タイトル 地底旅団ROVER元老院第24回CAVING
サブタイトル 第24次内間木洞調査委員会プロジェクト at 山形村・内間木洞
分 類 合同・調査(測量)ケイビング
入洞洞窟 内間木洞
日 程 2000年2月11日(金)〜13日(日)
参加者 千葉、黒田、菊地敏雄、山口泰史(以上、東山ケイビングクラブ)、平宗雄、平義弘、菊地晃(以上、あぶくま・けいばぁず・くらぶ)、木崎裕久(地下旅会)、後藤聡(江戸川ケイビングクラブ)、松澤亮、戸田聡、小林日(以上、亀戸ケイビングクラブ)、宮崎哲(富士山火山洞窟研究会) 以上13名
内間木洞・洞口付近
誇らしげに氷柱を持つ平さん
内間木洞・内間木水道
狭く寒い「内間木水道」スケッチ
内間木洞・千畳敷
見事に発達した氷筍群
1995年から「東山ケイビングクラブ」を中心に行われている内間木洞調査委員会プロジェクト、今調査の日程は2月11日(金)〜15日(火)、うち12〜13日の測量調査に参加した。


11日23:00、府中発から10時間後に現地到着。山形村に入ってから多少迷ってしまい、道を尋ねたが方言が強くて聞き取れない。

なんとかプレハブ小屋に入ると宴が始まっていた。初対面の菊地敏雄さんにご挨拶すると、絶版本「素晴らしき地底の世界」と報告書「気仙沼市の洞穴」を頂き、穴ばなしに花が咲いた。

すると突然、平さんが氷筍を見に行こうと言いだしたため、5名で真夜中の氷筍鑑賞会を開くことととなった。氷の世界を満喫した後、洞口付近にあった氷柱を平さんが0:37に見事に粉砕した。平氏曰く、「かる〜く触れただけ」。また来年生えるのを楽しみにすることとしよう。平宗雄氏、恐るべし^^;
12日10:00、測量を開始する。我が班はスケッチ千葉、コンパス松澤さん、メジャー黒田の3名。投入箇所は「内間木水道」上流部。同水路の下流からは菊地敏雄さんらが測量、途中で接続させる予定である。使用したGLコンパスの調子が悪く、また黒田がメジャー初挑戦だったため、松澤さんは東奔西走していた。さらに狭く低い水路であったため、午前中は測量時速7mであった。

14:30、測量を再開する。いくつか支洞やバイパスルートを確認するが、とりあえず洞奥へ向かうことにする。

17:30、48m地点(ポイント数20)で菊地班と接続、反転して支洞を測量するがタイムアップとなり出洞した。

20:00、新山根温泉「べっぴんの湯」での入泉後にプレハブ小屋に戻ると、ストーブの前にお好み焼きの失敗作のようなものが置いてあった。菊地晃さんが「カワハギかなぁ」と言いながら口にすると、すぐに吐き出した。何でも砂っぽいという。そこへ平さんが登場、水路で拾ってきたセピオライトだということが判明した。セピオライトを喰らふ男、菊地晃氏、恐るべしあぶくま勢。
13日10:00、比較的暖かな朝(−7℃)を迎え、前日残した支洞とバイパスルートの測量を開始した。松澤さんは帰京したため、スケッチ兼コンパス千葉、メジャー黒田の体制で行った。狭洞でつまりながら22mを測量、カルサイト結晶の観察、スケッチの確認を行う。

13:00、担当箇所の測量を終了した。

14:30、菊地敏雄さんが洞内を案内してくれることとなり、ムーンミルクとモモジロコウモリの観察、「新川洞」「神秘の門」「北洞」の一部などを観光した。この見学がなければ、内間木洞とは非常に狭く寒い水穴と勘違いするところであった。

16:00、洞奥に後藤さんと戸田さんを残したまま、雪深い内間木集落を後にした。


これまでの調査で総延長4000mを越えるだろうといわれている。我々が測量したのは約2%の85.8m(内間木水道上流)だが、有意義で楽しいひとときであった。
また、「明治大学地底研究部」3名も参加する予定だったが、不慮の事故により現地まで到達できなかったのが残念である。(文責 千葉伸幸)

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