タイトル | 地底旅団ROVER元老院第160回CAVING | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サブタイトル | "Tour de France" dans ベルコール地区 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
分 類 | ファンケイビング・観光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
入洞洞窟 | ゴンパループ洞(Gouffre Gampaloup)、レ・コン・ドゥ・フェー洞(Scialet de la Combe de Fer)、ショランシュ洞(Grottes de Choranche)、グルニ洞(Grottes de Gournier) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日 程 | 2005年8月6日(土)〜14日(日) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参加者 | 千葉、小池純、湊幸栄、落合直之、宮崎朋彦(以上、東京スペレオクラブ) 以上5名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランス共和国は、人口約6000万人(日本の1/2)、面積約55万ku(日本の1.5倍)というEU加盟国である。 国土には高低差世界第3位「ミホルダ洞(Gouffre Mirolda/−1,626m)」、第4位「ジャン・ベルナー洞(Reseau Jean Bernard/−1,602m)」、第19位「レ・ピエール・サン・マルタン洞(Gouffre de la Pierre Saint Martin/−1,342m)」や、総延長世界第12位「フェリックス・トンバ洞(Reseau Felix Trombe/105,767m)」など世界有数の大洞穴を保有しており、テクニック、ギア、人材ともにケイビング先進国の一つである。 東京スペレオクラブでは、2002年ベルコール(Vercors)地区&ピエール・サン・マルタン(Pierre-Saint-Martin 通称:PSM)地区、03年ベルコール地区、04年PSM地区と定期的にフランス遠征を行っており、2005年はPSM地区での調査活動へ参加するために企画された。 PSM地区での調査活動とは、胴元であるA.R.S.I.P.(Association pour la Recherche Speleologique Internationale a la Pierre St Martin=ピエール・サン・マルタン国際洞窟探検協会)のもとに各隊が活動し、その成果はA.R.S.I.P.に報告するという形式をとっている。04年に世話になり、今回も世話になる予定のBernard隊はPSMスペイン側に開口する「AN8(−850m)」を調査中で、水系接続が確認されている3洞穴の接続を目的としている。これが成功すれば深さ−1,800mを超えるという。 ベルコール地区とは、ベルコール地域国立公園(le Parc naturel re'gional du Vercors)に指定される国内有数の石灰岩帯である。世界初−1000mを記録した「ベルジー−フーマジェー洞(Gouffre Berger−Fromagere/−1,271m)」を始め、「トォー・キ・スーフェ洞(Reseau du Trou qui Souffle/総延長46,600m)」「ラ・リュイエ洞(Grotte de la Luire/総延長37,769m)」「スーペリヨ・ドュ・クロ・ダスプレ洞(Reseau Superieur du clos d'Aspres/総延長17,865m)」などが点在している地域である。 6日8:00、千葉・小池・湊・宮崎は成田空港に集合。 湊夫人の見送りのあと、各手続を済ませて手荷物検査。CL小池とSL湊は手荷物開示を求められ、横から見ているとカラビナやハンガーがじゃらじゃら。2002三陟世界洞窟博覧会に行った時、異国でひとり足止めされた我が身としては、金物を手荷物として持ち込む心境が理解できない。検査官は確認後に機内持ち込みを許す。カラビナは危険じゃないのか? 出国審査後、わずかな時間を見て地R元BBSへ書き込み、機内読書用に文庫本を購入する。 9:30、大韓航空にてフライト開始。離陸前から他のメンバーは爆睡である。