリー・スロヴェニア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
分 類 | ファンケイビング・観光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
入洞洞窟 |
ドミツァ(Domica)、ズボニヴァの竪穴(Zvoniva Jama)、オクチンスカ・アラゴニトゥ洞(Ochtinska Aragonitova Jaskyna)、デメノフスカ・スロボディー洞(Demanovska Jaskyna Slobody)、スタミショスカ洞(Stanisovska Jaskyna) パールヴォルジ洞(Pal-volgyi-barlang)、ブダペスト・ラビリンス(王宮地下迷宮/Budavari Labirintus)、洞窟教会(Sziklatemplom) シュコツィヤン洞窟群(Skocjanske Jame)、ポストイナ洞(Postojnske Jama)、プレド洞(Predjama)、クリジィナ洞(Krizna Jama) |
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日 程 | 2012年4月27日(金)〜5月6日(日) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参加者 | 千葉の 以上1名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スロヴァキア共和国は、人口約540万人(日本の約1/23=東京都の半分以下)、面積約4.9万ku(日本の約1/7)という中央ヨーロッパに位置するEU加盟国である。1993年にチェコスロヴァキアが連邦解消、分離独立した若い国で、1990年までは社会主義国であった。 ソニーやパナソニックなどの日本企業が海外拠点としているが、一般的には日本人との関わり合いは薄く、観光ツアーもブラチスラヴァ旧市街に半日立ち寄る程度である。 しかし、スペレオロジストやケイバーにとっては無視できない国のひとつである。スロヴァキア憲法の第1章第4条には「鉱物資源、洞窟、地下水、天然温泉、水はスロヴァキア共和国が所有している。(Nerastne bohatstvo, jaskyne, podzemne vody, prirodne liecive zdroje a vodne toky su vo vlastnictve Slovenskej republiky.)」とあり、洞窟を国家財産としていることが分かる。国内には5650を超える洞窟があり、国営観光洞の12洞は環境省の直属機関「スロヴァキア洞窟管理事務所(Spravy Slovenskych Jaskyn)が管理・運営をしている。 また、「アグテレク・カルストとスロヴァキア・カルストの洞窟群(Caves of Aggtelek Karst and Slovak Karst)」として、ドブシンスカ氷洞(Dobsinska Ladova Jaskyna)、ドミツァ(Domica)、ゴンバセツカ洞(Gombasecka Jaskyna)、ヤソフスカ洞(Jasovska Jaskyna)、オクチンスカ・アラゴニトゥ洞(Ochtinska Aragonitova Jaskyna)がユネスコ世界自然遺産登録されている。 ケイビングスーツやケイビングバッグの装備メーカー「メアンダー(Meander)」もあり、ヨーロッパを中心に愛用されている。 1999年からは国際協力機構(JICA)による技術交流が行われ、2003年に浦田健作氏(日本洞窟学会会員)がスロヴァキアを訪れ、2002年と2003年にはスロヴァキア洞窟管理事務所職員が訪日している。 スロヴェニア共和国は、人口約200万人(日本の約1/64=栃木県ぐらい)、面積約2万ku(日本の約1/18=四国ぐらい)という中央ヨーロッパに位置するEU加盟国である。1991年にユーゴスラビアから独立した若い国で、同年までは社会主義国であった。 経済的な日本との関わり合いは薄いが、クロアチアと共に観光に訪れる日本人が増えていると聞く。 国土の半分が石灰岩地帯で、クラス(Kras)地方がカルスト(Karst)の語源になっていることは有名な話。国内には7500を超える洞窟があり、1819年に観光化されたポストイナ洞(Postojnske Jama)、ユネスコ世界自然遺産「シュコツィヤン洞窟群(Skocjan Caves)」などがある。 この洞窟の宝庫ともいえる2国には以前から興味を持っていた。洞窟抜きにしても、旧社会主義国を訪れてみたかった。 スロヴァキアには知り合いがいないこともない。地R元の公式ケイビングスーツは「メアンダー」製品であり、2002年より直接購入しており、結婚式には引き出物を作ってもらったり、新婚旅行の誘いも受けていた。 今年のゴールデンウィークは連休を取りやすく、仕事の都合も付きそうである。1ヶ月前に酔った勢いで航空チケットを購入。旅団員に声をかけるものの突然のこと過ぎて賛同者を得ることができず、結果的に単独活動となった。 「メアンダー」のグスト・スティブラニー(Gusto Stibranyi/通称:グスタフ)社長にスロヴァキアでの案内を頼んだところ、彼はヒマラヤ登山へ行くことになり、代わりにルドヴィット・ガール博士(RNDr. Ludovit Gaal, PhD.)を紹介して頂いた。 スロヴァキアとスロヴェニアの途中、ハンガリーにも立ち寄ることにした。ここにも洞窟があり、その魅力の一つはブダペストに洞窟があることである。地方ではなく、首都に洞窟があるなんて珍しいのではないだろうか。 スロヴァキア語、マジャル(ハンガリー)語、スロヴェニア語はもちろんのこと、英語もほとんど話せないため、移動手段は事前に調べておき、ホテルと鉄道2路線も予約して現地に臨んだ。あとは度胸と金さえあれば何とかなるはずだ。 なお、飛行機代は往復で352,060円である。 27日22:00、東京国際(羽田)空港国際線旅客ターミナルに到着。近年はアクセスが良い羽田空港から各国へ国際線が出ており、ヨーロッパへは25時発のフランクフルト路線(ANA)とパリ路線(JAL)があるため、仕事を終えてからのフライトには重宝する。しかもすぐに睡眠モードになれるため、時差ボケにもなりにくい。
28日5:30、フランクフルト国際空港(Flughafen Frankfurt am Main)ターミナル1に到着。入国手続を済ませるが、押された入国スタンプは当然ドイツ。このあとはシェンゲン協定加盟国のため、途中で出入国スタンプが追加されることはない。国境越えは楽だが、ちょっと楽しみが減ったような気がする。 乗り継ぎのため、案内に従ってコンコースBからAへ向かう。かなり遠い。 機内で朝食を取ったばかりなので、さほどお腹は減っていなかったが、売店があったので2回目の朝食。どうやらフランクフルトはリンゴが名産のようなので、ポスマン社(Possmann)の100%炭酸アップルジュース(3ユーロ/約330円)とイタリアン風サンドイッチ(5.5ユーロ/約600円)を購入、ルフトハンザ機を見ながらゆったり食す。 7:45、オーストリア航空「エアバスA320」にて離陸。ドリンクと共に渡されたのはチョコレートケーキ「ザッハトルテ」。かなり重たいが、さすが本場だけあって味は美味しい。 眼下にはのどかな風景が広がる。 9:10、ウィーン国際空港(Flughafen Wien-Schwechat)に到着。荷物を受け取り、税関申請なしのほうへ進むと、もうそこはオーストリアであった。あっけない。 続いては、スロヴァキアへ行くバスに乗らなければならない。首都ブラチスラヴァ(Bratislava)までは50km弱。東京〜成田よりも近い。1時間に1本間隔でバスは出ているが、乗り遅れると今日中に目的地に到着できなくなるので、足早にチケット売り場を探す。 ない。チケット売り場が見つからない。とりあえずバスターミナルへ行ってみると、スロヴァキア・ラインズ(Slovak Lines)によるブラチスラヴァ行きのバスが停車していた。運転手にチケット売り場を聞くと、直接支払えばいいようだ。7.7ユーロ+荷物代1ユーロを支払って搭乗。1000円足らずで国境を越えられるなんてお得感がある。 9:40、満席状態でバスは出発。車内を見回すと、WiFi FREEと書いてあるので早速利用。車窓を眺めていると、遠くにブラチスラヴァ城が見えた。いつの間にかスロヴァキアに入国しているようである。 Ahoj, Slovensko! ドナウ川を渡り、UFOの塔を眺めてブラチスラヴァ観光終了である。時間があれば旧市街を見たかったのだが、洞窟には代えられない。 10:45、街はずれあるバスターミナル(Autobusova Stanica)に到着。建物を出ると、そこは予想していた雰囲気とは違い、やや殺風景なところであった。これが旧社会主義国ということか。ゆっくりと見渡すと、英語表記は一切なく、スロヴァキア語の綴りのみが並んでいる。何一つ理解できない。これは困った。そういえば2002三陟世界洞窟博覧会のときもそうだった。 次はブラチスラヴァ中央駅(Bratislava hl. st.)へ行かなければならないのだが、どこかにトロリーバス乗り場があるはず。気を落ち着かせてから周囲を見直すと、それは向かい側にあった。 乗り場には路線図、3つ時刻表、自動発券機がある。路線図や時刻表を見るものの、どの路線が中央駅行きなのかわからない。すると、ご婦人が「Central station?」と声をかけてくれた。助かった。210番路線、Hlavna stanicaというのが中央駅のようである。 別のトロリーバスが来たので、親切なご婦人は行ってしまった。それではチケットを買おうと自動発売機を見ると、10ヶ以上ボタンがあった。乗車券と荷物券を買えばいいらしいが、どれがそのボタンなのかが分からない。別のご婦人に尋ねると、中央駅へは0.7ユーロ(約75円)でいいという。こっちのシステムは、ボタンを押してからコインを入れるようだ。 11:10、ブラチスラバ交通局(Dopravny podnik Bratislava)によるトロリーバスで出発。乗り込むと機械があったので刻印する。街並みはやや殺風景といった感じだが、日本がガチャガチャしすぎているのかもしれない。 あれ、荷物用チケットを購入していない。ご婦人には荷物を持っていると伝えたのだが…。検札なかったからいっか。 11:20、ブラチスラヴァ中央駅に到着。首都のメイン駅とは思えないほど小さいが、駅舎内はそこそこに混んでいた。ちょっと安心。まずは窓口へ行ってチケットを購入。リマフスカー・ソボタ(Rimavska Sobota)駅まで318km、13.24ユーロ(約1450円)である。 出発まで1時間あるので、まずは地下のトイレへ。スロヴァキアは有料で0.4ユーロ(約45円)。基本的に機械へ入れるのだが、両替のためか、番台に女性係員がいたのには驚いた。一日中トイレ番なのか。小便器の位置はやや高い。 トイレを済ませてから電光掲示板を見ると、下調べしてあった時間にコシツェ(Kosice)駅行きの列車は無く、バンスカー・ビストリツァ(Banska Bystrica)駅行きと書いてある。慌てて地図で位置を確認するが、方向的には合っている。窓口で聞こうかとも思ったが、私の英語力ではなんて聞いたらいいのか思いつかない。最悪は分岐点と思われるズヴォレン駅(Zvolen osob.st.)まで行き、そこからまた考えることにしよう。 時間をロスしてしまったので、駅舎内にいくつかあるワゴンで昼食を買うことにする。揚げ物を選ぶとパンで挟んでくれるようで、そのハンバーガーと水を購入。 1番プラットフォームへ行き、ベンチで電車を待ちながら、ふと掲示板を見ると、いつの間にか到着が2番フォームへ変更されている。慌てて反対側へ走って事なきを得た。直前でプラットフォームが変わるのは日常的なようである。 12:30、スロヴァキア国鉄(Zeleznice Slovenskej republiky)による列車が到着。驚くほどの見事な落書きぶりである。座席はコンパートメント席だが扉はなく、空調もなし、トイレは垂れ流し。共産時代の車両なんだろうか。5時間の長旅にはつらそうだが仕方ない。 女性車掌が来たので、チケットを見せながらリマフスカー・ソボタまで行きたいことを伝えると、窓に貼られたものを指さしながらこの列車で問題ないという。どうやら、途中でバンスカー・ビストリツァ行きとコシツェ行きに分かれるようで、偶然にもコシツェ行き車両に乗っていたらしい。一安心である。 12:37、定刻通りブラチスラヴァ中央駅を出発。スロヴァキア人2名と相席である。特に会話することもなく、昼食を取ることにする。ハンバーガーはボソボソのパンに揚げたチキンを挟んだだけで、調味料や野菜は一切なし。単調な味だ。水は吟味したつもりだったが炭酸入りであった。慣れないので飲みにくい。 車窓はどんどんのどかな風景に変わっていく。 14:22、レビツェ(Levice)駅にて同席していたスロヴァキア人が降りたので、荷物を置いたままトイレへ行く。 帰ってくると、そこには別の男性がいた。なにやら色々と話しかけてくるが、明らかに英語ではない。言われるがままパスポートを交換すると、彼はローマンさんというチェコ人で49歳。こちらが日本人だとわかると、「ハラキリ」「カミカゼ」「シンカンセン」「ナガサキ」と知っている日本語を言ってくる。さらにジェスチャーでいろいろ聞いてくるがよくわからない。そこへ売り子が登場したので、ローマンさんはコーヒーを御馳走してくれた。 この売り子は18歳の男の子で、学校で英語を習っているとのこと。彼を座席に座らせ、通訳してもらうことになった。ローマンさんが聞きたいのは、「何処へいく?」「結婚しているのか?」「子供はいるのか?」「妻子がいるのになんで一人でここにいる?」ということであった。この時点では何故そんなことを聞かれるのかわからなかったのだが・・・。 話が盛り上がってくると、スロヴァキア版ジン「スロヴェンスカ・ボロヴィチカ(Slovenska Borovicka)」、チェコの黒ビール「コーゼル(Kozel)」、ペプシコーラを御馳走してもらう。ボロヴィチカはアルコール40度もあり、ローマンさん、後に会うガビのおじさんやベラ博士はパレンカ(Palenka)と言っていた。 15:13、シアル・ナド・フロノム(Ziar nad Hronom)駅で尼さんをエスコートしながらローマンさんは降りていった。楽しい時間をありがとう。 17:00、売り子から水を買い、チップとともに次の駅で降りることを告げる。名前は聞き取れなかったけど色々とありがとう。 17:22、イェセンスケ(Jesenske)駅に到着。すると2両編成の列車が止まっており、女性車掌に確認してからこれに乗り込む。こちらの車両は新しくきれいで、車内電光掲示板と自動アナウンスがある。これまで以上にのどかな風景が広がる。 17:42、リマフスカー・ソボタ(Rimavska Sobota)駅に到着。列車を降りると、いち早くルドヴィット・ガール博士(RNDr. Ludovit Gaal, PhD./通称:ルド)がこちらを見つけてくれた。握手をしてから、スロヴァキア洞窟管理事務所 リプトフスキー・ミクラーシュ(SPRAVA SLOVENSKYCH JASKYN LIPTOVSKY MIKULAS)と書いてある車両、ホンダ・CR−Vに乗り込む。私が製作したステッカー「CAVER IN CAR」のメアンダー社版が貼ってある。 