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地底旅団ROVER元老院第196回CAVING

サブタイトル 第5次小鹿野町二子山東岳洞穴調査
分 類 調査ケイビング
入洞洞窟 ニ子山東岳北面山頂下の穴、不二洞(庚申の穴、申の穴、猿の穴、大福寿穴、福寿山の穴、不二穴)
日 程 2007年7月8日(日)
参加者 村野て、千葉 以上2名
二子山東岳頂上直下の穴2001年6月、小鹿野町役場産業観光課の新井忠雄氏より電話連絡があり、二子山東岳に開口する2洞穴を確認したので調査して欲しいとのことであった。本地域は1985年にパイオニアケイビングクラブによって新洞探査が行われているが報告書類は未発行である。従って、二子山東岳周辺の洞穴調査を行うことにした。
2001年6月の予備調査では「二子山の水天宮の岩穴」、同年7月の第1次調査では「二子山東岳北面尾根下の穴」、さらに2002年6月の第2次調査では「天風洞」の測量を行った。2007年1月の第3次調査では「二子山の天狗穴」ほかを測量、同年4月の予備調査では第4次調査で見つからなかった「ニ子山東岳北面山頂下の穴」を確認した。
今回は「ニ子山東岳北面山頂下の穴」を測量、またケイビングジャーナル寄稿用の取材を目的として計画された。


8:30、村野宅にて集合、修理したばかり(前活動で追突事故)の村野車カローラフィールダーに乗って出発する。

10:30、埼玉と群馬の県境にある二子山へ到着。雨は降っていないものの、山頂付近は霧が立ち込めており、憂鬱感が強く漂う。千葉はケガ療養中のため入洞することはできないが、取りあえずは準備、村野と共に登山を開始する。東岳へのルート上にあった鎖場は、クレームがあったとのことで設置者により撤去され、右手が使えない千葉にとっては辛いアプローチとなった。

11:30、東岳山頂直前から北側斜面へ降りて洞口到着。う〜ん、第4次調査で20m手前まで来ていたところだ。山狩りなんてそんなもんである。村野は測量開始、千葉は洞口付近で少しだけ手伝い、あとは石を投げて暇つぶしをする。

13:00、測量終了。結果は総延長16.3m・高低差3.4mであった。洞穴からは一直線に下山する。

14:00、昼食をとってから二子山を離脱、群馬県神流町へ移動する。

14:30、「ちゃんから穴」の地権者:高橋氏宅へ到着。自家製メロンを頂きながら、高橋さんが23歳の若き日に「不二穴(不二洞)」竪穴探検のアポなし取材を開始する。この話は昭和37年に初めて洞内竪穴「空穴(そらあな)」を降りた探検話で、満足な装備もなく、荷縛り用のロープに肩がらみで降りて人骨を発見したというものであった。

16:00、「不二洞」へ向かい、探検話の現場検証。ロープを縛ったと思われる母岩や人骨発見場所を確認、写真を撮り、レーザー測定器による「空穴」簡易測量を行った。その結果は−31m。探検当時は−26mであったと思われ、案内板や過去の測量図にある−37mとは違った結果が出てしまった。新洞部や人工トンネルなどが追加された今、再測量をやるべきなのかもしれない。

17:30、「不二洞」を離れ、麓にある吉祥寺を見学。ここは高橋さんが発見した人骨と推測される悦巌上人の寺で、現在は無人寺。なにか話が伺えればと思ったのだが、現住職は野栗沢の寺も兼任し、現在は藤岡市内にいるとのことであった。

18:00、高橋宅へ再び到着。お茶を頂きながら現場検証報告をしていると、夕飯の時間になってしまったので、孫娘たちと一緒にありがたく頂戴する。新鮮な野菜類は本当に美味しい。

19:00、高橋宅を出発。

21:00、村野宅で解散となった。


今回で小鹿野町二子山東岳洞穴調査は終了となった。小穴ばかりであったが、その全てが未測量洞。これらは報告書にて発表する予定である。
また、「不二穴」探検記もケイビングジャーナルに寄稿する予定である。(文責 千葉伸幸)
二子山東岳頂上直下の穴 高橋宅 不二洞・禅堂の間
ちっちゃな「ニ子山東岳山頂下の穴」 不二穴探検の取材をする千葉 ここで人骨が発見されました

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