機内食で韓国のビールOB+朝食。ビールがあれば無問題である。 11:00、トランジットのため仁川空港到着。ここまでは来たことがあるので、ひとり免税区域を楽しみ、ネットカフェで地R元BBSに現況を再び書き込む。割高だが、まだ円が使えるので問題なし。 13:30、大韓航空にて再フライト開始。以降12時間、OBビール+ビビンバ、OBビール+魚料理を食べながら一路フランスへ向かう。 相変わらず他のメンバーはひたすら爆睡しているが、ひとりテンションがあがってしまい、全く眠りにつけない。前席の韓国頭に邪魔されながら、共同大画面で英語字幕のアクション映画とコメディ映画を鑑賞。そして、ひたすらビールのお代わり。 【以降、フランス時間−7h】 18:30、シャルル・ド・ゴール空港に到着。日本人はあっけなく入国手続が済む。Bonjour France! Bonjour Paris! 気温は少々肌寒い。 落合さん@ヨルダン勤務との合流も済ませ、取りあえず2万円を124ユーロに換金。 続いてレンタカーHertzにて独りで手続き。日本でミニバンクラスを予約してあったのだが、窓口の女性は何だかんだ言ってワンサイズ小さなインターミディエイトクラス車両を勧める。どうやら手違いなのかストックがないらしい。仕方なくルノー製メガーヌ・セニックを借り受ける。 さらに女性は説明を続ける。何を言ってるのか全く理解できない。落合さんが来てくれ、「おい千葉、(この女性は)怒ってるぞ。」「仏語で怒られてもわかんないよ。」「これ英語だ。保険に入るか否か聞かれていて、何度も説明しているでしょと怒ってる。」 日本で予約してあるんだから難しいこと言うなよ。 費用は事故免責なしの8日間398ユーロ(約56,000円)。感じが悪いので次回はAvisにしよう。 この時点でPSM現地隊と電話連絡がとれる。実は出国直前になっても現地活動状況が不明確で、基本的にPSM地区調査、バックアップとしてベルコール地区ファンケイビングを企画していたのである。しかし、この時点でも窓口Olivier氏とは連絡が付かず、とりあえずパリから南下することにする。 20:00、走行距離600q以上の車両移動開始。左ハンドル、右側走行、サークル交差点、6速マニュアルと何一つ慣れない状況のなか、千葉はトップバッターで運転することになる。 道を間違えてパリ市内で渋滞に巻き込まれた後、高速道路にて南へ向かう。高速道路は晴天時130q/h、雨天時110q/hということなので、流れ乗って150q/h走行。ちょっと怖い。バカンス・シーズンのためにトレーラーを引っ張っている車両も多く、そして21時を過ぎていてもまだ明るいのであった。 21:30、サービスエリア・レストランであるアルシュ(ARCHE)で初フランス料理。エコメニュー(味なし牛肉ステーキ、フレンチフライ、フランスパンのセット)とハイネケン・ビールで夕食を済ませる。こんなSAでもフランスパンは美味い。 その後、車内用として目新しさからボルヴィック(Volvic)のシトロン味を購入するが、激不味レモン水なのであった。 従って、バックアップ企画である「日本隊のみのベルコール地区ファンケイビング」へと目的変更となった。 4:30、クレルモン・フェラン(Clermont-Ferrand)、リヨン(Lyon)を経由し、グルノーブル(Grenoble)駅に到着。まずは途中離脱する落合さんの帰路TGVチケットを入手する。 夜が明け始めると、次第に周辺地形が見えてくる。圧倒的な高さ、規模の石灰岩壁。凄い。凄すぎる。 6:00、ローヌ・アルプ地域イゼール県オートラン(Rhone-Alpes Isere Autrans)到着。ここが我々のベースキャンプ地となる。車載温度計によると6℃。正確ではないにしても、吐く息は白い。 7:00、開店を待ってパン屋併設カフェに入店。グラン・カフェ(コーヒー大)とクロワッサンで朝食。美味い。パン屋の金髪ギャルもかわいく、フランス娘も悪くないなと実感。しかし、店内には多数の蝿が飛んでおり、衛生的には疑問である。 9:00、スーパー「プティ・カジノ(Petit Casino)」にて買い出し。皆が必要物資を選んでいるなか、役に立ちそうもないのでひとり辛いものを捜す。どうやらpimentというのがスパイスのようである。取りあえずタバスコを購入。これで日本から持ってきた七味唐辛子と共に楽しい食生活になりそうである。 10:00、ベースキャンプとなる4つ星キャンプ場「オ・ジュワイユ・リベイユ(au Joyeux Re'veil)」にて手続。マダムは2003年に使用したとことを覚えており、和気あいあいと手続を済ませる。 テント設営後、はやくもフランスパン、ハム、ブルーチーズ、フランスのビール「クロナンブール(Kronenbourg)で昼食。フランスビールは不味いと聞いていたが、まったく問題ない味である。 11:00、仮眠。