スロヴァキアでは他の日本車も人気があるとのことである。マツダの看板はよく見かけたが、すれ違うのは圧倒的にヨーロッパ車とヒュンダイだったけど・・・。 これまでの道中のこと、ステッカーのこと、地形のこと、これからのスケジュールなどを、ルドさんは私の語力に合わせて簡単な英語で説明してくれる。目的地まで60kmとのことである。 18:25、ロジュニャバ(Roznava)郡ドハー・ベス(Dlha Ves)村に立ち寄り、ルドさんはスーパー「食品フレッシュ(Potraviny Fresh)」で買い出しをする。このスーパーはその後もあちこちで見かけたが、スロヴァキア国内で660店舗(当時)を展開するチェーン店のようである。 その先で車両を止め、ルドさんが地形の説明をしてくれる。後ろの山はハンガリーとの国境で、反対に見えるタトラ山脈はポーランドとの国境とのこと。短径とはいえ国全体が見渡せるのだ。また、左右に見えるのがそれぞれのカルスト台地で、右がプレシュスカ台地(Plesivska planina)、左がコンヤレスカ台地(Koniarska planina)とのことである。この台地の標高差は300〜400mあるらしい。 18:40、観光洞「ドミツァ(Domica)」に到着。目の前の道路のすぐ先がハンガリー国境のようである。営業時間外なので誰もおらず、裏口から施設に入る。どうやらドミツァには職員用宿泊施設が併設されており、ここに泊めてもらえるらしい。まずは荷物を置いて、ドミツァを見学することになった。 この洞窟は7つの台地からなるスロヴァキア最大のカルスト「スロヴェンスキー・クラス(Slovensky Kras)国立公園」内にあり、国指定天然記念物、ユネスコ世界自然遺産「アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群(Caves of Aggtelek Karst and Slovak Karst)」、ラムサール条約に登録されている。洞窟はハンガリーへ通じており、ハンガリー側はバラドラ洞(Baradla Barlang)と呼ばれている。総延長26,065m(世界総延長第173位)のうち、ドミツァ側は5,368m(国内第9位)で1,560mが公開。地下河川のドミツァ川(Domica)とスティックス川(Styx)が流れ、後者では遊覧観光ができるという。チケット売り場付近にはパネル、1926年に新洞部を発見したヤン・マイコ(Jan Majko)氏、ショーケースには土器や獣骨など充実した展示物があり、ガイドツアーの待ち時間に見学できるようになっている。 19:10、ドミツァに入洞開始。入口付近から二次生成物がよく発達している。遺跡洞とのことで、発掘現場が再現されていた。きっとガイドがここで考古学調査の説明をするのであろう。洞窟をさまざまな方面から楽しめることはいいことである。 三途の川という意味のスティックス川に到達すると、ボートがあったが水は無かった。戻ってから奥へ進むと、美しい鍾乳石が次々と現れる。途中、柵を越えて通路の奥へ進むと、洞壁に複数の黒い線が描かれていた。ルドさんによると、古代人が炭で描いたものらしい。 さらに別の場所には、二次生成物に覆われた土器があった。6300年前のものだという。見に行っていいというので、柵を越えて間近へ行き、そっと触れてみる。龍河洞の「神の壺」ですらこんな近くで見たことないのに、更に4000年も古いものとは感動である。 奥へ進むと、二次生成物がさらに発達しており、非常に多くのドラム(シールド/円盤状の鍾乳石)が見られた。 バラドラ洞側の観光部終点まで行きUターン。バラドラ洞のほうが距離は3/4を占めるが、二次生成物はドミツァのほうが勝るとのことであった。
20:10、貸切ツアーが終了。部屋に戻り、シャワーを浴びてホッとする。
20:50、ルドさんの部屋へ行くと、そこには宴の用意がされていた。ルドさんの奥様お手製のラザニア、チーズ2種、ピクルス、マスのサラダ、自家製の無添加サラミ2種、燻製マス、パン2種、スロヴァキアのビール「スメドゥニー・ムニーフ(Smadny Mnich)」、スロヴァキアの赤のスパークリングワイン、グルジア産のブランデー。 こちらは金武鍾乳洞で熟成させた泡盛古酒「金武 龍ゴールド25度」、火山洞窟学会から頂いた報告書「島根県大根島 国指定天然記念物 第二溶岩隧道 緊急調査報告書」「山梨県富士山北麓 柏原樹型群観察報告書」、書籍「洞窟科学入門」「ケイビング 入門とガイド」「洞穴ガイドブック」、秋芳洞キティ、手拭い、煎餅、かりんとう、羊羹、粉末緑茶、味付け海苔、餅、味噌汁などの日本らしいものをプレゼント。 片言の英語で盛り上がりながら楽しい食事をする。ラザニアは独特のスパイスが効いており美味しい。 2003年の訪日のことを尋ねると、玉泉洞や富士山麓の溶岩洞、富士山、新幹線などが印象に残っているようだ。日本食はどれも美味しかったが、味噌汁だけは口に合わなかったようである。また、泡盛は好きらしい。 睡眠不足もあってハイペースで酔っぱらいながら、明日の予定を打ち合わせする。午前はドミツァからバラドラ洞へ洞内国境越えをするか、−100mの竪穴へ行くか、どちらかを選択。午後は観光洞へ行き、リプトフスキー・ミクラーシュ(Liotovsky Mikulas)へ移動するというスケジュール。洞内国境越えは話のネタになるが、スロヴァキアのSRTを見てみたく、ケイバーとも交流したかったので竪穴を選択する。 22:00、パブロ・スタニック(Pavol Stanik/通称:パルコ)氏が到着。彼もスロヴァキア洞窟管理事務所の職員で、洞窟写真家であるとのこと。洞内でケガをしたとのことで杖をついていた。スロヴァキア語しか話せないが、かなりいい人のようである。 パルコさんには龍泉洞の水で仕込んだ日本酒「龍泉八重桜 特別純米酒」と書籍「素晴らしき地底の世界(1982年)」をプレゼント。「古い本だけど、日本の洞窟の写真が最も載っている本」と説明すると、この写真はいいねとジェスチャーしながら興味深く見ていた。 3人て窓から屋根へ移ってそこで一服。星がきれいで、UFOらしきものも見えた。酔っぱらってるのかな。 23:00、部屋に戻って消灯。日本を出発してから29時間振りのベットである。
気温は日中も含めて、日本よりやや涼しい程度である。 6:30、約束した時間にルドさんの部屋に行くと、2人ともまだ寝ていた。あの後も飲んでいた模様。 7:00、昨夜の残り物を中心に朝食。 8:00、ルドさんとともに施設を出て、待ち合わせ場所と思われるドハー・ベス村の中心地へ移動。 8:20、数分待っていると1台のBMWが到着。出てきたのはガブリエル・ヤカップ(Gabriel Jakab/通称:ガビ)という24歳の現地ケイバーであった。 ここでルドさんと別れ、ガビの車で数分の移動。ガビは英語が少しだけできるとのこと。 8:30、到着したところは隣村であるプレシュベツ(Plesivec)村のガビ宅であった。そこには彼の家族のほか、28歳のガールフレンドであるエーヴァ・フォドロヴァ(Eva Fodorova/通称:エヴァ)がいた。彼女は英語ができるという。 挨拶をしていると、通りかがったガビの叔父さんがスロヴァキア語で話しかけてくる。「洞窟へ行くのか?それならばパレンカを飲め!パレンカ・パワーだ!」というようなことを言っている。 パレンカは昨日も耳にしたキーワードであったが、案の定、スロヴァキア版ジンとショットグラスが出てきた。40度の酒で乾杯。 その後、井戸やBBQ小屋のある広い庭を案内してもらう。庭先にある小川は氾濫したらしい。車庫にはヤマハのバイク、ブリジストンの垂れ幕が飾られていた。 ガビの父よりこれから行く洞窟の写真を見せられる。どうやら地元ではメジャーな洞窟で、彼もケイバーらしい。 8:40、「Taxi(がきた)」とカビが言った。見るとニッサン・テラノUが到着、ケイバー仲間であるリハード・バルガ(Richard Varga/通称:リチャード) が現れた。助手席に乗せてもらい、ガビ、エヴァ、リチャードの4名で出発。シートベルトをしようといると、リチャードは「しなくていいい」と言う。なぜ? リチャードとは、テラノUは日本ではミストラルと呼ばれていたこと、いまは販売していないこと、私もニッサン・パトロール(サファリ)を乗っていることで話が盛りあがる。 車両はプレシュベツ(Plesivec)駅を過ぎ、プレシュスカ台地(Plesivska planina)をぐんぐんと登っていく。途中からは砂利道となり、台上へ登り切ってからは4WDでないとつらく、所々がぬかるんでいる道を進む。リチャードは運転がうまい。 9:00、開けたところに到着。ここからは10分程度歩くらしい。テラノUには「スペレオクループ・ヴァディザー(SPELEOKLUB BADIZER)」とあり、これが彼らのケイビングクラブらしい。 個装とロープバッグをひとつ持ち、更に奥地へと進む。エヴァが私に尋ねる。「あなたは有名なケイバーなの?」 う〜ん、そこそこ有名かな^^;
インナースーツに着替え、アウタースーツを着ようとすると、暑くなるから着なくていいという。SRT装備を借りると、チェコ製の重たいディセンダー以外は特に珍しいものはなく、やはりペツル製が主流のようである。珍しそうにディセンダーを見ていると、気を使ってくれて新品のストップに代えてくれた。ガビは洞口からロープ2本を投げ込み、並行してロープをセット。井戸穴なのでそんなもんか。 いつの間にかリチャードのガールフレンド、アデル・ノヴァコヴァ(Adel Novakova)が合流。 9:50、みんなで集合写真を撮ってからガビと2人で並んで入洞開始。ロープは洞壁に接触しているが気にしないというアメリカンスタイルである。ロープ径は11mmで、古く、ディセンダーは新品なのでなかなか進まない。 −50m地点まで降りると、3つの竪穴が開いており、どれも同じところへ通じているという。再びロープセット、−100m地点まで降りてホールに到着。洞内には入洞記録ノートがあり、ガビと共に所属と名前を記載。日本人は初めてだという。ホールの隅にはテント設営ポイントがあった。 「奥に大石筍があるので見に行こう」ということになり、まずはほぼ垂直の洞壁をチェストアッセンダーで確保を取りながら5mほど登る。その先にも残置ロープがあるはずだったのだが無く、フリーで更に5mほど登る。ガビはリーチを活かしてなんとか登っていくが、こちらはホールドになかなか届かない。恐い。ここから滑落したら間違いなく大怪我である。2日目にしてこの旅行も終わってしまうのかと、最悪のことが頭をよぎる。ガビもその先を登るのに四苦八苦しはじめたので、「また来よう」と言って降りることにした。降りるのが更に怖い。 ホール反対側へも行き、二次生成物や獣骨を観察した。 11:20、再び並んで出洞開始。日本代表として、後れを取る訳にはいかない。ガビは1ストロークが長いが、こちらは回数で対抗。「日本人はガビよりも手足が短い」なんて会話をしながら、カビは途中でタンクトップ姿になって登った。 11:30、3人の見守るなかガビと同時に出洞。早々に着替えを済ませ、再びレモンピールと共にパン、ミートボール、チーズ、カブ、トマトを御馳走になる。このあと、リチャードとガールフレンドは入洞するとのことであった。 11:40、リチャードのガールフレンドに別れを告げ、ガビ、エヴァ、リチャードの4名で出発。リチャードの年齢を聞くと18歳で、ガールフレンドは17歳とのこと。若いことに驚くと、私の年齢を聞いて彼らも驚く。 エヴァとは「ガビとのハネムーンで日本へおいで」「日本は遠いわ」「飛行機でフランクフルトからたった12時間だよ」といった会話や、ハルシュキを食べてみたいこと、天麩羅やすき焼きなどの日本食を説明しながら歩く。 11:50、リチャードの車両で出発。 12:00、砂利道に到着。そこにはガビの両親が来ていたが、ルドさんはまだ来ていなかった。ガビの父がついておいでというので、言われるままに斜面を下りて行くと、そこには竪穴らしい洞口があった。−45m程度の「ミノヴァ洞」というらしい。ミノヴァは地雷のことのようで、由来を色々と説明してくれたようだが、スロヴァキア語なのでほとんど理解できなかった。 道へ戻ってからガビの父より写真を見せてもらうと、長銃がいくつも写っているものだった。「兵士なの?」と聞くと、趣味で木製銃床を作っているとのことであった。
12:30、ルドさんが到着。プレシュベツ(Plesivec)駅の踏切がなかなか開かなかったらしい。ガビたちに別れを告げる。たった半日であったが、楽しい時間をありがとう。 ルドさんの車両で台上を降りると、パルコさんが待っていた。彼の車両も色違いのホンダ・CR−Vである。たまたまであろうがケイバーの日本車率が高い。こちらにもステッカー「CAVER IN CAR」が貼ってあった。 12:35、またプレシュベツ駅の踏切につかまる。どうやら、スロヴァキアの踏切は閉まってもすぐに列車が来るとは限らず、そばにいた職員もいつ来るのか把握できていないらしい。 あとでわかったのだが、踏切では一時停止する必要はないらしい。白色ランプが音もなく点滅した場合にのみ一時停止、遮断機が下りたら停止のようである。 5分ほどで列車が通過。ラッキーである。 13:00、観光洞「オクチンスカ・アラゴニトゥ洞(Ochtinska Aragonitova Jaskyna)」に到着。 この洞窟も「スロヴェンスキー・クラス国立公園」内にあり、国指定天然記念物、ユネスコ世界自然遺産「アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群(Caves of Aggtelek Karst and Slovak Karst)」、ラムサール条約に登録されている。1954年に鉄を採掘する鉱山坑道で偶然発見され、名称通り、鉱物のアラゴナイトが発達している。地上に自然の洞口はない。 パルコさんは待機、ルドさんと2人で見学することになる。まずは事務所に立ち寄り、所長に挨拶。パネルを見ながら、発見経緯や規模、周辺のことを説明してもらう。各坑道から複数の洞窟が発見されているが、どれも小規模で、アラゴナイトの発育も良くないらしい。また、水が多いとアラゴナイトは生成しないとのこと。 ガイドツアーの待ちの人々を横目に入洞開始。今回も貸切である。入洞料金6ユーロ、撮影10ユーロと表示されているがもちろん無料。 人工トンネルを進みながらルドさんが、「この洞窟には日本のテレビ局が来たんだ。たしか世界遺産の番組だった。2003年だ。」と言う。あっ、TBSの「THE 世界遺産」だ。そういえば、あの時の人は確かにルドさんだ。「こうやって鍵がかかっていない扉の鍵を開けたんだ。演出だよ。」と笑う。 洞内に入って少し進むと、天井部にアラゴナイトが現れはじめた。ひとつやふたつではない。あちこちの天井や壁に発達している。驚きながら観察していると、この先にもっとあるという。奥へ行くと様々な形態のアラゴナイトが発達しており、3つの生成過程があるという。 第1過程では内臓のような塊となり、第2過程では針状とヘリクタイトが発達、第3過程で直径数ミリの華が咲くという。一見してこれがどの過程かはっきりとは見極めることはできなかったが、いずれにしてもさまざまな形態で見飽きることはなかった。 ルドさんは非公開部で何か作業をしている間も、最接近してアラゴナイトを見つめていたが、あまりの数にだんだん有難味が麻痺してくる。
14:00、出洞。土産物コーナーがあったので資料を買いたいと言うと、あとで全部プレゼントするから買わなくていいと言われる。えっ、全部くれるの!?
