タイトル 地底旅団ROVER元老院第254回CAVING
サブタイトル 東日本大震災緊急洞内点検 at 岩泉町・龍泉洞
分 類 合同・調査ケイビング
入洞洞窟 龍泉洞(湧口、湧窟、龍泉窟)、龍泉新洞科学館、氷渡洞−坪沢穴
日 程 2011年4月2日(土)〜3日(日)
参加者 千葉の、細野、菊地敏雄(日本洞穴学研究所)、松本力、山口真也、森口信雄(以上、東山ケイビングクラブ)、阿部直輝(無所属)  以上7名
龍泉洞・洞口3月11日14時46分頃、三陸沖を震源として「東日本大震災(2011年東北地方太平洋沖地震)が発生した。マグニチュードは9.0。最大震度は宮城県栗原市の震度7であった。
この地震では、本震や余震による建造物倒壊・土砂崩れ・液状化現象・地盤沈下の直接的被害のほか、津波・火災・大停電・福島第一原子力発電所の放射性物質漏れが発生し、現在も甚大な被害がもたらされている。
「龍泉洞」は1月4日からのリニューアル工事中であったが、岩泉町は震度4を受け、洞内数ヶ所で小礫が落ち、第3地底湖は大きく波打ち、3週間経っても各地底湖は白濁している。再オープン予定日であった3月18日を過ぎた今も営業再開の目処は立っていない。
今回は岩泉町の要請により、「龍泉洞」観光部上層の崩落点検、「氷渡洞−坪沢穴」の崩落点検を目的として活動を行った。


1日23:00、千葉・細野は細野車にて東京を出発する。盛岡市内はガソリンは復旧したということだったが、念のため携行缶に20リットルを積み込む。
今回活動する東北ケイバーは直接的被害は免れたが、心の支援物資も持参することにする。
2日未明、福島県に入ったあたりから車がゴツゴツと突き上げる。東北自動車道は簡易舗装だらけで、継ぎ目には著しい段差もある。制限速度は80Kmであるが、120kmで走ると所々でハンドルが奪われる。深夜にも関わらず通行量は多く、トラックや緊急物資輸送中と張られたワゴン、愛知県の消防特殊車両が被災地へ向かっていた。震災を実感する光景である。サービスエリアでは給油待ちの車両が本線にまであふれ、場所によっては売り切れとなっていた。

6:30、盛岡到着。ガソリンスタンドが開いていないこと、人や車が少ないこと、県庁に多くの自衛隊車両が駐車していること以外、倒壊しているなど特に変わった様子はない。車両を山口車に乗り換え、まずは「すき家 盛岡西店」にて朝食を済ます。山口の話によると、盛岡市内は被害も少なく、揺れよりも停電が困ったそうだ。

9:30、龍泉洞駐車場に到着。隣接する「龍泉洞観光会館」は営業していない。龍泉洞事務所へ移動すると、そこには他のメンバーが到着していた。「龍泉洞レストハウス売店」を覗くと、龍泉洞地サイダーや龍泉洞珈琲カフェオレ味などの新製品が並んでいた。店員さんに震災当日の話を聞きながら、わずかだかこれも被災地への協力になればと、気になるものは片っ端から購入する。

10:00、加藤所長と打ち合わせを行う。現在も工事中で、業者が洞内にいるとのことである。「龍泉新洞科学館」は一度も休むことなく営業(無料開放)しているが、やはり客足は少なく、昨日は観光客4名ということであった。避難所生活をされている「龍泉洞温泉ホテル」の方々だろうか。所長からは龍泉洞珈琲や龍泉洞の水をケースでいただく。

10:30、事務所2Fで着替えてから、まずは職員の皆さんと観光ルートをまわる。
リニューアル工事はほとんど完了しているようで、案内板が差し替えられ、照明は全てパナソニック電工製LED照明となっていた。第3地底湖は濁っていたが、きっと印象に残る水中照明になっていることだろう。