13:40、車両にて移動開始。10分ちょっとで現地付近に到着する。いよいよケイビングの開始である。 14:00、入洞準備。1洞目は総延長約4000m/高低差411m(−312m・+99m)の「ゴンパループ洞(Gouffre Gampaloup)」である。 16:00、徒歩アプローチ開始。小池・宮崎による記憶を頼りながら洞口を探索する。30分後に発見。 17:00、匍匐にて入洞開始。現地ケイバーEric氏によると、この洞窟はロープも含めてリギング済ということなので、ロープを持たずに軽装活動である。 −30mピッチpuits du Beurreを降り、トラバースラインの張った横穴部を進むと、クラック状の竪穴部が現れた。アンカーは打ってあるが・・・・・ロープはなかった。 18:00、敗退出洞する。 ま、初日はこんなもんでしょう(笑)。 18:30、キャンプ場に到着。まずは夕食ということで付近の店を3軒探訪するが、タイミングが悪く、満席ということで断られる。 20:00、イタリアン家庭料理「シェ・フランシス(Chez Francis)」にて夕食。何故かマダムと客人に笑われながら、ピザ、ベルコール風サラダ、クロナンブール・ビール、白ワイン、デザート5種を満喫。5名で110ユーロ(約16,000円)。 22:30、消灯。明日から本格的に活動開始である。 8日6:30、起床。シャワーを浴びる。 7:30、例のカフェにて朝食。本日はグラン・カフェ・クレーム(カフェオレ大)、クロワッサン、赤い飴入りパンで朝食。飴は固いが、あいかわらず金髪ギャルはかわいい。 9:00、移動開始。まずは、昨日のようなことのないように装備購入である。 車窓からブルーヌ渓谷(Gorges de Bourne)の景観を楽しんでいると、あちらこちらに洞口が見える。なかには垂直な岩壁+50m地点からロープが垂れており、すでに探検済ということにも驚かされる。また、その先の道路際では小学生15名程がPVCに着替えており、ケイバー層の厚さにも驚かされた。 10:00、ポン・タン・ロワイアン(Pont-en-Royans)村のエクスペ(EXPE)本社に到着。 団装としてスタティックロープ105m、カーバイド5s、ガス&ヘッドを購入。各自個装購入も行い、千葉はダイニーマロープ5mとサブランプのリフレクター、5mmマイオンの計32ユーロを購入する。 エクスペは大人数で機能的に受注・配送しているものと想像していたが、店内で見かけたのはたった2名。単なる田舎の倉庫という感じである。これでは発送遅滞も無理はない。次回注文時はこれまでの数々の無礼を謝っておこう。 10:30、再移動開始。2洞目は総延長約3400m/高低差−582mの「レ・コン・ドゥ・フェー洞(Scialet de la Combe de Fer)」である。 11:30、我々のとっては初入洞であるため、現地ケイバーEloise氏から得た情報をもとにCorrencon-en-Vercorsに到着。 道路わきで昼食(フランスパン、ハム、トマト)をとり、アプローチ準備を整える。洞口前にあるというロッジに宿泊予定であるため、シュラフやら酒やらで重装備である。 12:30、徒歩アプローチ開始。炎天下ではあるが湿度は低く、木陰は肌寒い。 14:30、迷い込むことなく洞口前小屋Refuge de la Combe de Fer到着。標高1555mと表示されているので、約350mを登ったことになる。 蟻軍団に食い付かれながら入洞準備、その後ショートパスタで夕食?をとる。ブリーフィングにおいて、到達目標は−430m地点サイフォン、状況によっては一旦出洞しようということになる。
