タイトル | 地底旅団ROVER元老院第262回CAVING | ||||||
サブタイトル | 天保雑記現地調査 | ||||||
分 類 | 古文書照合 | ||||||
入洞洞窟 | 小平鍾乳洞 | ||||||
日 程 | 2011年8月14日(日) | ||||||
参加者 | 千葉の、村野て 以上2名 | ||||||
記録や情報を書きとめた江戸時代の文献に、葛生町除地の浅間社のある山中で大洞穴が発見されたという絵図付きの記述を確認した。また、明治時代の論文にも聞きなれない葛生石灰洞という記述があった。これまでの調査により、これらの洞穴は同一であり、おおよその場所は推定された。 今回は葛生図書館での文献探し、ヒアリングにより場所を特定することを目的に計画された。 7:30、村野車にて千葉宅を出発。首都高速・高井戸ICより、東北自動車道にて現地へ向かう。 8:30、蓮田SA到着。夏休みまっただ中のため、朝から駐車場は満車状態。焼き立てパンを買って出発。 9:30、北関東自動車道・佐野田沼IC通過。 10:00、旧葛生町到着。まずは「葛生原人出土跡(葛生人骨出土跡)」を見学する。この「前河原洞窟」から発見された人骨は、1951(昭和25)年当時は旧石器時代の原人であったが、2001(平成13)年の再調査で鎌倉時代の人ということが分かったという代物。旧葛生町にとってはショッキングな事柄だったろうが、我々にとっては洞穴の方が気になるところ。掘削のためか、「前河原洞窟」は露出した岩と数メートルの暗部となっていた。 10:30、猛暑のなか葛生図書館到着。多少参考になったのは「葛生町誌」ぐらいで、司書さんにも思い当たる文献を探して頂いたが大した資料なし。 すると、司書さんはどこかへ電話をしたのち、「私の兄に話を聞いてみませんか?」とのこと。元町長らしい。以前、佐野市教育委員会に人物紹介を頼んだが一蹴された経緯があるので、大喜びで面会をお願いする。しかし、名刺も持っておらず、軽装スタイルなのが恥ずかしい。 12:30、付近の海鮮料理処「ととや」にて昼食。夜の居酒屋メインのような店で、ソースまぐろかつ丼定食と海鮮カレーを注文。可もなく不可もなく・・・。 13:30、葛生図書館に戻り、元町長:T氏と面会。こちらの説明をすると、隣接する葛生化石館の事務所に案内され、いくつかの資料とともに興味深い話を伺うことができた。 浅間神社の位置特定、その付近に「浅間山洞窟」があったこと、今は山ごと掘削されたこと、「浅間様の穴」と呼んでいたこと、1953(昭和28)年にはコウモリを取って遊んだこと、周辺の子供はみんな入って いたこと、掘削が近づくにつれてコウモリが減少していったこと、など。 その他にも別洞の竪穴情報や化石発掘状況、旧葛生町でのケイビングに関しては何も把握していないことなども教えて頂いた。 最後に化石館を案内していただき、遺化石出土遺蹟集録を購入した。 15:00、司書さんにもお礼を言って葛生図書館を出発。 15:10、嘉多山公園到着。移転後の浅間神社から、移転前の場所を撮影。 暑い。 15:30、村樫石灰工業株式会社付近から「浅間山洞窟」へ続いていた小道も確認。付近でもヒアリングをしたいと思ったが、人影もなく、暑さで気力も無くなり断念。 15:45、旧葛生地区出発。栃木県立図書館でも文献探しをする予定であったが、成果が上がったのでキャンセル。村野のリクエストで「小平鍾乳洞」へ向かうことにする。 北関東自動車道・佐野田沼ICから太田桐生IC、そして下道で急ぐ。 17:00、小平の里到着。駐車場から駆け足で向かうと、「小平鍾乳洞」は閉洞したばかりであったが、お願いして開けてもらう。 小規模ながら、古文献から再発見されたという経緯、二重扉、ステンレス柵、洞内説明板に好感が持てる観光洞である。石筍はどこから持ってきたものだがご愛嬌。 17:20、小平の里出発。途中、大間々町駅周辺にて「政府登録 鍾乳石 小平鍾乳洞」「鍾乳石の 味よし 艶歌よし 北島三郎」なと看板を発見。閉店していたため、鍾乳石とはなんなのか確認出来なかったことが残念であった。 北関東自動車道・太田藪塚ICから関越自動車道経由で帰途へ。渋滞に巻き込まれたが、ゲリラ豪雨と稲妻が楽しい。 20:30、上里SAで夕食。 22:30、圏央道・入間ICで高速を降り、JR拝島駅にて解散した。 もう一度現地へ向かい、更なるヒアリングや写真収集に努めたい。(文責 千葉伸幸)
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