その代わりにリプトフスキー・ミクラーシュへ行く途中、タトラ山ときれいな湖を案内してくれることになった。 14:20、3人で記念撮影をしてからルドさんとお別れ。パルコさんの車両でリプトフスキー・ミクラーシュを目指して北上を開始。 パルコさんとは簡単な英単語とジェスチャーで会話する。「写真撮りたかったら止まるよ」というようなことを言ってくれた。 途中、民族的に明らかに違う集落・集団が現れた。「gypsy」とパルコさんが教えてくれる。彼らは鉱山で働いているらしい。ジプシーは差別用語でロマと呼ぶこと、スロヴァキアには約40万人(約1.7%)もいることを帰国してから知った。 15:20、パルコさんも運転疲れが見えたので、石灰岸壁が現れたところで停車してもらう。村のバックに石灰岸壁。素敵な風景である。 16:20、山をやっと抜けて、プレショフ(Presov)県ポプラド(Poprad)郡ポプラド市に到着。そのまま林道へ入る。途中で車両通行禁止の看板があったが、パルコさんは国からの通行許可証を持っているらしい。 林道終点に到着。周囲は雪がかなり残っている。このエリアはヴィソケー・タトリ(Vysoke Tatry/High Tatrasの意)と呼ばれ、タトラ山脈の一部。最高峰のゲルラホフカ山(Gerlachovsky stit/2654.4m)とスラヴコヴスキー山(Slavkovsky stit/2452.4m)の間で、ポプラド市が見下ろせるロケーション。写真を撮ってから下山する。トレッキング目的なのか、5〜6人の姿があった。 会話ではMt. Tatraと言うことが多々あるが、タトラ山という山は無い。それはカルパティア山脈の一部であるタトラ山脈のことであり、スロヴァキアとポーランド国境に位置する。タトラ山脈はスロヴァキアのシンボルで、国歌「稲妻がタトラの上を走り去り」、ユーロ硬貨(5、2、1セント)デザイン、自動車メーカー名(現在はチェコの会社)にもなっている。 17:00、ポプラ郡シュトルバ(Strba)村シュトゥルブスケー・プレソ(Strbske Pleso)に到着。ここはシュトゥルブスケー湖を中心とした山岳リゾート地。ホテルやマンションが複数あり、駅やリフトもあって、観光客でにぎわっている。 パルコさんが「ここで待っているから湖を一周しておいで」というようなことを言ってくれたので、ゆっくりと湖や風景を楽しむ。外周は2kmぐらい。湖はとても澄んでいて、タトラ山脈と抜群の相性である。 ホテルの駐車場へ足を延ばすと、ニースケ・タトリ(Nizke Tatry/Low Tatrasの意)が一望できた。 18:30、シュトゥルブスケー・プレソを出発。いつの間にか人影はかなり減っていた。 19:15、ジリナ(Zilinsky)県リプトフスキー・ミクラーシュ(Liotovsky Mikulas)郡リプトフスキー・ミクラーシュ市にある「スロヴァキア洞窟管理事務所(Spravy Slovenskych Jaskyn)」に到着。この事務所には職員用宿泊施設があり、ここが宿である。 警備員が常駐しているようで、ノートにサインをしてから3階のルームキーを受け取る。3階、すなわち4階のことで最上階である。トップライト(天窓)が2つ付いた部屋で、壁には当然洞窟の写真。こじんまりしているが清潔な部屋である。向かいにはトイレとシャワーがあり、小便器は高さ80cmとこの旅行で最大の高さであった。
21:00、パルコさんの来る気配がない。それではと夕食へ出かけようと下まで降りるが、内側ドアがロック(磁気カードロック式)されていて開かない。目の前にある警備員室にも何故か警備員も見当たらない。 30分ほど防犯カメラに手を振ったり、ドアを押したりしたが開くことはなかった。閉じ込められた。 しぶしぶ部屋に戻るが、食料はおろか水もない。トップライトから身を乗り出してみるが、いくらなんでも4階屋根から降りるわけにもいかない。 23:00、トイレの水を飲み、行動記録を整理してから消灯。明日はどんな洞窟へ行くのか楽しみである。 30日5:00、起床。お腹減った。
近くには学校があるようで、駅の方向からは続々と高校生が歩いてくる。こちらの女子高生はみなモデル並みにスタイルが良くてかわいい。 6:50、リプトフスキー・ミクラーシュ駅に到着。付近にはバーはあるものの開店しておらず、とりあえず駅舎に入ってみる。見回すと隅に軽食ぐらいなら食べられそうな店「駅カフェ(Stanicny Bufet)」があった。飲み物やパン、菓子類が陳列してあったので、娘っこ店員からハム入りバゲット(2ユーロ/約220円)と7Up(1.2ユーロ/約130円)を購入。店内で食べていると、ふらっと入ってきて朝からパレンカを1杯飲んで出ていく男性がいた。 食事を終えてから構内を散策すると、時刻表からヘプ(CHeb)−プラハ(Praha)−ブラチスラヴァ(Bratislav)−コシツェ(Kosice)間を24時間運行していることがわかる。 7:30、 駅舎を出て周辺を散策。駅前は殺風景で、カラフルな共同住宅が立ち並ぶ。道路脇には小さな売店が3〜4つあったが、どちらも鉄格子が設置されており、小窓から受け取る仕組みのようである。あちこちにトラッシュボックスが設置されており、街中は非常にきれいである。 小型車はヨーロッパ車が多いもののメーカーの偏よりは無く、大型車はチェコのタトラ(Tatra)製が多い。たまにチェコスロヴァキア時代の小型トラックが走っていた。 7:40、スーパー「食品フレッシュ(Potraviny Fresh)」に立ち寄る。狭い店内にはパン、チーズ、ソーセージ、野菜、アルコール、菓子、ペットフード、生活雑貨など、あらゆるものが揃っているといった印象。思いのほかハーブティーが充実している。 昨夜のようにいつ食糧不足になるかわからないので、パン2つ、ヨーグルト、リンゴ、水、菓子を購入。水は炭酸入りの有無が分からないので、母子がデザインされたものを選択したら炭酸なしで正解だった。 8:10、スロヴァキア洞窟管理事務所に戻って休憩。食事に偏りが感じられてきたため、ヨーグルトとリンゴを食べる。 9:00、地上階へ降りてパルコを待つ。なかなか来ないので、表へ出て待ってみる。来ない。来ないけど、何もしようがないので、付近をぶらぶらしながら待つ。 9:40、建物内からパルコさんが現れる。裏手に駐車場があり、みんなそこから建物へ入っているらしい。道理で建物への出入りがほとんどない訳である。 事務所の2階の講堂へ通されると、パヴェル・ベラ博士(RNDr. Pavel Bella, PhD.)とペチェル・ガジック(Peter Gazik/通称:ピーター)氏が現れた。ベラ博士はルド博士と共に2003年に訪日している。ベラ博士は洞窟管理事務所はもちろんのこと、スロヴァキアの洞窟研究の中心人物のようである。 まずはやっぱりパレンカ(Palenka)で乾杯。博士曰く、「Spirit Help」とのことである。 ここまでのルートを聞かれたので、ブラチスラヴァからリマフスカー・ソボタまで電車に乗ってきたことを伝えると、「No Shin-kan-sen」と笑う。どうやら超マイナーなルートのようである。この講堂にはパネルが複数展示しており、なかには日本の洞窟を紹介したものもある。これらを使ってスロヴァキアの洞窟を簡単に紹介してもらう。 「持っていくことができるかい?」と、機関誌「アラゴニトゥ(Aragonit)」「スロヴェンスキー・クラス(Slovensky Kras)」、「CAVES OF THE WORLD HERITAGE IN SLOVAKIA」、「SLOVAKIA Show Caves」、DVD「謎の地底(TAJOMSTVO PODZEMIA)」、すべての国営観光洞のポストカード、パンフレット、名刺サイズの写真集を頂く。「アラゴニトゥ」と「スロヴェンスキー・クラス」には日本の洞窟がかなりの誌面を割いて紹介されいた。 これからはピーターさんが、スロヴァキアで一番長い洞窟を案内してくれるとのこと。 地上階へ降り、ピーターさんを待つ間、パルコさんと共に向かいの研究室へ。そこには女性博士がおり、気候などが研究対象とのこと。部屋には世界各地のポスターが飾ってあった。これからの予定を聞かれたので、スケジュールと9日間の行程だと言うと、「短いのね」と笑われる。「日本人にとってはロングバケーションだよ」と言い返すと更に笑われる。ま、そうでしょうね。 10:50、ピーターさんと共にパルコさんの車両で事務所を出発。途中、ピーターさんとパルコさんの自宅に立ち寄ったが、2人とも事務所から非常に近い。 ピーターさんは来週にも家族とイギリスへ行かなければならないとのことで、右側運転のことを気にしていた。また、同じスント(Suunto)製の腕時計をしていたことに気が付き、話は盛り上がる。「まだハルシュキ(Halusky)を食べていない」と言ったところ、食事をしてから洞窟へ行くことになった。 11:30、リプトフスキー・ミクラーシュ郊外にある「レスタラチア ・ムスタング(Restauracia Mustang)」に到着。スロヴァキア料理の店のようだが、名称から想像する通り、店内外はアメリカ西部劇風。場所柄、リゾート客相手のレストランのようだ。テラス席に座り、英語メニューをもらう。スープ、ハルシュキ、コーラを注文。 「ドゥルシュコバー・ポリエウカ(Drzkova polievka)」は牛の内臓のスープ。最初に食べるもののようで、ややスパイシーで美味しい。浦田健作氏も訪れた際に美味しいと食べていたとのこと。パン付きで1.5ユーロ(約160円)。 「ブリンゾヴェー・ハルシュキ(Bryndzove halusky)」はスロヴァキアの郷土料理。ジャガイモと小麦粉のニョッキに、カリカリに焼いたベーコンと羊のチーズソースをかけたもの。意外とソースに癖はなく、素朴で美味しい。4.5ユーロ(約500円)。 「コフォラ(Kofola)」は共産主義時代に生まれたチェコスロヴァキア版コーラ。甘さ控えめで微炭酸、ちょっとだけドクターペッパー風味。コカやペプシも売っているが、アメリカ製は甘すぎるとのこと。 パルコさんはグヤーシュのスロヴァキア版「グラーシュ(Gulas)」と、ジャガイモと小麦粉を練った蒸しパン「クヌーデル(Knedle)」を注文。一口もらったが内臓スープとほぼ同じ味であった。 ここはピーターさんに御馳走になった。 12:30、冬季閉鎖中のデメノフスカ・ラドヴァ洞(Demanovska l'adova Jaskyna)を通り過ぎ、小川のほとりに車を止める。どうやらここから「デメノフスカ・スロボディー洞(Demanovska Jaskyna Slobody)」へ入洞するらしい。 「デメノフスキー・ケイブシステム(Demanovsky Jaskynny System)」は、「デメノフスカ・スロボディー洞(8,336m)」「(デメノフスカ・ラドヴァ洞(Demanovska l'adova Jaskyna/2,445m)」「デメノフスカ・ミエル洞(Demanovska Jaskyna Mieru/16,174m)」「リビエラニエ洞(Jaskyna Vyvieranie/1,437m)」「プスタ洞(Pusta Jaskyna/4,663m)」などからなる総延長40,380m(世界総延長第85位/国内総延長第1位)の横穴である。「ニースケ・タトリ(Nizke Tatry/Low Tatrasの意)国立公園」のデメノフスカ谷(Demanovska dolina)にあり、国指定天然記念物に登録されている。1921年に発見されて以来、1951年に「プスタ洞」、1983年に「リビエラニエ洞」、1986年に「デメノフスカ・ミエル洞」「デメノフスカ・ラドヴァ洞」と接続した。その一部である「デメノフスカ・スロボディー洞」はスロヴァキアで最も入場者数が多く、ヨーロッパでも名の知れた観光洞である。また、「デメノフスカ・ラドヴァ洞」は万年氷で有名な氷洞である。 小川にはスロヴァキア洞窟管理事務所が2004年に設置したプレートがあった。ウラジミール・ジケッシュ(Vladimir Zikes)氏はケイブダイバーで、1983年に「リビエラニエ洞」と「デメノフスカ・スロボディー洞」を接続した人物。1984年12月16日に潜水事故で死んだらしい。合掌。
人工トンネルを進み、2つ目のドアを開錠。鉄柵+2重扉ということで、不法入洞対策と洞内保護の配慮がなされている。 入洞すると、そこには二次生成物の楽園があった。ストローなどはそこらかしこにある。非観光洞なのだが、洞床はコンクリートの通路や鉄柵が整備されていた。 パルコさんが主洞から外れて支洞の奥へと誘う。小規模ながら美しいプールで、パルコさんのお気に入りのスポットとのこと。 13:30、扉を開けて「デメノフスカ・スロボディー洞」へ。ここからは洞内照明を点灯しての見学。 ホールへ出ると、天井近くからロープが垂れていた。パルコさんが登ったロープらしい。 こちらはステンレス製の柵が設置されており、二次生成物もより大きくて豊富。赤っぽい二次生成物が目立つが、青や乳白色などもあり、ピーターさんが成分の違いを説明してくれる。 あちこちに水温、水量、生物、堆積物、ボーリング調査などの様子を公開し、電気配電盤は隠すといった配慮は好印象。途中の階段には「1929」とあり、83年前に作られた階段を踏みしめる。1929年といったら昭和4年、世界恐慌の年だ。 観光ルートを一巡して、記念写真を1枚撮ってもらう。
14:40、観光洞出口ではない人工トンネルから出洞。そういえば、ホテルや土産店などで栄えているはずである「デメノフスカ・スロボディー洞」の洞口周辺は見ずじまいだ。 車へと戻ると、ピーターさんに「谷(デメノフスカ・ドリナ)と洞窟、どっちに行きたい?」と尋ねられたので洞窟を希望する。 15:00、リプフトスキー・ミクラーシュ方面に山を降りて東へ移動、リプフトスキー・ヤン(Liotovsky Jan)という村へ向かう。ここはリゾート地のようで、スキー場やホテル、土産店が立ち並ぶ。 15:30、先ほどのデメノフスカ・ドリナ(Demanovska Dolina)の東隣の谷であるヤーンスカ・ドリナ(Janska Dolina)を登っていくと、「スタミショスカ洞(Stanisovska Jaskyna)」という洞窟に着いた。事前に調べていた国営観光洞リストには無かったので、民間経営ということか。外観からは近年オープンしたような雰囲気である(帰国後、2010年オープンと判明)。パルコさんのお兄さんが勤務しているらしい。