16:30、入洞開始。洞口から30度勾配斜洞を−90m地点まで進むが、早くも帰路の登り返しが恐ろしい。 分岐点到着。メインルートReseau Principalを進むことにし、−5mピッチを降りると、またもやロープセットされていない。洞奧はロープセットされていると信じ、宮崎によるリギング開始。−35m、−10m、−55mと降りるが、ロープ不足により撤退となる。 19:00、分岐点まで戻り、別ルートReseau de Juinを進む。こちらは基本的に狭いがロープセットされているようである。 −10m、−10m、−6m、−20m、−6mと順調に降り、平面図では単なる線になっているメアンダートレンチMeandre de 200mに到着。時折、ヘルメットをはずしながら重装備を引きずって進む。なぜ今日もフランスまできて匍匐前進なんだろう^^; 続く−45mピッチでは「どうやって5m先からディヴィエーション取ったんだ?」「この恐ろしくパワー系のリビレイは何なんだ?」と、滴下水を浴びながらやっと海外を実感する。 更に−15m、−10m、−20mを降りるとメインルートと合流、ホールGrandes Sallesに到達する。 24:00、Camp 1に到着。測図によると−370m地点であり、個人的には最深記録である。カロリーバー、アミノバイタル、サラミで休憩。 9日1:00、−430m地点のサイフォン目指してルート探索を開始。 千葉は横穴部を確認し、単身で先へと進む。足跡は沢山あるが、測量図には載っていない支洞のようである。本洞穴では初の二次生成物を確認しながら、500m以上進んだところで竪穴部を確認。他のメンバーもあとから追いかけてくる段取りになっていたので30分ほど待つが、音沙汰ないのでホールまで戻ることにする。 途中、フローストーンの隙間に指を入れてホールド、勢いをつけてプールを通過しようとしたところ、指が抜けずに「ミシッ!」という音が聞こえた。右手中指と薬指が昇天したらしい。グローブをはずして確認するが、痛いながらも動くのでヒビが入っただけのようである。若干腫れはじめていたが、とにかく合流することにする。 小池さんも単身ルート探索をしていたが確認できず、眠気と寒さもあって、タイムオーバーということで引き返すことにする。 3:00、湊・千葉・落合・宮崎・小池の順で帰還開始。 竪穴部は何の問題もないのだが、横穴移動が辛い。特に登り勾配となったMeandre de 200mは延々と続く蛇行地獄のようで、各自あちこちへ迷い込みながら、そして少ないホールドに苦戦しながら通過する。 10:30、途中で5人全員待機という謎の時間を発生しつつ全員出洞。低温洞窟での18時間活動にヘトヘトになったのであった。 まずはクロナンブール・ビールを飲み、ポテトチップスをむさぼり喰う。なんて美味しいんだろう(笑)。 12:00、疲労からだらだらと着替え、野ネズミに先を越されたフランスパンをだらだらと食べてから下山開始。1時間で車両に到着する。
14:00、BC到着。シャワーを浴び、スーパーマーケットcasinoへ追加食糧買い出しへ向かう。千葉は郵便局La Posteへ行き、何とか紙に書いてエアメールPar Avion用の90セント切手を購入。 16:00、BCへ戻り、レスキューシートを敷いて夕食(スイカ+ソーセージ+ブルーチーズ+Kronenbourgビール)。すると、周囲から痛いほどの視線を感じる。子供や老人は立ち止まって、露骨に凝視している。そんなに亜細亜人が地べたでスイカをまわし喰いしているのが珍しいのか。腹が一杯になったと同時に睡魔に襲われて早くも消灯。 千葉はインターネットカード60分8ユーロを購入して、天気予報確認と地R元BBSへ書き込む。付近には「マイアヒー、マイアフー、マイアハー」と唱っている小学生が数名。前評通り「恋のマイアヒ」はフランスでも大ヒットしていたようである。 18:00、サイトに戻ってくると、テント内は大の字でいっぱいになっている。入れない。陽はまだまだ高く暑いぐらいなので、車両の影にマットを敷き、半袖半ズボンで寝転がる。 24:00、誰かが千葉を起こす声がする。寝ぼけ眼で辺りを見回すと真っ暗で、知らないマダムが半分怒ったように声をかけている。「あんた、そんな格好で外に寝ていたら死ぬわよ!」ということらしい。身体は完全に冷たくなっており、こうやって人は凍死するんだなと実感したひとときであった。酒は魔物である。 10日4:30、起床。10時間近く寝ていたらしい。落合さんが途中離脱しなければならないので、キャンプ場自動ゲートを無理矢理こじ開けて移動を開始する。 5:30、グルノーブル駅到着。さようなら落合さん、土産品の死海石鹸をありがとう。 6:00、高速道路で100hm離れたリヨンへ買い出しへ向かう。途中、SAレストランのアルシェでシンプル・プレート(目玉焼き+ベーコン+焦げた食パンのセット)とココアで朝食。 10:00、リヨン到着。ショッピングモール内スーパーマーケット オーション(Auchan)で、追加食料と「グルニ洞(Grottes de Gournier)」で使用するボート?を購入する。