タイトル 地底旅団ROVER元老院第214回CAVING
サブタイトル 奥多野かんな姫計劃・第17次神流町旧万場地区洞穴調査
分 類 調査ケイビング
入洞洞穴 下穴(仙人窟・蛇窟)
日 程 2008年8月2日(土)〜3日(日)
参加者 村野て、千葉の、星野、細野 以上4名
坂丸林道 2000年から発動した奥多野地域調査「奥多野かんな姫計劃」。2005年6月に「奥多野かんな姫計劃報告書1 群馬県多野郡神流町立処山洞穴地域調査報告」を発行、第1章立処山地域を終えることができた。引き続き第2章を開始、対象地域は旧万場町地区、叶山麓、持倉地区など神流町残地域、及び旧鬼石町地区となる。
本活動は、明治年間の皇国地誌にも記載されている旧万場町生利地区の「下穴」の測量第3弾ならびに洞内気象測定を目的として企画された。


2日28:00、奥多野地権者宅「木古里」に到着。明け方の到着となってしまったため、「木古里山荘」には入らず、「木古里」の軒先で仮眠。
3日6:30、起床。地権者:高橋家にご挨拶。ここで、数年間休業していた「木古里」を再オープンさせたとの嬉しい知らせを聞く。「木古里」はこのエリアでは数少ない貴重な食事処の1つであり、その営業再開は我々だけでなく、この地域の方々や旅行者にとっても喜ばしいことである。早速、村野が若旦那の祐樹さんから"うどんこね要員"としてスカウトされた(笑)。「木古里山荘」へ移動し朝食を取っていると、地権者娘:明美さんから焼きたてのパンと山盛りのきゅうりの差し入れをいただく。早朝からの満腹に早くもダレダレモードに突入、穴はそっちのけで、畑でモロヘイヤ摘みに興じる。

9:00、墓参りを済ませてから「木古里」を出発。

9:30、坂丸林道の千ノ沢川脇の駐車スペースに到着。暑く、準備中にも汗が噴き出してくる。

10:00、出発。

10:30、「下穴」に到着。

11:00、測量開始。2班に分かれて作業を行う。千葉は前回途中まで進めた上層支洞を単独で測量、約50mの基線を延ばして入洞不能地点まで詰めた。
村野と細野は最奥部付近の下層部を測量。体制はスケッチ&コンパス村野、メジャー細野。今まで下層部最奥と勝手に思い込んでいた場所を改めて探索したところ、村野が奥へ続く小穴を確認。入ってみると、狭い通路が10mほど続いており、1mほどの段差を降りた先がプールとなって終わっていた。この時点で「今日中に終わらないかも・・・」との不安がよぎる。下層部は狭いクラック状のルートが多いため測量がやりにくい。村野はクラックに挟まりながら頭を下にして"仰向け傾斜読み"をするなど、我ながら変にアクロバティックな測量をしていたと思う。上層主洞と接続する細かいループも多数あって、時間がかかった割には短い距離しか測量できなかった。
星野は洞内気象測定を行った。この時期は全体的に洞奥から洞口方面に向かって風が流れていた。風の出所は洞口ホール南西に延びる支洞と上層支洞、そして主洞最奥部付近であることが分かったが、主洞最奥部付近は全体的に風が弱く、はっきりとした出所を掴むことはできなかった。気温は、主洞部や洞口ホールがおおむね11℃台であり、主洞最奥部が12℃台前半であった。今まで洞口付近が感覚的に一番寒いと感じていたが、実際は煙突竪穴の真下が一番低く、10.8℃であった。煙突竪穴のチムニー効果の影響もあるのかもしれない。煙突竪穴中段付近の気流や気温も観察すべきであった。

15:00、タイムアップにて出洞。最後の方は、千葉と村野で高速測量を行ったものの、結局終わらせることができなかった・・・。出洞後は「[仮]下穴の下穴」の状況を確認しに行く。すると意外にも強い冷気の吹き出しがあり、村野が確認に入るが、3mほどでクラック状に狭くなり、入洞不能となっていた。

15:30、駐車スペースに到着。

16:00、現地出発。

18:30、村野宅にて解散となった。


当初の予定では、「下穴」および周辺洞穴の測量を完遂することになっていたが、最奥部下層にてプールに至る新たなルートを確認してしまったため、結局終わらせることができなかった。また次回に持ち越しである。早いところ終わらせたいと思う。洞内気象測定は特に珍しい現象は見られなかったが、これも成果の一つであろう。同時期の立処鍾乳洞と比較すると、平均2℃程度高い。標高の違いの影響は大きいようである。(文責 村野哲雄)
下穴 下穴 下穴
このような狭い通路が多い 確認した落書き 「甘楽郡山中〜」とある 最奥部のプール

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