お土産も並ぶ小屋内には気さくな若者ペチェル・プロハースカ(Peter Prochazka)氏がいた。彼曰く、モンゴル人は来たことあるが、日本人は来たことがないという。まずは入洞ノートにサイン。自家製の蜂蜜ワイン「メドヴィナ(Medovina)」を御馳走になると、これが甘くてコクがあり美味しい! 蜂蜜だけで作られるらしい。アルコール度数は12度。 16:00、ペチェルの案内でピーターさんと3人で洞口へと向かう。案内板やペチェルの説明によると、スタミショシカ谷(Stanisovska Dolina)には「スタミショスカ洞(Stanisovska Jaskyna)」「小スタミショスカ洞(Mala Stanisovska Jaskyna)」「新スタミショスカ洞(Nova Stanisovska Jaskyna)」という3つの洞窟があり、観光化されているのは「小スタミショスカ洞」。 「スタミショスカ洞」「小スタミショスカ洞」は少なくとも17世紀には知られていたようで、「新スタミショスカ洞」は20世紀になってからケイバーによって発見されたらしい。「小スタミショスカ洞(Mala Stanisovska Jaskyna)」は天然記念物で、総延長871m・高低差28m、観光部分は410m。 アプローチ途中で洞口を説明されたが、おそらくこれが保護の為に閉鎖されているという「スタミショスカ洞」であろう。 16:10、入洞開始。洞内照明はない。すぐに錆びた銃や人形、匍匐前進しているつなぎが置かれていた。銃はこの洞窟から発見されたものではないらしい。なぜだ? ペチェルが上を見ろというので見上げると、そこにはケイバーがいた。なぜだ? ペチェルは狭洞を指さして「奥は綺麗だから行ってみな」と言う。泥床なので躊躇していると再度促される。騙されているのではと思いながら15mほど進むと、何もなかった。騙された。ペチェルとピーターさんは大笑い。パルコさんから借りていたベストは泥々に。 続いて巨大グモと遭遇。記念撮影をさせられる。なるほど、こうやって楽しむ洞窟なのか。「魔女だ!」「鬼だ!」「眼が緑だ!」とペチェルが盛り上げる。ラダーには登って説明してくれる。 洞窟学的に真面目なものもあった。トビムシの棲むプール、洞窟グマが洞壁を引っ掻いた跡、1910年や1924年の落書き、数々の獣骨もあった。二次生成物ももちろんあり、最奥部付近には小規模ながらプールもあった。 同じルートをたどり洞口へ戻ると、往路では気が付かなかったモニュメントがあった(帰国後、オボーという石積み築壇と判明)。モンゴル人が設置したらしい。スロヴァキアスタイルなのかモンゴルスタイルなのかわからないが、周囲を3回まわって、パレンカ(Palenka)を飲み、願い事を言うらしい。「世界一大きな洞窟を発見する!」と言ったら2人とも大盛り上がり。 17:00、出洞するとパルコさんのお兄さんがおり、挨拶もそこそこに妙なものを設置し始めた。通過しろと言う。通過すると、喜んで幅を狭める。どうやら、これが「CAVES OPEN CUP」らしい。 なんとか通過すると、更に幅を狭める。その幅は17センチ。洞内でも25センチまでしか通過したとこが無い。息を吐き出し、ゆっくりと進むこと2分。なんとか通過した。かなりの好記録らしい。大盛り上がり。
17:30、「スタミショスカ洞(Stanisovska Jaskyna)」を出発する。 「途中でスロヴァキアの地図を買いたい」と告げると、ピーターさんは時計を見ながら「もうすぐ閉店だから間に合わない」と言う。まだ明るいし、営業している店もあるだろうにと思ったが、後にその答えがわかる。
部屋へ行き、シャワーを浴びる。 18:30、警備員に夕食へ行くことを伝えて事務所を出る。スマートフォンの地図アプリによると、駅と反対方向がリプフトスキー・ミクラーシュの中心街らしい。 7〜8分歩くと広場へ到着した。携帯ショップや花屋、銀行、土産店など、あらゆるものが揃っているが、全てが閉店している。良く見ると、張り紙には「平日18:00閉店」とある。なるほど、ピーターさんの言った通り、街全体で営業時間が決まっているのか。バーやレストランだけが例外のようである。 ウィンドウショッピングをしながら、食事ができそうな店を探す。 19:00、テーブルの空いている店を発見。娘っこ店員も可愛いのでレストラン「リプトフスカ・イズヴァ(Liptovska Izba)」に入店する。 渡されたメニューを開くと、案の定、スロバキア語only。写真のあるビール以外はわからない。グラム数が書いてあるのは肉料理だろうか。そういえば、テーブルに案内してくれた娘っこは英語がほぼ通じないようであった。 眺めていても埒が明かないので、先程とは別の女性店員に声をかけ、「Pivo & your recomend, please.」と言ってみる。メニューを指差しながら内容説明と共に「これでいい?」的なことをと言われたが、もちろん答えは「Yes.」しかない。さぁ、何が出てくるのかお楽しみ。 まずはスロバキアのビール「ズラティー・バジャント(Zlaty Bazant)」が登場。飲みながら店内を見渡すと、板張りの壁に木製テーブルとなかなか雰囲気がいい。食事をする老夫婦、女子会、フライドポテトをつまみに酒盛りする若者、客はさまざまである。 しばらくすると、ソースをパンケーキで挟んだようなものが出てきた。スロヴァキア料理「カプサ(Kapsa)」というものらしい。ジャガイモのパンで鶏肉+豚肉+キノコのソースを挟んだもので、かなりのボリュームがある。おそらく意識してスロヴァキア料理を出してくれたのであろう。美味しいが、やや味は単調。ビールお代わり。 生ビール0.5リットル×2、バチョヴァー・ カプサ(Bacova kapsa)で8.6ユーロ(約960円)であった。安すぎる。 20:00、酔っ払いながら帰る途中、ちょっとだけ込み合うジェラード屋「イストラ(Istra)」を発見。店員に声をかけられたので立ち寄ると、親切にもひとつひとつ味を説明してくれた。2種類をチョイスして注文。味は・・・・ジェラードである。 20:30、「スロヴァキア洞窟管理事務所(Spravy Slovenskych Jaskyn)」に帰宅。 21:30、準備をしてから消灯。一度は軽くなった荷物だが、明らかに増量している。24kgぐらいか? 明日はハンガリーである。 1日2:30、起床。 3:00、警備員に挨拶をして「スロヴァキア洞窟管理事務所(Spravy Slovenskych Jaskyn)」を出発。暗闇の中、リプトフスキー・ミクラーシュ(Liotovsky Mikulas)駅へ向かう。駅は下見してあるので問題はない。 3:15、リプトフスキー・ミクラーシュ駅に到着。駅員はいないが、24時間オープンのようである。自動販売機から飲み物を買おうとしたが、購入方法が分からず、時間もないので断念。
珍しく発車チャイムが鳴って出発。列車内はとても奇麗で、扉もあるコンパートメント席。3日前に乗った車両とは大違いである。あちらはローカル路線だったのだろう。ちょっと安心。 コンパートメントを独り占めしていたが、ポプラド・タトリ(Poprad-Tatry)駅でご婦人が一言いって乗り合わせてきた。こんな早くでも乗り降りが意外と多い。 5:30、コシツェ駅に到着。リプトフスキー・ミクラーシュ駅から6駅目、159kmの距離である。 コシツェ(Kosice)はスロヴァキア第2の都市ということなので、駅から出てみたが、ターミナルがあるだけで駅前は殺風景であった。 駅舎に戻り散策するが、土産店はまだ開いておらず、パン屋数店が開いているのみ。朝食用にハム入りパンとペプシコーラを購入。 有料トイレがあったので使ってみる。自動改札で、ブラチスラヴァ中央駅とは違って新しくて近代的。 6:10、国際列車ユーロシティ(EuroCity)に乗ってハンガリーへ出発。このチケットは日本で事前購入しておいたので問題なし(38.4ユーロ/代理店手数料等+2000円で6300円)。 2等車両だがとても清潔で、空調も効いている。トイレも水洗。乗客も少なく、車窓を眺めながら、ゆったりと朝食を楽しむ。Dovidenia, Slovensko! 6:30、ふと気が付くと駅の国旗が変わっていた。車掌もマジャル人に代わり検札が行われ始める。ハンガリーに入国したようである。Szia, Magyarorszag! 車窓には北海道のような風景が続く。行ったことないけど。 9:37、定刻より7分遅れで東駅(Keleti palyaudvar)に到着。駅は櫛型ホームにアーチ型屋根で、いかにもヨーロッパって感じが嬉しい。 ブダペストは王宮のあるブダ地区、商業地のペスト地区、旧都市のオーブダ地区が統合したハンガリーの首都である。主要駅は3つあり、国際線が多い東駅と西駅、国内線が多い南駅とのことである。慣れないとちょっと紛らわしい。 まずは外貨両替所へ向かう。ハンガリーはEUではあるが、通貨はユーロを使っておらずフォリントである。列車内で2日間の費用を計算した結果、クレジットカードを主として使用すれば現金70ユーロ(約7800円)もあれば十分か。 「インターチェンジ・ブダペスト東駅店(interchange Keleti palyaudvar)」を発見。「70ユーロをフォリントに両替えしたい」と伝えると、「(ハンガリーには)何日滞在する?」と聞かれる。「2日間」と答えると、「それでは100ユーロだ」と言う。よく分からない理屈だが了承、100ユーロを2万2710フォリントへ換金した。両替は100ユーロ単位なのかもしれない。1フォリントは約0.004ユーロ、約0.5円である。 長男への土産用にハンガリー国鉄の鉄道模型はないかと旅行代理店Wasteelsへ立ち寄るが、入口に展示模型はあるものの、売り物では無いようだ。残念。 駅舎を出て、地下鉄の駅へ向かう。 10:00、徒歩2分で地下鉄の東駅(Keleti palyaudvar)に到着。まずはブダペスト交通局(BKV/Budapesti Kozlekedesi Zrt.)の24時間券1550フォリント(約775円)を購入。ブダペスト交通局は市内の地下鉄、トラム、バス、郊外電車ヘーヴなどを運営しており、そのフリーパスは旅行者にお得なだけでなく、チケット購入や改札いらずの強い味方である。 複数の検札官(駅員)が目を光らせているものの、誰もチケットを提示することなくエスカレーターで構内へ。地下鉄2号線に乗り、まずはホテルを目指す。荷物が重い。 10:15、4つ目の駅コシュート・ラヨシュ広場(Kossuth Lajos ter)駅へ8分程度で到着。ペスト地区からブダ地区へ移動したということである。 地上へ出ると、そこは「国会議事堂(Orszaghaz)」。ゴシック様式のようなルネッサンス様式のような、とにかく堂々たる姿で美しい。広場では何かのイベントが開かれており、大変な賑わい。また中国人SPがあちらこちらにおり、よく見ると議事堂に五星紅旗が掲げられている。中国の要人が来ているのだろう。 予定が詰まっているので内部は見学せず。 10:30、国会議事堂の裏手に回ってドナウ川へ。3日前にもブラチスラヴァへの移動中にバスからちらっと見たが、これが「母なるドナウ川」か。景色を楽しみながら、下流へ向かって川沿いを900m歩いて進む。対岸には「王宮(Budavari palota)」「マーチャーシュ教会(Matyas templom)」などが見えて素晴らしい景観である。川には大小様々な客船や水陸両用車が浮かんでる。 しかし、スロヴァキアと違って暑い。盆地だからかも。 10:50、ついに「セーチェーニ鎖橋(くさり橋/Szechenyi Lanchid)」に到着。重厚な鎖、主塔、4頭のライオン。以前から来てみたいと思っていたが、テレビで観すぎたせいかちょっと感動が薄かったのが残念。 11:10、「セーチェーニ鎖橋」を渡りきると、そこには王宮の丘へ登るケープルカー(Budavari siklo)の長い列があった。距離は大したことないが、かなりの急勾配。乗るという選択肢以外は考えられない。 ケープルカーは板張りのレトロ風で、階段状に3つの小部屋が連なっている。 20分並んで往復チケット1500フォリント(約750円)を購入して搭乗。ここからはペスト地区の眺めがよく、「聖イシュトヴァーン大聖堂(Szt. Istvan Bazilika)」が正面に見える。 11:35、王宮の丘(Var)へ到着。周囲を楽しみながらホテルを目指す。観光客がとても多く、土産店も揃っており、観光馬車やクラッシックカーも走っている。 11:40、3つ星ホテル「ブルグ・ホテル(Burg Hotel)」にアーリー・チェックイン。ホテル前には「マーチャーシュ教会(Matyas templom)」と「三位一体の像(Szentharomsag)」があるという素晴らしいロケーションが気に入って予約したもので、1泊2日で早割り価格7564円。4つ星ホテル「ヒルトン・ブダペスト(Hilton udapest)」の斜向かいにも関わらず、安くて、清潔感あふれる。 「マーチャーシュ教会」は大好きなゴシック様式で、カラフルなタイル屋根がまたいい。「三位一体の像」は18世紀にペスト終焉を記念して建てられたそうだ。 ふと気が付くと、三位一体広場(Szentharomsag ter)には警官が続々と集まってきた。何かあったのかと思ったが、その後の動きはなく、単なる通常警備らしい。 12:15、半袖半ズボンに着替えてホテルを出発。活動開始である。来た道を戻り、再びケープルカーで下へ降りる。 12:40、クラーク・アーダム広場(Clark Adam ter)停留所から19番トラムに乗り、終点のバッチャーニ広場(Batthyany ter)停留所に到着。 12:50、バッチャーニ広場にあるパランチンタ専門店「ナジ・パランチンターゾーヤ(Nagyi Palacsintazoja)」にて昼食を取ることにする。パランチンタとはハンガリー版クレープで、軽食にもデザートにもなる。 店内は明るくて清潔。まずはカウンターで英語メニューを出してもらい、しばし検討。ホルトバージ(380フォリント/約760円)とチョコ(160フォリント/約320円)、コーラを注文。すぐに出てくるので、好きなところに着席。 ホルトバージは豚挽肉を包んだもので、しっかりとした味が付いており美味しい。チョコはチョコレートソースを包み、さらに砂糖とチョコチップを振りかけてあってとても甘い。満足。 ここで初めて日本人らしき娘と遭遇。そういえば、スロヴァキアでは日本人どころかアジア人とも会うことなかったな。 13:05、バッチャーニ広場(Batthyany ter)駅から郊外電車ヘーヴ(HEV)で出発し、2駅でシーヴォルギー通り(Szepvolgyi ut.)駅に到着。この辺りはオーブダ地区である。 バスの出発所を探しながら、道路を渡ろうとして車に引かれそうになる。そっか、日本と反対側から車が来るんだった。 停留所を発見したものの、隣接するレストランが気になる。その名も「ワサビ(Wasabi)」。旅に余裕が出来たら、海外の日本食を楽しんでみたいものである。 13:20、コロシィ広場(Kolosy ter)停留所から65番バスに乗って出発。古い車体で、ディーゼルエンジンをうならせながら、山へ向かってかっ飛ばす。当然アナウンスも無く、誰も降車ボタンを押さないのでノンストップでかっ飛ばす。目的地は確か5つ目のパールヴォルジ鍾乳洞(Pal-volgyi cseppkobarlang)停留所。