またもや千葉は役に立てそうもないので、ひとり店内観察へ向かう。 カートは大人が3名ほど入れるような巨大なもの。指定箇所に返却すれば1ユーロもらえる。 青果は基本的に量り売り。農作物は格安。試食はないのだが、みな葡萄をつまみ食いしている。 鮮魚は整理券をとってから順番に注文、調理してもらうシステムらしい。イワシとサーモンが主力のようで、サーモン寿司も販売している。 充実しているのがチーズで、精肉と同じぐらいの販売スペースであった。日本調味料も含めてアジアン食材も一通りある。 レジでの精算方式は違っていて、各自一品毎にベルトコンベアーに載せ、ここまでという区切り板を最後に置く。 どのフランス人もお約束のように、ビール、水、チーズを山ほど購入しているのであった。 個人的には唐辛子やオレガノなどをオリーブオイルで加熱した調味料を団装として買ってもらう。日本で買う物より香りがいい。これでまた一安心。 11:30、隣接する大型総合アウトドア用品店デカスロン(Decathlon)へ移動。市内のEXPEリヨン店へ行く前に、安価なウェットスーツを購入できればという考えである。 入店すると目の前にはサービスコーナーが。自転車修理などが中心のようであるが、片隅にウェットスーツを視認。聞いてみるとレンタル可能らしい。 試着室に2名で入ってたころ、担当マドモワゼルに爆笑される。各自試着後、2泊3日で@75.5ユーロ(約10,000円)でレンタルが決定するが、500ユーロ(約70,000円)担保が必要とのこと。更にパスポートのコピーも必要だと言う。ま、異国人なら仕方ないということで了承する。 しかし、コピーが済むと、手渡されたのはコピーの方。「無くさないでね。」という犠牲になった湊さんの声が寂しく響くのだった・・・。旅行者からパスポート取り上げていいのだろうか。何はともあれウェットスーツを手に入れたのであった。 千葉・湊は地形図3種を購入。何よりの土産である。 13:00、ハンバーガーチェーンクイック(Quick)で昼食。よく分からないまま、マクドナルドでいうチーズバーガーXLセット6.9ユーロ(約900円)を注文。味は普通、愛想はない娘店員であった。 13:30、移動開始。ヴァランス(Valence)経由でベルコール地区へ向かう。 15:30、ショランシュ(Choranche)に到着。千葉は「ショランシュ洞(Grottes de Choranche)」観光。以前に見学したことのあるある他のメンバーは、国内最大の洞口規模という「ブルニヨン洞(Grotte de Bournillon)」へと向かう。 「ショランシュ洞(Grottes de Choranche)」は大盛況で、長蛇の列が並んでいた。流れに沿って7.7ユーロ(約1,100円)を支払い、見事な石灰岩壁を見ながら300m進む。すると、またもや長蛇の列があったので並んでみる。 洞口脇には仏英独蘭伊西語と共に日本語で「氷柱に触らないで下さい!」との表記があるが、英文と比較するとつらら石(stalactites)のことである。間違いではないが、漢字で書かれると氷が発達しているのかと思ってしまう。 16:30、総勢50名+犬5頭集まったところでガイド登場。なにやらフランス語で説明しているが、概要すら分からないまま入洞開始。 第2説明ポイントGalerie du siphonでは最大3mを越えるというソーダストロー群が登場。見事なまでに天井一面ストローである。 第4説明ポイントにはホライモリ科のポティ(プロテウス、オルム/Protee)が水槽に入っており、ごったがえす中で犬を踏みつけながら最後尾で鑑賞。 最終説明ポイントcathedraleでは、真っ暗ななかホールへ集められる。すると突然、大音量が響き渡り、格式高い?テーマソングにのせながらのライトショーで終了。なかなかの演出であった。最後にガイドへチップを支払い出洞。照明はその都度点灯、照明器は崩落石を加工して直視されないようにし、光と音響で演出した◎観光洞なのであった。 洞口前ショップにて絵はがきとパンフレットを購入。日本語で「ありがとう」と言ったところ、販売員ギャルも笑いながら「アリガトゥ」と言う。凄いな我が国は。 18:00、タイミング良くメンバーと合流、移動開始する。「ブルニヨン洞(Grotte de Bournillon)」も満喫したようである。 18:30、BC到着。豚肉ステーキを焼きながら大宴会。そう、本日はオフ日なのであった。 23:00、消灯。天気は崩れつつあるようである。