11:00、非観光部の状況確認を始める。千葉・細野・山口・森口・阿部は、「水晶宮」への各ルートを確認する。震災の影響か否かわからない石を数個撤去したが、その他は全く問題がなかった。
その後、千葉・細野は足早に「白亜宮」の上層を確認、こちらも問題がなかった。
帰り際に観光通路の写真撮影会を開くが、その姿は新設された監視カメラにて事務所で捉えられていたのであった。

13:30、「龍泉洞レストハウス売店」にて昼食。お土産を肴に龍泉洞ビールを飲みながら、うどんやそばを食す。松本は2杯完食。

14:30、昨年11月1日に閉洞となった「氷渡探検洞(氷渡洞−坪沢穴)」へ移動、こちらも岩泉町側のみ洞内確認を行う。向山満先生がコウモリ調査を行うとのことで、一緒に行動することにする。
菊地・松本は「坪沢穴」の洞口確認を行い、問題はなかった。
細野・山口・森口・阿部は氷筍が発達した「氷渡洞」から入洞し、幻の滝付近まで確認を行い、こちらも問題がなかった。
千葉は向山先生に同行した。その後に全員が合流、モモジロコウモリやテングコウモリやウサギコウモリのバンディング補助を行った。

17:00、活動終了。

18:00、岩泉町内の「民宿 新田」に到着。小さな湯船に大人4人でぎゅうぎゅうを楽しむ。ケイバーは何歳になってもバカである。ボリューム満点の食事を楽しみながら、夜は更けていくのであった・・・。
龍泉洞・月宮殿 龍泉洞・第2地底湖 龍泉洞・第3地底湖
照明がリニューアルされた龍泉洞 第2地底湖は白濁 第3地底湖も白濁
坪沢穴・洞口 坪沢穴
氷筍が発達した氷渡洞の洞口 コウモリの個体記録を取る ウサギコウモリ

3日8:00、起床。朝食に納豆が出ていたが、こちらでは入手できず、東京から送ってもらったということである。一見、いつも通りの生活であるが、物資は不足気味らしい。

9:00、「龍泉洞」へ移動。事務所に挨拶してから2Fで着替える。

9:30、活動開始。千葉・細野・森口・阿部は「コウモリ穴」周辺の上層を確認、小礫を撤去する。松本・山口は「月宮殿」の上層を確認、こちらも問題がなかった。

11:00、千葉・細野は一足先に出洞して「龍泉新洞科学館」へ向かう。非観光部も含めて、こちらも全く問題がなかった。

12:00、「龍泉洞レストハウス売店」にて昼食。やはり龍泉洞ビールを飲みながら、うどんやそばを食す。松本はやっぱり2杯完食。

13:00、「氷渡探検洞バンガロー施設」へ移動する。準備を整え、「坪沢穴」へ向かう。そこはかつて来た頃と様子が変わり、アンカーにしていた鉄骨梁もなくなっていた。まずはナチュラルアンカーを使ってチロリアンブリッジを作成、そこにプーリーを付け、洞口中央にロープを落とす。取りつきがちょっと怖いが、これがベストのリギングか。
山口・千葉・細野・菊地・森口・阿部の順で降り、先の3名は洞内に崩落が無いことを確認する。当初は登り返す予定であったが、時間の都合から千葉・菊地・山口は「氷渡洞」の洞口から出洞した。

17:00、活動終了。盛岡市内でガソリンを入れる都合から、千葉・細野・山口は大急ぎで着替え、龍泉洞事務所に寄らず山越えルートで帰ることにする。

18:30、盛岡市内で山口と別れる。ガソリンを給油してから、「麺屋はつがい」にて夕食。今日はのんびり冷麺を食べてる場合ではない。

19:00、盛岡南ICより凸凹の東北自動車道をひたすら南下。

25:00、東京到着。


「龍泉洞」「龍泉新洞科学館」「氷渡洞−坪沢穴」の洞内は、震災の影響をほとんど受けていなかった。あとは1日も早く、「龍泉洞」が再オープンされるのを祈るばかりである。(文責 千葉伸幸)
坪沢穴・洞口 坪沢穴・洞口 坪沢穴・第1ピッチ
フェンスの張られた坪沢穴洞口 坪沢穴を降りる山口 第1ピッチを降りる細野

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