乗車時に運転手に伝えておけばよかった。 終始緊張しながら景色を眺め、ここぞと降車ボタンを押す。良かった、止まった。 13:30、「パールヴォルジ洞(Pal-volgyi-barlang)」に到着。この洞窟はドナウ・イポイ川国立公園(Duna-Ipoly Nemzeti Park)内にある観光洞。1904年に発見され、総延長約7,200mとされてきたが、31年もの地道な調査の結果、周辺の「Harcsaszaju-Hideglyukケイブシステム」等と接続したことにより、「シーヴォルギー・システム(Szepvolgyi System)」として総延長29,985m(世界総延長第144位/国内総延長第1位)、高低差123mとなった。 道路から階段を降り、まずはチケット売り場で窓口へ。ガイドはマジャル語か英語かを聞かれ、当然後者を選択。大人1200フォリント+英語ガイド代200フォリントの合計1400フォリント(約700円)である。 ツアー開始まで40分もあるので、歴史や二次生成物が紹介されているマジャル語説明板などを見ながらまったりと過ごす。ビジターセンター内には洞窟冊子が並び、天井にはケイバーがチロリアンブリッジを渡っていた。 次第に観光客が集まってきた。 14:20、娘っこガイドを先頭にツアー開始。総勢30名ぐらいで、半分は外国人のようだ。英語ガイドと思いきや、まさかのマジャル語メインで、所々しかわからない。みな苦笑い。 「Octopi」「Crocodile」「Scorpion」等との説明が聞き取れ、観光客はみな笑う。なるほど、そうやって楽しむ穴なのか。 観光部分の空間はさほど広くはなく、階段は狭くて急勾配だが、手すりや階段はステンレスを使用していて好印象。 途中、飽きてしまったカップルが洞内濃厚キスをしており、抜くに抜けない状況に。お願いだから外でやってください。 最後に石筍群を「Snow-white and the Seven Dwarves」と説明されて終了。まぁ、こんなのどこにでもあるんだけどね。 15:00、別洞口から出洞。記念にガイド娘の写真を撮らせてもらう。楽しいガイドをありがとう。 ビジターセンターへ戻り、チェックしておいた資料「パールヴォルジ洞を探検!(Fedezze fel a Pal-volgyi-barlangot! 400フォリント/約200円)」「セムールヘジ洞窟を発見!(Fedezze fel a Szemlo-hegyi-barlangot! 400フォリント/約200円)」「セムールヘジ洞窟(Szemlo-hegyi-barlang 100フォリント/約50円)」を購入する。残念ながら、一番欲しかった「パールヴォルジ洞 発見100年(Pal-volgyi-barlang Egy felfedezes 100 eve 1000フォリント/約500円)」は売り切れだった。 15:10、建物から出るとオーバースーツ姿の男女が5〜6名いた。娘っこに「あなたはケイバー?」と尋ねると、「彼がそうよ」と指差す。その彼に名刺と共に日本のケイバーであることを伝えると、彼はシラード・エレゴーシュ(Szilard Regos)氏で、この洞窟でケイビングガイドをしているという。「いつまでいるんだい? 時間があればガイドするよ!」との嬉しい申し出。「ハンガリーは明日まで。次はスロヴェニアの洞窟へ行く。」と答えると、「じゃあ、今度ガイドするよ!」と言ってくれた。握手をしてから別れる(後にfacebookで友達申請がきた)。
15:40、対岸の「マルギット島(Margitsziget)」を見ながら待つこと8分。シーヴォルギー通り駅から隣のマルギット橋(Margit hid)駅へ移動。 そこから4番トラムに乗り替え、セール・カールマーン広場(Szell Kalman ter)停留所へ。 更に16番バスに乗り換えると、乗り合わせたご老人が「Japanese? Korean? Chinese?」と聞いてきた。「Japan(ヤパーン)」とマジャル語で答えると笑顔になり、「王宮の丘は次で降りるんだぞ」と教えてくれた。ウィーン門(Becsi kapu)をくぐり、ウィーン門広場(Becsi kapu ter)停留所でご老人に挨拶をして下車。この1日でバスやトラムの乗り継ぎは完全にマスターできたようだ。 16:00、王宮の丘(Var)の北西部エリアを散策しながらホテルへと向かう。 16:10、ホテル「ブルグ・ホテル(Burg Hotel)」へ戻る。暑かったのでちょっとだけ休憩。 16:30、ホテルを再出発。裏通りのウーリ通り(Uri u.)を歩く。道路舗装工事中だったり、道路にぎっしりと駐車されていたり。 16:45、本日最後の目的地「ブダペスト・ラビリンス(王宮地下迷宮/Budavari Labirintus)」に到着。 石灰岩台地の王宮の丘には、洞窟が縦横無尽に走っているとのことで、その一部が観光洞として公開されている。ガイドブックによると、監獄、ワインセラー、祈りの場、軍の秘密基地などに使用されていたという。洞口はメイン通りから外れたウーリ通り(Uri u.)沿いにあり、案内板はあるものの、ちょっとわかりにくい。 ウーリ通り9番から地下への階段を降りると、そこはもう洞内で、暗闇の中にチケット売り場があった。2000フォリント(約1000円)を支払って探検開始。 洞内は薄暗くて迷路状。あちこちに平面図のようなものが設置されているが、現在地を把握するのは難しい。元々は自然洞だというが、手を加えられていない部分はほぼ無く、どうやって楽しんだらいいのか正直わからない。外国人観光客はキャーキャー行っていたが、暗闇は恐くないし。。。 見所を見つけられないまま、矢印に沿って歩くこと30分。王宮の丘の外であるウーリ通り4番へ排出された。これにはビックリ。 現在地を把握するのに少し時間がかかったが、再び王中の丘へ戻って活動終了。そういえば、ガイドブックにあったワインの湧き出る泉は無かったな。縮小公開されていたんだろうか。
17:20、ホテルの近くで土産を物色。長男の大好きな機関車Tシャツがあったので、女性店員から一番小さなサイズを出してもらう。パプリカ粉、民族衣装を着た木製人形と共に購入。
17:50、ディーズ広場にある「民芸品センターパビリオン(Nepmuveszeti Udvar Pavilon)」で貴腐ワイン「トカイ・アスー(Tokaji Asz)」を探したが見つからず。仕方なく、ハンガリー版養命酒「ウニムク(Unicum)」とパプリカ粉を買って退散(4000フォリント/約2000円)。 18:00、付近をいろいろ探して見たがこれといった店が見つからず、「ユディット・フォルクロール(Judit Folklor KFT.)」に「again」と言いながら再入店する。笑顔で迎えてくれる2人。 カロチャ刺繍が入った民族衣装が素敵だったが、妻のサイズが分からず。小柄な年輩店員が「私ぐらい?」とスケールになってくれ、なんとかサイズを選択して購入手続き(62700フォリント/23757円)。 クレジットカードで支払おうとすると、同じ店で連続して使ったせいなのか決済できず、別のカードを差し出す。こちらはサインが必要とのことで、漢字でサインすると「難しいわね」と笑う。 楽しく買い物は終了。 18:15、ホテルに立ち寄り、荷物を置いて再出発。 改めて「マーチャーシュ教会(Matyas templom)」「三位一体の像(Szentharomsag)」「聖イシュトヴァーンの騎馬像(Szt. Istvan-szobor)」を見学。聖イシュトヴァーンは初代ハンガリー国王だそうだ。 続いて「漁夫の砦(Halaszbastya)」へ。すでにチケット売り場は閉まっていたが、なかには幾人も観光客がいる。ゲートの脇から入場。この砦は石灰岩から作られており、ここから見るペスト地区の眺めは普段景色に興味のない私でもうっとりとしてしまう。 その後、夕食の店を探しに行く。 18:40、テラス席のあるレストラン「バール・ビストロ(Var Bistro)」に入店。セルフサービス方式で、ハンガリー料理もありそうである。 店の中央にはずらっと料理が並んでおり、注文すると店員が取り分けてくれるらしい。グヤーシュ(Gulyas 990フォリント/約495円)とパプリカーシュ・チルケ(Paprikas Csirke 1500フォリント/約750円)、ハンガリーのビール「ドレーハー(Dreher)」(510フォリント/約255円)を注文。テラス席へ座って料理を楽しむ。 料理は2品共にパプリカ粉をふんだんに使ったもの。グヤーシュはシチューの起源でとても美味しい。パプリカーシュ・チルケはチキンのパプリカ煮込み。生ビールを追加(600フォリント/約300円)。 ハンガリー料理はとても口に合い、もっと色々と食べたかったのだが、一人ではパプリカーシュ・チルケを食べきるので精一杯。無念。日も暮れてきた。 ふと店の奥を見るとワインが見えた。もしかしてと思い近づくと、探し求めていた貴腐ワインがあった。きっと割高なんだろうなと思いつつ、プットニョシュ(puttonyo)5を1本(3839フォリント/約1920円)、プットニョシュ3の小瓶を2本(@1819フォリント/約910円)を購入して店を出た。 涼しくなっていい気分。 20:20、再び三位一体広場(Szentharomsag ter)に戻るとライトアップが始まっていた。もう一度「漁夫の砦(Halaszbastya)」からペスト地区を眺めると幻想的。 美しくライトアップされた「セーチェーニ鎖橋(くさり橋/Szechenyi Lanchid)」に触発され、徒歩で下へ降りて橋を往復する。 21:50、再び王宮の丘(Var)へ戻ると、ユネスコ世界遺産のプレートがあった。「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り(Budapest, including the Banks of the Danube, the Buda Castle Quarter and Andrassy Avenue)」。そう、首都自体が世界遺産なのである。構成遺産のうち、「ブダ城(Budavari Palota)」「マーチャーシュ教会と三位一体広場(Matyas templom, Szentharomsag ter)」「漁夫の砦(Halaszbastya)」「セーチェーニ鎖橋(くさり橋/Szechenyi Lanchid)」「国会議事堂(Orszaghaz)」は見学できた。明日は「ゲッレールトの丘」「ルダッシュ温泉・ゲッレールト温泉」を見学予定である。 最初で最後のハンガリーの夜を目に焼き付ける。 22:20、ホテル「ブルグ・ホテル(Burg Hotel)」へ戻って入浴。バスタブもあって、久々に肩まで浸かって疲れをいやす。 首都ブタペストは素晴らしい街だった。食べ物は美味しく、景観も美しい。治安もいい。何よりも首都に石灰洞があることが素晴らしい。また来てみたい街である。 23:00、窓越しに「マーチャーシュ教会(Matyas templom)」を見ながら消灯。 2日6:00、起床。身支度を整える。
朝食も宿泊代に含まれているが、食べている時間はない。というのも、昼には列車に乗らなければならず、これを逃せば今日中にスロヴェニアへ入国できなくなる。 ハンガリーといえば温泉大国なので、出国前に入泉していくことにした。 6:50、 昨夜とは違ったルートで王宮の丘(Var)を下り、クラーク・アーダム広場(Clark Adam ter)停留所から41番トラムに乗車する。 6:55、聖ゲッレールト広場(Szent Gellert ter)停留所に到着。トラムって便利だなぁ。 目の前には豪華な「ゲッレールト温泉(Gellert Gyogyfurdo)」や「自由橋(Szabadsag hid)」があるが、スルーして「ゲッレールト山(Gellert-hegy)」へ。 7:00、麓にある「洞窟教会(Sziklatemplom)」に到着。ここは自然洞「ゲッレールト山洞窟(Gellerthegyi-barlang)」を利用した教会で、1926年に建設されたものの世界大戦で放棄、1951年にはソビエト軍によって閉鎖されたらしい。その後、1990年に開放され、2008年には修復されて今日に至る。 教会には誰もおらず、案内板によるとオープンは9:30から。教会だから早朝でもなんとかなるだろうと思っていたが、考えが甘かった。中を覗くと自然洞窟であることはわかる。
7:10、気を取り直して 「ゲッレールト山(Gellert-hegy)」のパノラマポイントへ行くことにする。しかし、荷物が重すぎて15分も登ることは無理そうである。 「よし、荷物は残置しよう。洞窟教会の神様が守ってくれるに違いない。」と自分に言い聞かせて、教会近くの草むらに荷物を隠す。人気もないから大丈夫だろう。 足早に山を登り始めると、犬の散歩をする人たちと出会う。