11日7:00、起床。未明からの雨はまだ降り続いている。 シャワーを浴び、インターネットで天気予報を確認。雷雲が発生しているが、回復に向かっているようである。この時点で、午前は水影響の少ないと思われる「ゴンパループ洞(Gouffre Gampaloup)」リベンジ、午後に「グルニ洞(Grottes de Gournier)」と設定する。 8:00、例のカフェにて朝食。本日はグラン・カフェ・クレーム+クロワッサン+長細いフランスパン。金髪ギャルは千葉の「ありがとう」というフレーズを理解したらしく、我々に大判振る舞いで「ありがとう!」と声をかけてくれる。焼きたてのフランスパンは本当に美味いが、何度か休憩しないと顎が疲れて食べきれないのであった 9:30、移動開始。1洞目として敗退した「ゴンパループ洞(Gouffre Gampaloup)」付近に到着する。小雨のなか準備、アプローチを開始する。 10:30、入洞開始。目標は下流ルートにある−131m地点のサイフォンである。 前回同様、−30mピッチpuits du Beurreを降り、その先は宮崎がリギングしながら進む。−11mピッチPuits de la Coolonneや複数の竪穴部を降り、残置ロープを登ってルート探索を行うが、明確な現在地がわからぬまま水没部を見てタイムアップとなった。 15:00、4時間半で出洞。雨に濡れながら着替え、BCへ移動する。 16:00、BCのインターネットで再度天気予報確認。雷雲はスイス方面へ遠のいており、予定通り「グルニ洞(Grottes de Gournier)」へ向かうことにする。 まずはオートランのレストラン「ラ・クレプリ(La Creperie)」で遅い昼食。店名の通り、クレープ、ガレット、デザートしかないらしい。ボリュームを求めて高値段のステーキのガレットを注文したが全く足りず、パン屋でキッシュとタルトを補充する。
17:30、移動開始。3洞目は総延長15,125m/高低差+680mの「グルニ洞(Grottes de Gournier)」である。洞口は観光洞「ショランシュ洞(Grottes de Choranche)」と同一岩壁基部に開口しており、流出するカルスト川はトゥファの滝として景勝地になっている。 18:00、観光洞駐車場到着。目標は+267m地点のサイフォンSiphon 1、平面距離的には2/5に設定する。ウェットスーツに着替え、ボートを持って窓口に挨拶。周囲からは笑われながら、観光客に混じって洞口を目指す。そう、我々のボートは廉価なワニ君なのであった。 19:00、入洞開始。洞口部分はやはり景勝地になっているため、仏人観光客に見送られながら、ワニ君に乗って水流部を進む。30m程で右岸に取り付き、+5m登ってからトラバースを行う。 主洞部Trou souffleurに到達。続いてSalle des Fontaines(泉の間)が現れる。場所によって沖永良部のようなリムストーンプールが広がり、「河内風穴」のドリームホールのような崩落帯が続き、3m以上の石筍が乱立する。 汗まみれになりながら延々と続く大通路を進み、水流部入口2eme acces(第2アクセス)を捜す。この付近まで小池・宮崎は来たことがあったが、1erと2eme accesを勘違いし、ルートファインティングに手間取る。 23:00、2eme acces通過。一転して「入水鍾乳洞」のような水流部を進むことになる。水流はかじかむほど冷たく、時に胸まで浸かりながら洞奧へ進む。ウェットスーツがなければまず活動は出来なかったであろう。 小滝や淵にはステンレス棒や針金のトラバースラインが設置してあり、カラビナを削りながらトラバースをする。いつ設置したかも分からないような年代物で、一箇所では千葉が使用していた針金がアンカーごと吹っ飛び、ダブル針金でビレイを取っていなければ5m下の滝壺へダイブするところであった。 12日3:00、水流部を1km以上進んだところで、grande barriere(大壁)に到達する。ここには滝があり、光の届かない地点(測図によると+40m)から水流が落ちてくる。久々に怖いという感情を覚える。これを登らなければならないのか・・・。 3:30、湊が登攀ルートを確認。+12m、+8m、+13m、−7m、+17m、−15mと細かなピッチを繰り返しながら進む。体力的にはまだ問題ないが、精神的にはもう何がなんだか分からない。目の前のロープを昇降するだけである。 5:00、目的地サイフォンSiphon 1に到着。測図によると、この先は+413m、平面距離はまだ3/5も続いており、スケールの違いに慄然とする。 