タイトル 地底旅団ROVER元老院第233回CAVING
サブタイトル 奥多野かんな姫計劃・第5次神流町平原地区洞穴調査
分 類 合同・調査ケイビング
入洞洞穴 荒神穴、荒神沢左岸の穴第1洞
日 程 2009年8月8日(土)〜9日(日)
参加者 村野て、千葉の、荒木、脇海道、佐野洋輔(早稲田大学探検部)、古村有希絵、西村朋弥、神尾智哉(以上、東京農業大学農友会探検部) 以上8名
持倉集落奥多野地域調査「奥多野かんな姫計劃」第2章は、旧万場町地区、叶山麓地区、平原持倉地区など神流町残地域及び藤岡市旧鬼石町地区が調査範囲である。これまで白水の滝洞窟、気奈沢シリーズ4洞、むじな穴シリーズ2洞、千ノ沢シリーズ4洞、コウモリ穴シリーズ(継続中)、露久保シリーズ2洞の測量、獣骨採集、新洞探査、渉外などを行ってきた。
今活動エリアである神流町平原持倉地区は、小規模なレンズ状石灰岩が点在する地域で、中心河川である船子川の一支流・荒神沢には総延長200m級の未測量洞「荒神穴」が開口、周囲には小洞穴が散在している。前回活動において「荒神沢左岸の穴第1洞」の測量を完結させたほか、新洞2洞を確認した。

本活動は「荒神穴」ならびに周辺洞穴群の測量を目的とするものである。
今回は早稲田大学探検部1名、東京農業大学探検部3名と合同で行った。


8日20:00、JR立川駅集合。千葉車と村野車に乗り込み出発。同世代が多いためか、脇海道はやたらテンションがあがる。

23:00、群馬県神流町の「道の駅 万葉の里」に到着。軒下にて夜食を摂りながら談笑。

25:00、消灯。


6:30、道の駅を出発。

7:30、神流町のはずれである持倉集落に到着。すぐさま準備をするが、すでに雲行きが怪しい。

8:00、洞口に向けて出発。アプローチは特に危険な場所も無く、道に迷う事も無かった。千葉は報告書用にアプローチを記録する。

9:00、洞口到着。村野・千葉・荒木以外は初めての洞窟ということもあり、まずは千葉以外で洞内を探索。狭洞部が多い洞穴であり、洞奥へと続く狭洞クラックでは皆苦戦していた。水流沿いの通路を進み、上部へあがると3方向に分岐していたので、各方向へ分かれて探索。脇海道・村野が進んだ支洞は狭洞部が延々と続く通路であり、愚痴を零しながら最奥部までひたすら匍匐前進で進んでいった。
農大が進んでいった通路は、沢山の白い鍾乳石が形成されており、見ていて楽しめる通路であった。

12:00、一旦出洞して昼食をとる。それまでの間、千葉は一人で周辺を探索していたようだった。

12:45、農大が村野指導のもと支洞、その他が千葉の指導もと洞口ホールに分かれて測量開始する。
洞口ホール班は、千葉から各担当内容、ポケットコンパスやレーザー距離計の使用方法を教わった後、スケッチマン脇海道、メジャーマン荒木、コンパスマン佐野君という体制で測量開始。午前中に水路で全身ずぶぬれになってしまったため、じっとしていると凍えるほど寒い。それでなくともこのホールはやけに冷えるようだ。水を掛け合ってハシャイでしまった事を大いに後悔した。また、滴下水で紙が濡れ、思うようにスケッチできなかった。紙を濡らさないこともスケッチマンとしての技量であるようだ。全員が測量初心者であり、ポイント位置をどのように設定したらよいのかわからず、タイムアップとなってしまい、結局は千葉の協力を得てホールの放射測量を完了。
支洞班は、随所で村野の助言を受けながら測量を進めたが、精度は低いものになってしまっていたようだった。

16:30、測量終了。洞口出発。

17:30、持倉集落に到着。とうとう雨が降り始め、濡れながら着替える。

18:00、持倉集落を出発。

19:30、横瀬町「丸山鉱泉」にて入泉。

20:00、鉱泉の向かいある食堂「関の入」にて焼肉。ひたすらホルモンのみを頼み、非常に安上がりで済んだ。ここで測量データの清書を行なったが、脇海道の字が汚すぎてあえなく却下。全て古村さんに書き写してもらった。

21:30、「関の入」出発。

23:00、JR拝島駅にて全員解散。


「荒神穴」は狭洞が非常に多い洞窟であった。また、初めて自分ら新人がメインで測量を行ったが、時間もかかり、コンパスを読み違える等、正確さも不十分だった。これからも測量に参加し、技術を磨いていかねばならないと感じた。(文責 脇海道卓)
荒神穴 荒神穴 荒神穴
農大、早大、東邦大の若手メンバー 苦戦する洞口ホール班 コンパスを読む佐野君


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