7:30、ちょっと迷ってからパノラマポイントに到着。素晴らしい景色。ドナウ川を中心に、左に「王宮(Budavari Palota)」「マーチャーシュ教会(Matyas templom)」、右に「国会議事堂(Orszaghaz)」、遠くには「マルギット島(Margitsziget)」が見える。紫色に咲く花の香りにも癒されながら、想いを巡らせる。本当に美しい街だなぁ。 7:40、下山開始。 7:50、「洞窟教会(Sziklatemplom)」に戻ると荷物は無事だった。名残惜しくもう一度教会を覗きこんでから、ドナウ川沿いを上流方向へ歩いて温泉を目指す。 8:00、トルコ式風呂「ルダシュ温泉(Rudas Gyogyfurdo)」に到着。オスマントルコ統治時代の1566年に造られたらしい。改装中でよく見えないが、ゲッレールト山の石灰岸壁をバックに建物がある。 入泉料2900フォリント(約1450円)を支払うとリストバンドが渡された。言われるがまま、自動改札にかざして入場。そのまま進むと、係員からフンドシが渡された。これを着けて入るのか。 どのキャビンを使用したらいいのか迷っていると、係員がリストバンドを端末にかざし、キャビン番号を教えてくれた。そういうことか。 狭いキャビンで着替え、フンドシを身に着ける。フンドシだから尻は丸見え。これがハンガリースタイルである。 薄暗い浴室へと進むと、回廊に囲まれた八角形の大浴槽があった。天井はドーム状で、設置されたカラフルな小窓から太陽光が差して幻想的。四隅には4つの小浴槽があり、それぞれ28℃、30℃、33℃、42℃と書かれていた。大浴槽は36℃である。客はマジャル人3名しかおらず、1人は浴槽で新聞を読んでいる。 シャワーを浴びてから大浴槽へ。足を伸ばせることは嬉しいが、湯加減はぬるい。そこへフンドシを手にした欧州人が浴室を覗きにきて、戻っていった。しばらくすると、水着姿で再登場。フンドシには抵抗があったらしい。日本人から言わせれば、前だけでも隠せるんだからありがたいと思うが。 後から入ってきた欧州人も水着姿。結局、フンドシを着けた外国人は自分だけであった。 42℃の小浴槽をしばらく独占してから出る。 9:20、「ルダシュ温泉(Rudas Gyogyfurdo)」を出発。少し歩いて停留所を目指す。 9:40、ルダシュ温泉停留所から18番トラムに乗車する。 9:50、南駅(Deli palyaudvar)に到着。 財布の中を確認すると、1000フォリント(約500円)しかなかった。100ユーロを両替えしておいて正解である。 リュブリャーナ行のチケットは日本で事前購入済(99ユーロ/代理店手数料等込みで13600円)。手続き上、1等席しか選べなかったが、きっと快適なんだろう。 10:00、出発までまだ時間があるので駅舎内を散策する。東駅と同じ櫛型ホームだが、屋根が無く、駅舎自体も味もそっけもない。 線路脇の売店に鉄道模型が付録となっている本があったので、店員に「これはハンガリーの鉄道?」と尋ねると、「そうだ」との答えだったので長男用土産として購入(700フォリント/約350円)。帰国後にドイツ車両だということがわかるのだが・・・・。 10:30、残金300フォリント(約150円)。朝から何も食べていない。駅地下階や周辺を散策してみるが、まだ開店していなかったり、クレジットカード表示がなかったり。あと1時間ぐらいで出発するのに、いまさらキャッシングするのもばからしい。 地上階へ戻り、先ほどとは別の売店へ行く。「Credit card, OK?」と尋ねると答えは「Nem」。「Euro OK?」に対する答えも「Nem」。300フォリントを差し出し、「これで何か買える?」と再度尋ねると、ピザパン(270フォリント/約135円)を差し出された。残り30フォリント。水すら買えない。 椅子に座り、昨日買った水とパンを食べながら時間をつぶす。 11:30、ふと気が付くと、ハンガリー国鉄(MAV/Magyar Allamvasutak)とスロベニア鉄道(Slovenske zeleznice)によるインターシティ(InterCity)「チッタデラ(CITADELLA)」が到着していた。駅員に確認してから乗り込む。 扉もあるコンパートメント席だが、車両はやや古い。隣接する2等席を覗いてみたが、まったく作りは一緒。2等席は半額以下らしいので、ちょっと騙されたような気がする。 12:11、リュブリャーナに向けて出発。約9時間の長旅のスタートである。Viszlat, Magyarorszag! 6人掛けの座席は貸切状態。そうか、1等席は部屋を貸し切るということなのか。贅沢。しかし、空調は効いておらず暑い。車掌が検札に来たが、車内販売も食堂車も無いようである。トイレも垂れ流し。期待したんだが・・・。 車窓からどかな田舎風景をひたすら眺める。 15:30、ザラ−ヴァチク(Zalaber-Batyk)駅で突然、小学生に1等席を占拠される。私を見ながら約10分こそこそと会話して、次のザラセンティヴァン(Zalaszentivan)駅で降りて行った。 16:50、各駅に掲げてある国旗が変わったことに気が付く。スロヴェニアとの国境ホドシュ(Hodos)駅に到着したようである。Dober dan, Slovenija! やっとユーロが使える! 18:00、水が尽きてから2時間が経過。このままでは脱水症状になってしまう。駅では平均して10分以上停車しているので、駅舎内へ飲み物を買いに行くことを決意する。 しかし、乗車車両は最後部ということで駅舎まで遠く(ホームがないこともしばしば)、売店が見えない駅も多い。当然、発車チャイムもない。 なかなか決行できずに駅は過ぎていく・・・。 18:45、プラゲルスコ(Pragersko)駅に到着。先頭車両を交換し始めたので、これはチャンスと決行。駅舎へ走り、売店で水と「コクタ(Cockto)」の購入に成功する。 「コクタ(Cockto)」は共産主義時代に生まれたスロヴェニア版コーラ。スロヴァキアで飲んだ「コフォラ(Kofola)」と同じように、微炭酸でドクターペッパー風味。喉が渇いていたからか美味しい。生き返った。 まだ明るいが、次第に気温は下がってきた。 20:00、ジダニ・ モースト(Zidani Most)駅を通過。駅舎の裏手は石灰岩壁。 この辺りから次第に石灰岩露頭が増えていく。さすが国土の半分が石灰岩という国である。こっちの方がディズニーランドよりも夢の国。 21:00、終点リュブリャーナ(Ljubljana)駅に到着。横になって寝ていた所を車掌に起こされる。ハンガリーでは負け越していたのに定刻通りの到着である。いつの間にかすっかりと日は落ちていた。 駅舎を出ると、駅周辺は薄暗くてファーストフードだけが目立つ。人もさほど多くない。 21:05、まずはバスターミナル(Ljubljana Autobusna Postaja)へ行き、ノヴァ・ゴリツァ(Nova Gotica)行のチケットを購入。ポストイナ(Postojna)まで6ユーロ(約670円)である。この時間はポストイナ(Postojna)方面へ行く列車はない。 21:10、バス出発まで2時間近くあるので、夕食を取りながら待つことにする。 周辺を軽く散策すると、世界のファーストフード「マクドナルド(McDonald's)」、ローカルなファーストフード「アイダ(Ajda)」が目立つが、これらは避けたいところ。中華料理屋もあったがこれも避けたい。せっかくだからスロヴェニアっぽい店は無いかなと探したが、ブレック(Burek)が食べられるような店は見つからない。 21:20、「軽食ユーロバルカン(Okrepcevalnica Euro Balkan)」というドネルケバブサンド屋があった。確かスロヴェニアではポピュラーなファーストフードなはず。 ケパブサンド(2.5ユーロ/約280円)を注文すると、「これは入れるか?」と中身のいくつかを聞いてくる。最後にヨーグルトソースの有無を聞かれ、すべてを入れてもらう。冷蔵ケースからスロヴェニアのビール「ラシュコ(Lasko)」(2.5ユーロ/約280円)を自分で取り出して会計。 他に客はおらず、テラス席で食べる。ヨーグルトソースがマッチしていてなかなか美味しい。ビールもこれまでで一番口に合う。ビールを追加して合計7.5ユーロ(約840円)。 23:00、バスに乗ってリュブリャーナ(Ljubljana)を出発。 23:45、ポストイナ(Postojna)に到着。バスには客がそこそこ乗っていたが、他に降車客はいない。 長距離バスターミナル周辺は、今までのどこよりも殺風景で、人影も車両も見当たらない。地図を見ながらホテルへと向かう。 4つ星ホテル「ホテル・クラス(Garni Hotel Kras)」の脇を通る。泊まらなくてもネーミングがなんか嬉しい。 23:55、3つ星ホテル「ホテル・スポルト(Hotel Sport)」にレイト・チェックイン。部屋にはなんと、1821年にAlojzij Schaffenrathdによって描かれた「ポストイナ洞(Postojnska Jama)」の絵画のコピーが飾られていた。早速興奮。 24:30、シャワーを浴びて消灯。こぎれいだが、バスタブが無いのだけが残念である。 3日6:00、起床。本日は33km離れた「シュコツィヤン洞(Skocjanske Jame)」と「ポストイナ洞(Postojnska Jama)」の梯子である。
道路看板を頼りに駅へと向かうと、道路脇には石灰岩がゴロゴロある。この風景は気持ちが落ち着く。 6:45、ポストイナ(Postojna)駅に到着。 窓口にてチケットを購入しようとすると、「ここに戻ってくるの?」と尋ねられる。「Yes」と答えると往復チケット(6.5ユーロ/約730円)を発券してくれた。 駅舎内には「ポストイナ洞(Postojnska Jama)」の壁画、 「プレドヤムスキ城(プレド洞窟城/Predjamski Grad)」への案内、プロテウス(Proteus)のマークなどがあって楽しい。 7:00、スロベニア鉄道(Slovenske zeleznice)による列車が到着。2両編成で、外観は非常にカラフル。内部もとても綺麗で、空調も効いており、アナウンスは無いが電光掲示板があってわかりやすい。 ポストイナ(Postojna)を離れるにつれて、ここが石灰岩帯であることがわかる。素敵。 7:30、ディヴァチャ(Divaca)駅に到着。 他に降車客はおらず、駅前は閑散としていた。パブが1軒あるだけで、タクシーもいなければ、インターネットにあったレンタル自転車も見つからず。想像以上に何もない。本当に世界遺産の最寄駅なんだろうか。 無料バス乗り場があったが1日2便運航で10時と13時。案内板には「シュコツィヤン洞公園はあっちへ1 uro pes」とあったので、地図を写真に撮ってから歩きはじめる。 7:45、本当にこっちで合っているんだろうか。観光客どころか誰とも会わない。スマートフォンの地図アプリで確認するがかなり心細い。クラス地方名産の生ハム(プロシュート)の看板に癒される。 8:00、 2つ目の案内標識を発見。「あっちへ35min」とある。良かった。間違ってない。 ここから教会脇の細い道を進む。周囲の石垣は当然石灰岩。 8:10、3つ目の案内標識を確認。ここからは山道を進むようである。ここまで来れば間違いはなさそうである。 次第に見慣れた岩が目立ち始める。外国に来たとは思えない、いつもの風景。 8:30、展望台が現れる。案内板によると「ヴェリカ・ドリーナ(大ドリーネ/Velika Dolina)」で比高−163m。下にはアドリア海まで続くというレカ(Reka)川が流れている。見下ろして身震い。 8:45、レストランのような建物を発見。恐る恐る正面に回り込むと、そこは観光洞「シュコツィヤン洞(Skocjanske Jame)」であった。観光客は誰もいない。一番乗りである。 まずはチケット売り場へ。すると、通常ツアーCLASSIC TOURとは別にNEW PARTなるツアーの案内があった。両方参加すると、終わるのが休憩を含めて15:30過ぎ。本日の「ポストイナ洞(Postojnska Jama)」の最終ツアーには間に合わない。翌日のスケジュールも考えて諦めることにする。残念。 通常ツアー15ユーロ(約1670円)を購入。 9:10、隣接するカフェ「Mahnic」にて、サンドイッチ・カルスト(Sendvic Kraski 5.5ユーロ/約620円)」と「シュウェップス(Schweppes 13.5ユーロ/約390円)」で朝食。サンドイッチは生ハム&チーズ。生ハムの産地だけあってとても美味しい(日本は熟成させてない生ハムもどきばかり)。 先程まで数名しかいなかった観光客であったが、バスや車が到着し始め、次第に賑わいを見せる。徒歩で来るところではないのか。 10:10、総勢300名ぐらいで移動開始。どうやら洞口は離れたところにあるようである。 10:20、「Dolina Globocak」を降りて洞口に到着。女性ガイド3名による説明が始まる。この日はイギリス高校生、スロヴェニア語、英語とイタリア語の3班体制。洞内撮影は禁止とのこと。 「シュコツィヤン洞窟群(Skocjanske Jame)」は「シュコツィアン洞窟広域公園(Regijski Park Skocjanske Jame)」内にあり、ユネスコ世界遺産「シュコツィアン洞窟群(Skocjan Caves)」、ラムサール条約に登録されている。総延長6,200m、高低差225m。 まずは「サイレント・ケイブ(Tiha Jama)」という部分を進む。上層部にあたるようで、リムストーンプールなど二次生成物が多く、空間規模もそこそこ大きい。特に目新しいものは無く、所々で説明を聞きながら奥へと進む。 次第に水流音が聞こえ始める。突然、雰囲気が変わってモヤがかり、洞内渓谷の上部へ出た。下に流れるのは地下河川レカ(Reka)川である。確かに先程までの通路はサイレントであった。 高さ45mという鉄橋を渡るのがクライマックス。高さを実感するのは難しいが、とにかく興奮する。 あとは渓谷沿いを進んで洞口を目指す。 12:00、自然洞口から出洞。洞口にはユネスコ世界遺産や功績を残した方々の記念プレートが計5枚設置されていた。 女性ガイドから最後の説明。ここは「ヴェリカ・ドリーナ(大ドリーネ/Velika Dolina)」の底で、地上へはエレベーターを使うか、歩いて戻るかの2通りがあるとのこと。ほとんどの観光客がエレベーターを選択したようだが、もちろん後者を選択。地形を楽しむことにする。 整備された通路を進む。途中、別洞口があったり、朝に立ち寄った展望台が遙か上に見える。日本では見られない大規模なドリーネに圧倒される。素晴らしい。隣接する「マーラ・ドリーナ(小ドリーネ/Mala Dolina)」も散策したいものだ。