また、傍らには長さ2.5m以上のパイプをつなぎ合わせたボートがあった。どうやってここまで運び込んだのだろうか? ここでも技量差に愕然とする。 5:30、+15m戻って休憩。睡魔に襲われつつ、口数少なくカーバイド補充や胃の中を満たす。 7:00、引き返し開始。−40m降りたところから水流部を戻る。横穴移動では体力的に限界が近づいてきているのが分かる。思い返せば、すでに起床から24時間、洞穴2本目、ウェットスーツ着用なので無理もない。 9:00、水流部入口2eme acces(第2アクセス)通過。ここで小休憩。みなグロッキー状態である。気力を振り絞って立ち上がり、洞口を目指して横穴移動。すでに足元しか確認できず、落差を通過するたびに装備が肩に食い込む。途中、仏人親子と遭遇。写真撮影をしにきたらしい。か細い声でBonjourと挨拶して通過。 10:00、洞口水流手前に到着。仄かに差し込む光、乾いた空気が嬉しい。 10:30、再びワニ君へ乗り、15.5時間振りに出洞となる。 洞口待機しながら立ったまま寝ていると、フランス人家族が洞口見学にきた。特にマダムは妙な格好に興味を持ったらしく話しかけてくるので、片言の英語で入洞時間や到達地点の説明をする。マダムが息子に一緒に記念撮影をしようと持ちかけるが、息子にはかたくなに拒否されてしまう。 11:00、洞口より移動開始。途中、ケイビングクラブとすれ違い、「Where did you come from?」「Japon.」「Nice boat!」「Thank you.」といった簡単な挨拶を交わす。ワニ君は大好評である。
12:30、BC到着。チェックアウト間近なため、取りあえず車両に詰め込み撤収する。付近の路端でテントを干しながら昼食(ラーメン)、梱包作業を終え、シャワーを浴びる。 16:00、郵便局にて装備の一部を郵送し、オートラン村を出発する。石灰岩壁が名残惜しい。Au revoir, Vercors. 19:30、リオンのデカスロンにてウェットスーツ返却。閉店時間間際でハラハラしたが、無事パスポートと担保金が返却される。これで一安心である。再び高速道路にてパリを目指す。 23:00、オセール(Auxerre)近郊の高速道路ホテル・アイビス(ibis)到着。部屋内で最後の晩餐(パスタ+サラミ+ブルーチーズ+Kronenbourgビール)。食べ終わると、あっという間に次々と撃沈したのであった。 13日7:00、起床。SAレストランのアルシェでシンプル・プレート(目玉焼き+ベーコン+焦げた食パンのセット)+フランスパン+ココアで朝食。 8:30、移動開始。パリ環状線からエッフェル塔の先端を5秒ほど観光。手前の工事用クレーンの方が印象的であった。 10:30、シャルル・ド・ゴール空港到着。大混雑で搭乗手続に時間がかかり、土産物色は30分。活動では食べることが出来なかったカスレやフォアグラ、有名なディジョン産マスタードを購入する。 13:00、エール・フランス機にてフライト開始。各席にモニターが付いていることに大喜びするあまり、離陸前にフリーズ状態にしてしまう。宮崎と席を交代して一安心。他のメンバーはひたすら爆睡しているなか、ひとりで映画「サハラ」「コンスタンティン」を2回ずつ鑑賞、ゲームを楽しみ、昼食・夕食(チキン・韓国食・Kronenbourgビール&辛ラーメン)・朝食(パン)をとる。 【以降、日本時間+7h】 14日8:30、トランジットのため仁川空港到着。かなりユーロが余っているため、免税区域で韓国海苔や唐辛子チョコを購入。 10:00、大韓航空機にて再フライト開始。帰路4回目の機内食でやっと米。コチジャンをもらって久々の米食に大満足である。 12:00、成田空港到着。現地解散となった。 6〜14日の9日間の遠征であったが、現地滞在7日弱のうち、横になって寝たのが31時間。あとは交代で洞内や移動中に睡眠をとった。 洞穴にはファンケイビングとして4回入洞したが、「レ・コン・ドゥ・フェー洞(Scialet de la Combe de Fer)」は18時間活動(連続起床時間は34時間)、「グルニ洞(Grottes de Gournier)」は15.5時間活動(連続起床時間は41時間)であった。高低差合計は約900mを往復した計算である。 PSM地区調査から予定変更したベルコール地区ファンであったが、自分のケイビングに対する姿勢を大きく変えた、有意義な活動であった。(文責 千葉伸幸)
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