12:40、隣接するレストラン「Mahnic」にて昼食。入店すると日本人っぽい男性がいたが、入れ替わりで店を出て行った。 メニューを眺めていると、ツーリスト・メニュー(12.5ユーロ/約1400円)なるものを薦められる。Mahnicブランドの地ビール(5.5ユーロ/約620円)と共に注文。 ツーリスト・メニューは、きのこスープ、豚肉のロースト、マッシュポテト、ミックスサラダ、ティラミス。マッシュポテトは2玉でちょっと多い。ティラミスは美味しいが、日本の倍はあるサイズ。お腹が苦しい。 13:30、インフォメーションに立ち寄り、ディヴァチャ(Divaca)駅までの無料バスの時間を尋ねると今行ったばかりだという。「そこでビールでも飲んで待ってて」と女性職員は笑う。再び歩いて帰ることにする。 気候も良くて心地いい。2cmぐらいの小石1つを拾って、自分への土産とする。 展望台から「ヴェリカ・ドリーナ(Velika Dolina)」を見下ろし、余韻に浸る。マーラ・ドリーナ(Mala Dolina)対岸にはシュコツィアン(Skoejan)集落が見える。時間があれば立ち寄ってみたかった。 この辺りで男女の若者グループと遭遇。付かず離れずの距離で駅へと向かう。 14:20、ディヴァチャ(Divaca)駅に到着。しばし列車を待つ。 14:35、ディヴァチャ(Divaca)駅を出発。 15:10、ポストイナ(Postojna)駅に到着。 トイレに立ち寄ると、個室のドアが妙なことに気が付く。ドアの半分がない。人が出入りできるほどの空間である。試しに座ってみたが、落ち着かないことこの上ない。 こちらも駅前にはタクシーはいないので、取り合えずは徒歩で中心街を目指す。 15:30、中心街は閑散としていた。ここにもタクシーはいない。きっと、流しのタクシーはいないんだろう。インフォメーション「コンパス・ツアーズ(Kompas Tours)」に聞こうかとも思ったが、「ポストイナ洞」までそんなに遠くなさそうなので歩くことにする。 15:40、観光洞「ポストイナ洞(Postojnska Jama)」の末端に到着。駐車場はそれほど混んではいない。 3つ星ホテル「ホテル・ヤマ(Hotel Jama)」もあったが、建物は相当古い。立地と名称から宿泊を検討したが、選択しなくて正解である。 15:45、まずはチケット売り場へ。窓にはチケットと11ヶ国語で書いてあるので見落とすことはない。 チケットは色々な組み合わせで買えるようだ。「ポストイナ洞(Postojnska Jama)」「プレドヤムスキ城(プレド洞窟城/Predjamski Grad)」「ヴィヴァリウム(Vivarium)」「プレドヤムスキ城下の洞窟(Jama pod Predjamskim gradom)」「蝶の展示(Razatava metuljev)」の全てがセットになったスーパー・パッケット(Super Paket)というチケットがあった。よくわからないがお得そうである。39.5ユーロ(約4390円)で購入(帰国後、約9%オフと判明)。女性係員には何度も聞き返されたので、購入する人は少ないのかもしれない。 15:50、まずは「プロテウス・ヴィヴァリウム(Proteus Vivarium)」 へ。ここは洞窟性生物を中心とした博物館で、ホライモリ科の生きたプロテウス(Proteus)が見られる施設である。 入館すると、まずは洞内生活をする古代人が出迎えてくれる。続いて現れた扉付き洞口の上部からはトロッコが見え、ここがポストイナ洞の一部だということがわかる。予想していた施設と違い、二次生成物が豊富で、照明は薄暗い。貸し出されたライトを片手に進むと、カマドウマ、オビヤスデ、ケイブフィッシュ、チビゴミムシ、ワラジムシ、クモ、カニムシ、陸貝、エビ、メクラヨコエビなどが生きた状態で展示されていた。ゴミまで展示して警鐘を鳴らしている。こういった展示方法、内容は日本の遙か先を行っている。岩手県の観光洞「龍泉新洞科学館」をリニューアルする際には参考にすべきであろう。 奥にはプロテウス(Proteus)が4頭、それぞれ分けられて水槽の中にいた。やっぱりかわいい。生プロテウスは2005年のフランス・ベルコール地区遠征での観光洞「ショランシュ洞(Grottes de Choranche)」以来だが、あちらは生きているのか否かわからない状態だったが、こちらは随時交代させて展示させているらしい。 プロテウス(Proteus)はスロヴェニア洞窟界やポストイナのシンボル的存在で、ユーロ導入前の10ストティン硬貨のデザインになっていた。増水時に洞内より流れ出し、ドラゴンの子供とされていたらしい。とても愛着のある生物なのであろう。 洞窟から建物へと進むと、最後に蝶の展示があったが興味ないので通過。出口へと向かう。
16:15、ツアー時刻までさほど時間的余裕はないが、出洞後は閉店しているであろうと思い、急いで土産店を物色。 ポストイナ洞の大人用Tシャツ2枚(23.6ユーロ/約2630円)、子供用Tシャツ2枚(19ユーロ/約2110円)、マグネットの4ヶセット(10.99ユーロ/約1220円)、リトルドラゴン・ジャミの塗り絵(Pobarvanka Zmajcek Jami 2.99ユーロ/約340円)、写真集「ポストイナ洞」(Postojnska Jama 14.99ユーロ/約1670円)、DVD「ポストイナ洞」(Postojnska Jama 14.90ユーロ/約1660円)、DVD「プレドヤムスキ城」(Predjamski Grad 14.90ユーロ/約1660円)、ポストイナ洞ガイドブック(Postojnska Jama Tourist Guidebook)と手当たり次第に購入する。 16:40、 買い物を済ませて洞口付近へ。シュウェップス(Schweppes) を飲みながら、ツアー開始時刻を待つ。 ふとチケットを見ると、日付や時間が刻印されていることに気が付く。Postojnska Jama 03.05.2012 16:00とある。参加時刻が決まっているのか? 慌てて近くにいた係員に尋ねると、「チケット売り場で交換してもらいな」とのこと。やばい。400m離れたチケット売り場まで走る。 チケット売り場の女性係員にこのことを伝えると、「No problem」と笑いながら手書きで17:00と書いてくれた。時間は関係ないようである。 再び洞口へ走って戻る。 17:00、「ポストイナ洞(Postojnska Jama)」入洞が開始される。チケット記載の時間はノーチェック。 「ポストイナ洞ケイブシステム(Jamski Sistem Postojnska Jama)」は、ピウカ(Pivka)川流域にある「ポストイナ洞(Postojnska Jama/11,235m)」「チュルナ洞(黒洞窟/Crna Jama/3,294m)」「マグダレナ洞(Magdalena Jama/1,395m)」「ピウカ洞(Pivka Jama/794m)」「オトク洞(島洞窟/Otoska Jama/632m)」「地下河川ピウカ(3,220m)」からなる総延長20,620m(世界総延長第230位/国内総延長第2位)の横穴である。 13世紀には知られていたが、1818年の探検により巨大な洞窟だということが分かり、1819年から観光化。1872年には洞内鉄道が設置されたことにより年間8000人が訪れ、観光地として世界的名声を博した。 日本でも1887年の教科書「高等小學讀本第七」において「トリーステノ近傍アデルスベルヒニ在ル鐘乳石洞モ、亦宏壯觀ルベキミノニシテ、數多ノ房室アリ、相連屬シ、而シテ河流其中ヲ通過ス。」と紹介されている。 その後はダンスホールや第2次世界大戦のドイツ軍燃料貯蔵庫に使用されたり、世界初の洞内郵便局が開設されたり、洞窟性昆虫ホソクビムシ(Leptodirus hochenwartii)やプロテウス(Proteus anguinus)の発見により洞窟生物学のきっかけとなった。 まずは有名なトロッコ列車に乗車して洞奥へ。このトロッコがなかなか速く、狭洞部も通過するので、まるでジェットコースターのようである。みんな「キャー!キャー!」言って盛り上がる。 1818年に発見された「スターラ・ヤマ(Stara Jama/古い洞窟)」を疾走している途中、「コングレス・ホール(Kongresna Dvorana/旧称:ダンス・ホール)」にはシャンデリアが吊られており、1825年の様子を再現してあった。1965年に行われた第4回国際洞窟学会(The 4th International Congress of Speleology)にちなんだ名称とのこと。 17:10、3200mを疾走して降車ホールに到着。ここからは徒歩でのガイドツアーとなる。この時間帯はスロヴェニア語、ドイツ語、英語の3班に分かれるようである。ここから「コンサートホール(Koncertna Dvorana)」までフラッシュ撮影は禁止。 英語ガイドツアーにはやたらとうるさいアジア系のツアー団体が。説明が満足に聞こえない。そのひとりに「Chinese?」と尋ねたところ「Korea」との答え。昔の日本人もこんな感じだったのか。一緒にされると恥ずかしいので離れて歩く。 洞内は二次性生物が豊富で、「ポストイナ洞よりシュコツィアン洞のほうがお勧め」なんて評価もあるが、甲乙はつけがたい。世界遺産になっていない理由は、手が加えられすぎているからかもしれない。カラフルな照明のなか、第1次世界大戦で捕虜になったロシア兵によって作られたという「ロシア橋(The Russian Bridge)」を渡り、ストローが見事な「スパゲティホール(The Tiny Tubes Hall)」、切手にもなっているシンボル的存在のである石柱と石筍「ブリリアント(The Brilliant)」、プロテウスの水槽を見て進む。 最大の空間という「コンサートホール(Koncertna Dvorana)」に到着。ここは1000人以上を収容できるとのことで、床はコンクリート舗装で平坦になっていた。 このホールには近代的な建物があった。洞内土産店兼簡易郵便局である。最後の最後にまた興奮。 18:35、帰りのトロッコももちろん疾走。楽しいなぁ。 トロッコを降りて洞口へと進むと、出洞直前には写真売り場があった。勝手に撮影しておいて良かったらどうぞという、某ネズミの国スタイルのやつである。6.5ユーロ(約730円)と割高だが、この旅行で自分の写真はほとんどないので2枚とも記念に購入。 18:30、出洞。すでに土産店のほとんどは閉まっており、買っておいて良かったなと実感。 再び徒歩でホテルへと向かう。道路には各国の言葉で「さようなら」の文字があった。
19:10、「ホテル・スポルト(Hotel Sport)」に戻る。シャワーを浴びて、しばし休憩。 19:50、確かホテル内にレストランがあったはずとその場所へ行くと、営業している気配はない。カウンターで尋ねると、そこは朝食だけとのことであった。近くのレストランを紹介してもらう。ピザが食べられるらしい。 20:00、徒歩数分でレストラン「ピッツェリア・ミヌトゥカ(Pizzerija Minutka)」に到着。 入店すると、そこには「シュコツィアン洞(Skocjanske Jame)」のレストラン「Mahnic」ですれ違った男性がいた。どちらからともなく話しかけ、お互いに日本人だと確認。関西から来たという旅慣れた同世代のTさんである。彼も同じホテルに滞在しており、長期休暇をとっては世界のあちこちを巡っているとの事である。 久々の日本語もうれしく、串焼き(Raznjzci 8.2ユーロ/約920円)をつまみにスロヴェニアのビール「ラシュコ(Lasko)」(@2.3ユーロ/約260円)2杯を飲みながら楽しく情報交換をした。 21:50、もう一品頼んだはずだったのだが、注文に入っていなかったらしい。ビールでおなかがいっぱいになってしまったのでTさんと共にチェックアウト。 22:00、ホテルへ戻り、再びシャワーを浴びる。 気候もよく、窓を開けながら消灯。明日は活動最終日である。
テレビをつけるとドラゴンボールが放送されていた。悟空の声は男性で野太い。 7:00、ホテル内のレストランで朝食。ビュッフェスタイルで、ソーセージ、ハム、チーズ、玉子、酢漬け、ジュース、パ ンなど、どれもそれぞれ数種類あって量、質ともに満足いく内容。 8:00、「ホテル・スポルト(Hotel Sport)」をチェックアウト。宿泊代は日本で支払済(2泊3日で11040円)。 本日のスケジュールを伝え、夕方まで荷物を置いておいてもらうようにお願いする。また、これまでにタクシーが極端に少ないことがわかったので、タクシーを呼んでもらう。 Tさんが朝食を食べに通りがかったので、挨拶と別れを告げる。 ホテル前でタクシーを待つ。 8:15、タクシーは来ない。 8:30、タクシーは来ない。付近を散策しながら待つ。 8:45、タクシーは来ない。 チェックインカウンターでタクシーが来ないことを伝えると、何か勘違いしていたらしく、謝りながら大急ぎでタクシーを呼んでくた。「そこでコーヒーでも飲んでいって」とバーカウンターでご馳走になる。 コーヒーを飲みながら「クリジィナ洞(Krizna Jama)」へ行くことを伝えると、そこには自然のプロテウス(Proteus)が棲んでいるとのことで期待が膨らむ。 ここでスロヴェニア語講座。「クリザ・ヤマ」「Krizna」「クリジナ」「Krizna」「クリズナ」「Krizna」「クリジィナ」といった会話が続く。 このホテルとは諸々で事前にメールのやり取りを行っていたが、レスポンスも良くて親切。また宿泊したいホテルである。 9:00、タクシーが到着。助手席に座れという。この国では客は助手席に座るものなのだろうか? お互いに自己紹介。ダリオ(Darij Marusic)さんは個人タクシーのようだ。 すると、ダリオさんは「シロ? ドークツ?」と聞いてくる。いったい何語を話しているんだろうと戸惑っていたが、しばらくして「城? 洞窟?」と言っていることに気が付く。笑いながら「Shiro, please.」とお願いする。なんでも毎日、日本人を乗せているとのことで、他にも「アリガト」「ウツクシイ」などの言葉を知っていた。 ダリオさんは明るい人で、世間話をしながらポストイナ洞(Postojnska Jama)前を通過してカルスト台地を進む。その距離はホテルから約11kmで、とてもじゃないが歩ける距離ではない。無料バスがポストイナ駅から1日5便出ていると言うが、時間的にはタクシーが正解だろう。 のどかな風景の中を走っていると、老人が 「プレドヤムスキ城(プレド洞窟城/Predjamski Grad)」方面へ歩いていた。ダリオさんは停まり、なにやらドイツ語で話をしている。知り合いなのか? その老人を後部座席に乗せて再出発。いったい何が起きているんだろう? 9:30、 「プレドヤムスキ城」に到着。老人は代金を支払って降りていく。まさかの相乗りである。これは日常なんだろうか? ダリオさんは「14時に戻ってくる」と言ったので、ここで自分のスケジュールを説明、1日乗せて欲しいと伝える。ダリオは「POSTOJNA-PREDJAMA-KRIZNA JAMA-POSTOJNA(HOTELSPORT)」と伝票に書き、「90ユーロ(約1万円)でどうだい?」と聞いてきた。相場はわからないが、もちろん了承。 ダリオさんには城前で記念写真を撮ってもらい、彼は去っていった。 9:40、チケット売り場にスーパー・パッケット(Super Paket)を見せ、まずは城を見学する。 「プレドヤムスキ城(プレド洞窟城/Predjamski Grad)」は高さ127mの石灰岸壁中腹に建設された中世の城である。12世紀に建てられ初め、その後は増築が繰り返され、現在の姿は16世紀のものとのこと。その名の通り、城の背後には「プレド洞(Predjama)」が広がっている。ジャッキー・チェン主演映画「サンダーアーム 龍兄虎弟」では敵のアジトとして登場しており、ケイバーになる前の28年前に観たのにも関わらず、その衝撃的な記憶は忘れられない。まさか実際に見られる日が来るとは感無量である。 しばし、その姿を眺める。なんと美しく、幻想的なんだろうか。いくら眺めていても飽きない。 城内に入ると、なかは複雑な博物館になっていた。城自体のの歴史的説明もあるが、家具、絵画、教会、投石場、武器、拷問道具などが並ぶ。しかし、興味があるのは随所に現れる洞窟部分。洞窟をうまく利用して建設されたのが分かる。最上階の6階には滴下水を集めた水汲み場もあった。 窓から見える風景にも足が止まる。まるで中世にタイムスリップしたような気持ちになる。
11:00、城前で「プレド洞(Predjama)」ガイドツアーの開始を待つ。 「プレドヤムスキ・システム(Predjamski sistem)」は、「プレド洞(Predjama)」「Poziralnik Lokve」「渓谷の洞窟(Jama v Grap)」からなる総延長13,092m(国内総延長第4位)の横穴である。5〜10月のみガイドツアーが開催される。 女性ガイドが登場、ライトを渡されてツアーが開始される。参加者はフランス人カップルと自分の計3名。 ツアー用の洞口は城の下部にあり、ドアを開錠して入洞する。洞床には石が並べられ、そこから外れないようにとの無言のプレッシャーがかかる。 1856年の落書きをフラッシュ無し撮影したところ注意される。撮影禁止だったらしい。 その後は階段を登ったりしながら見学。ケイバーであることを伝えると、「どのくらい洞窟に入っているの?」と聞いてきたので「every month」と答える。とても驚いたようで、途端に態度が良くなる。本格的なケイビングツアーも60ユーロ(約6700円)であるとのこと。 11:45、ツアー終了。目の前の土産店でガイドブック「プレドヤムスキ城(Predjama Castle 6.99ユーロ/約780円)」を購入。
店内には男の子がうろちょろしていた。名前はジャン(Zan)君で1才とのこと。自分にも1才の息子がいると伝え、あやしたり、写真を撮ったりする。かわいい。ママからは「写真を送って頂戴」と名刺を渡される。いつか再会したいものである。妻子がいるのになんで一人で旅行しているのとも聞かれたけど。 13:00、このレストランには6部屋のソベ(Sobe)があり、次回はここに泊まりたいなぁと思っていたところにダリオさんが登場。14:00って言ってたはずなのに。慌てて支払いを済ませ、助手席に座る。 「クリジィナ洞(Krizna Jama)」へ移動しながら、集合時間と連絡先を聞いてきた。答えると電話をかけ、何やら解決した模様。 途中、「ツェルクニツァ湖(Cerknica jezero)」という看板があったので、「つい最近、日本のテレビでツェルクニツァと洞窟を紹介していたよ。」と言うと、「今は水が無い。帰りに5分寄ってあげるよ。」と言ってくれた。 14:00、「Gostilna in Spageterija Rigler」というレストランに到着。ダリオさんは「ここでコーヒーでも飲んでいて。迎えが来るからね。」と言って去って行った。どこだここは? とりあえず入店してメニューをもらう。スロヴェニア語、イタリア語、英語と3ヶ国語で書いてあって分かりやすい。スロヴェニアはトリュフの産地だったことを思い出し、店員に尋ねると、厨房へ確認しに行った後に「ニョッキならあるよ」との答え。スロヴェニアのビール「ラシュコ(Lasko)」(1.7ユーロ/約190円)と共にトリュフのニョッキ(Njoki s tartufi 8.5ユーロ/945円)を注文。 ビールを飲みながら店内を観察する。ここは「プレドヤムスキ城」から36km離れたグラホヴォ(Grahovo)村のBloska Policaという所らしい。 大量のニョッキが登場。想像以上の量で、100ニョッキはある。食べても、食べてもなくならない。そもそも2時間前に食事をしたばかりである。あと30ニョッキというところでギブアップ。初めて食べた黒トリュフは、味も香りもしないものだった。はずれトリュフなのかな。 15:00、迎えの青年が来たので、店員に残したことを謝りながら支払いを済ます。 車で150mほど移動し、とある建物でガイドツアー窓口であるAlojz Troha氏と挨拶。勝手がわからないまま、迎えの青年と再び車に乗る。南へ800mほど走ったところには案内板があり、そこから砂利道へ入って1.3kmほど先の終点まで進む。 15:15、「KRIZNA JAMA」と書かれた山小屋に到着。早速、つなぎや長靴、ヘルメット等を用意してもらい着替える。つなぎは着なれたメアンダー(Meander)のヘリックス(Helix)モデルである。 そこへシトロエンに乗った若者が到着する。どうやら一緒に入る客らしい。 お互いに自己紹介。彼らはポーランド人で、カップルと男性の3人組。「このカメラPanasonicは日本製だ。このカメラCanonもだ。」「Nikonはドイツ製かなぁ。」「みんな日本製だよ。」といった会話が弾む。写真を撮ると「facebookに載るわね」と笑う。
「クリジィナ洞(Krizna Jama)」は総延長8,273m(国内総延長第7位)の横穴で、無照明の探検型観光洞である。1時間コースと4時間コースがあり(後に7時間コースも設定)、後者は1回4名までで、参加者人数によって代金が変動する(今回は4名参加で30ユーロ/約3350円)。水路を進むので雨天の場合は中止。参考にした書籍「Cave Guide Slovenia Caves of the Classical Karst」にはmust be visitedと紹介されている。前述したとおり、プロテウス(Proteus)が棲む国内約20ヶ所の洞窟のひとつ。なお、Kriznaはcrossの意味。 ガイドは迎えに来てくれた青年のガシュペル・モディツ(Gasper Modic)氏。つなぎがメアンダー製なので、グスト・スティブラニー(Gusto Stibranyi)社長のことを尋ねたが知らないとのこと。 16:00、斜面を降りながら広い空間を進んでいくと、獣骨が展示されていた。ここで発見されたホラアナグマ(Jamski Medved)とのことで、比較展示されていたヒグマ(Rjavi Medved)の2倍サイズの頭骨に驚く。 16:15、第1地底湖(I. Jezero)に到着。大小のボートがあるが、大きいほうは1時間ツアー用のボートらしい。 まずは大きなボートに乗り、設置してある強力ライトを照射、地底湖が緑色に光り輝く。女性ポーランド人が「Fantastic!」と声を上げたがその通りである。粋な演出である。 16:20、小さいボートに乗り換えて上流へと進む。 陸へ上がり、地底湖ではボートを浮かべる。そんなことを10回以上繰り返す。ボートは基本的にはガシュペルさんが持ち運んでくれるが、時にはみんなで運ぶ。 二次生成物は見ごたえあるものばかりで、どれだけ沢っても、どれだけ写真を撮ってもOK。記念撮影もしてくれるサービスぶり。 つらら石をオールで軽く叩いて音を聞かせてくれたり、二次生成物にライトを透過させたり、陰に隠れた水流音を指して「Broken toilet」とユーモアのある説明をしてくれたりと飽きさせない。 17:50、ツアー最終地点「Kalvarija」に到着。特に二次生成物が多いポイントらしい。ここでしばし自由時間。 色々観察していると、ワラジムシの一種「ティタネテス・アルボス(Titanethes albus/Cave Woodlice)を発見する。ガシュベルさんには、日本の洞窟にはいないことを伝える。 18:10、記念撮影後に洞口を目指して出発する。 19:30、出洞。これでこの旅の全活動が終了である。代金30ユーロ(約3350円)を支払う。
19:40、着替えながらポーランド人と世間話。今後の予定を聞かれ、今夜はリュブリャーナ(Ljubljana)に泊まり、明日は帰国することを伝える。すると、「一緒にリュブリャーナまで車に乗って行きないよ。」と言ってくれた。荷物がポストイナのホテルにあり、タクシーを呼んであることを説明する。 19:50、「洞窟があるなら、次の旅行はあなたの国へ行くよ。」と言ってポーランド人と別れる。 20:00、ダリオさんが登場。ガシュペルさんに日本手拭いをプレゼントし、握手をして別れる。楽しいガイドをありがとう。 今度は助手席にご老人が座っていた。また相乗りかと思ったら、ダリオさんの父親とのこと。ダリオさんよりも日本語を知っており、楽しい会話が続く。 一方でダリオさんは、列車の時間に間に合わせるため、ポストイナ(Postojna)までの25kmを快調に飛ばす。予定の列車を逃すと、あとは2時間後の終電しかなく、ホテルに着くのは24時過ぎになってしまう。途中で高速道路と並走する箇所があったが、同じ速度で走ってくれたのには苦笑い。 20:30、「ホテル・スポルト(Hotel Sport)」に到着。預けていた荷物を受け取り、スタッフとも別れの挨拶。
20:43、スロベニア鉄道(Slovenske zeleznice)にてポストイナ(Postojna)駅を出発。ダリオさんのおかげで楽しく、効率よく観光ができた。1日ありがとう。 車掌からチケット5.48ユーロ(約610円)を購入。相変わらず快適な車両である。 21:46、リュブリャーナ(Ljubljana)駅に到着。徒歩で中心街にあるホテルを目指す。 22:00、プレシェーレノフ広場(Presernov trg)に到着。あちこちのテラス席や街角には、カップルや老人の姿が見える。キャッシュディスペンサーで現金を引き出している者もいる。治安はかなり良さそうである。 22:05、薄暗い路地にある2つ星ホテル「ホテル・エモネツ(Hotel Emonec)」にレイト・チェックイン。翌朝4:30にチェックアウトすることを伝え、清算を先に済ませたいことを伝える。64ユーロ(約7120円)を支払うと、「警備員に朝食を渡しておくから持って行って。」と言われる。なんて優しい。 部屋は綺麗で申し分ないのだが、外で騒ぐ声が聞こえる。立地の問題か。 22:15、ホテルスタッフに夕食へ行くことを伝えて外出する。 22:20、事前にチェックしておいた旧市街にあるレストラン「ソコル(Gostilna Sokol)」へ。ここはスロヴェニア伝統料理が食べられるという。 店員に「Slovenian traditional foodが食べたい。」と言うと、クメチュカ・ポイェディナ(Kmecka Pojedina 13.9ユーロ/約1545円)を薦められる。ビールは「ウニオン(Union)」か「ラシュコ(Lasko)」かを聞かれ、後者(2.5ユーロ/約280円)と共に注文。 店内は昔の民家といったイメージで、店員は民族衣装を着ている。かなり割高のようだが、観光客としては嬉しい。 ごった盛りのプレートが出てきた。カルバビツァ(Krvavica/血のソーセージ)、ペチェニツァ(Pecenica/揚げソーセージ)、スビンスカ・プレカイエナ・レブルツァ(Svinjska Prekajena Rebrca/豚肉ベーコン)、キスロ・ゼリエ・イン・レパ(Kislo Zelje in Repa/キャベツとカブの漬物)、ジガンツィ(Zganci/そばがき)、クルホウ・ツモカ(Kruhov Cmok/ダンプリング)と6種類が乗っていた。血のソーセージがすこぶる美味いが、そばがきはボソボソしていて癖が強い。 「Lasko, please.」と銘柄指定でビールの追加注文したら、店員はかなり喜ぶ。 23:10、ユーロが余り気味だったので現金で支払い、端数はチップとする。 酔っぱらいながらプレシェーレノフ広場(Presernov trg)へ。やっぱり治安は良さそうである。よし、観光をしてみよう。 23:20、まずはライトアップされているトロモストウイエ(Tromostovje/三本橋)を見学。旧市街と新市街をつなぐ小さな橋。 隣接するフランシスコ会教会(Franciskanska Cerkev)はピンク色でかわいい。 今宵は満月。高台に見えるリュブリャーナ城(Ljubljanski Grad)はライトアップされていて幻想的。 ちょっと足を伸ばしてウィンドウショッピング。 トロモストウイエの隣の橋である竜の橋(Zmajski Most/ズマイスキ・モスト)は、欄干にリュブリャーナの象徴である竜が鎮座する。かっこいい。 リュブリャーナ(Ljubljana)はこじんまりした綺麗な街といった印象が強い。 23:45、ホテルに戻る。シャワーを浴びて消灯。充実した1日だった。 5日4:00、起床。身支度を整える。
このエリアは車両通行禁止なので、200mほど離れたグランド・ホテル・ユニオン・エグゼクティブ(Grand Hotel Union Executive)前へ移動し、予約してあるプライベートバス「MNJトランスファー(MNJ Transfer)」を待つ。代金は日本で支払済(9ユーロ/約1000円)。 5:00、予定通りワゴン車が到着。途中で2人を拾って、市街地から23km離れた空港へ向かう。 6:00、ヨジョ・プチニク国際空港(Letalisce Jozeta Pucnika Ljubljana)に到着。地方空港のような、こじんまりとした印象の空港である。 チェックインカウンターの前に小さな土産店「Trgovina Ljubljancek」があったので覗いてみると、アドリア航空のダイキャストモデルセットがあったので長男用に購入。 続いてチェックインをしようとすると、超美人なグランドスタッフが荷物重量オーバーだと言う。既定の23kgを軽く超えているらしい。「後ろのカウンターで払ってからまた来て。」と彼女は言う。 支払いカウンターは前の人の手続きが終わらず、刻々と時間は過ぎていく。やっと順番となり、伝票を見せながらオーバーチャージ代を払いたいと言うと、「荷物は1つか?」「Yes.」「それならOKだ。どこのカウンターで手続きした?」「え〜っと、No.4」といったやり取りの後、年輩係員は4番カウンターに電話を入れてくれる。サービスしてくれてありがとう。 いつの間にかチェックインカウンターは長蛇の列であったが、超美人グラウンドスタッフが私を見つけてくれ、チェックインを済ませてくれる。
すると、放送で名前を呼ばれていることに気が付く。慌ててエスカレーターで2Fへ上がり、走って搭乗口へ向かう。 6:45、搭乗して座席へ向かうと、そこには男性が座っていた。戸惑っていると、「君が最後(の搭乗)だ。空いている席に座りなよ。」と言う。なるほどねぇ。 7:00、アドリア航空「ボンバルディアCRJ900」にて離陸。 8:30、フランクフルト国際空港(Flughafen Frankfurt am Main)ターミナル1に到着。EU人窓口に並んで笑われたが、無事に出国手続きを済ませる。 9:10、「フランクフルトでフランクフルト」というのをしてみたくなり、ミニ・バー(Mini Bar)にてドイツのビール「リッヒャー(Licher)」(5.5ユーロ/約610円)と共にブラートヴルスト(Bratwurst パン付きで3.5ユーロ/約390円)を注文。美味しかったが、この頃は身体が肉よりも野菜を欲していることがわかる。 9泊10日の独り旅であったが、現地では様々な人たちと交流が持て、充実した遠征であった。 スロヴァキア、ハンガリー、スロヴェニア、どの国も洞窟的には心残りが多く、もう一度は行ってみたい。お勧めのエリアである。
今回知り合った洞窟関係者とは、その後も連絡を取り合っているが、この遠征3ヶ月後に悲しい知らせが届いた。 スロヴァキアの「ズボニヴァの竪穴(Zvoniva Jama)」にでお世話になったガブリエル・ヤカップ(Gabriel Jakab/通称:ガビ)が2012年8月7日に亡くなったという。詳しいことはわからないが、自宅で銃で自殺したらしい。享年24歳。新婚旅行では日本においでと話したばかりだった。 ルドさんとグスタフ社長に頼んで、墓石には花を捧げてもらっている。心からご冥福をお祈りいたします。(文責 千葉伸幸) |
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