タイトル 地底旅団ROVER元老院第191回CAVING
サブタイトル 第22回イザナギプロジェクト at 多賀町・河内風穴
分 類 合同・調査ケイビング
入洞洞窟 河内風穴(河内の風穴)
日 程 2007年4月20日(金)〜22日(日)
参加者 千葉、細野、宮野原、木嵜、後藤聡、野池耕平、木崎裕久、石川典彦、山西敏光、松澤亮、岡村聖子、栗栖隆一、中込幸子(以上、東京スペレオクラブ)、毛受伸一、小山田徹、吉田龍一、南正憲、清原正人(以上、コンパスケイビングユニット)、山本智浩(西日本洞窟潜水研究会)、池田徹(カマネコ探検隊)、野口知子(立教大学探検部)、中野亜由美、中野香織(以上、山口大学洞穴研究会OG)、高坂勇輝(大阪市立大学探検部OB)、谷川鯉沙、フレッシェル・マルクス(以上、無所属) 以上26名
多賀町役場前バスターミナル1987〜88年の「鈴鹿プロジェクト」を引き継ぎ、2001年から東京スペレオクラブを中心に行われている滋賀県・河内風穴測量調査「イザナギプロジェクト」。今調査日程は4月21日(土)〜22日(日)である。
地R元にとっては4年ぶりであり、千葉は3回目、細野は2回目、宮野原・木嵜は初のプロジェクト参加である。また、管理人が代わってから初めての「河内風穴」でもある。


20日22:30、千葉・細野・木嵜・野池は東京府中を出発する。途中、炎上車両によりやや渋滞していたが、全体的には順調に中央自動車道を西へ向かう。
少し遅れて出発した車両は恵那山トンネルで足止めを食ったらしい。
21日4:00、多賀町役場前バスターミナルに到着。そのまま駐車場で宴会開始。

5:00、山西・石川・栗栖・中込組到着。我々も消灯する。

6:00、宮野原が到着。すると、駐車場にはベンチ付近には赤いミノムシ(シュラフ)が多数横たわる。宮野原は駆除するか迷うが、慈悲の心で見逃す。

7:00、起床。赤いミノムシが次々と羽化する。その中のボス:千葉に千葉サファリを宮野原サファリにぶつけて揺すられ、宮野原も目覚める。やはり駆除しておけばよかったと今になって後悔。

8:30、全員集合。各自朝食後、多賀町博物館へ移動し、ブリーフィングを行ってから「河内風穴」へ向けて出発する。

9:30、「河内風穴」到着。すると、見たことのある学生がいた。京都大学探検部である。他にも大阪府立大学ワンダーフォーゲル部が新歓で来ていた。管理小屋には多賀町立博物館企画展で使用されたパネルが展示されており、かなり華やかになった印象を覚える。
駐車場で武装開始。千葉・宮野原・木嵜は人工登攀チーム、細野は山西氏・栗栖氏とルート工作チームである。
人工登攀チームは目方約30キロ超のタックルバック(通称:キングスライムという)の搬送を賭け、決死のサドンデスゲーム「じゃん拳」。絶対に負けたくない!負ければ椎間板ヘルニア発症必須!いろんな策略が交錯する!脅しやイカサマなんて当たり前!そして・・・無念!・・・思いが弱かった宮野原がドボン。背骨が軋むほど重い。早くも帰りたい・・・そして出発。

10:30、洞口到着。千葉・細野・木嵜のボルテージMAX、そして宮野原は瀕死状態。5分の休憩後に入洞開始。人工登攀チーム、ルート工作チームはここから別行動となる。

11:30、人工登攀チームは現場「大クラック」に到着。人気のないのを確認後、ソッコーで昼食。まずは腹ごしらえが優先である。カップ麺用の湯を沸かすが、事件発生。千葉用のカップ麺が木嵜の思惑によりボッコボコにっ!石筍でグシャ!氷柱石でザクッ!カップ麺のフクロ叩きだ!仕方なくコッヘルに移すが水不足。鬼のように味が濃い。千葉は肝臓に200のダメージ。もう少しだっ!木嵜が密かにホクソ笑む。

12:00、現場の下見後、人工登攀でなくフリー登攀による未確認支洞へのアタック開始。数メートル登ると多数の小支洞を発見。通路開拓の為、千葉による巨大落石の人為的発生。「ゴッ、ゴッ、ドゴォォォン!」凄まじい轟音は、まるで魔王の喘ぎ声のようである。。。
くまなく通路を確認したあと、狭洞部を通って主通路へ戻ることにする。千葉・宮野原が難なく通過したが、3番手の木嵜は通過時にヘルメットが引っかかる。下から見ると・・・あらっ、何とも魅惑で破廉恥な姿!クネクネくねくねと腰を大きくグラインド!木嵜の夜は凄そうだ。男優2人につつかれ、いじり倒された木嵜は助けを求め続けるが、美白用泥パックを顔に塗られ、言葉責めを受け木嵜は精神崩壊寸前。そして、木嵜が地底猥談員として覚醒しのであった。
気がつくとそろそろ出洞の時間。急いで撤収準備し帰路に着く。しかし、復路では精神崩壊&覚醒した木嵜の赤裸々告白(強制)が始まった。奥歯の浮きそうなラブラブ話を聞かされ頭にきたので、木嵜が大事そうにしているシルバーリングをアンカーと共に母岩に埋め込むことにした。「幸せな奴はみんな死ねばいい」という、地底旅団に伝わる格言を思い出す。地底旅団は恋愛禁止である。

15:30、出洞。復路の重タックルバックサドンデスでは木嵜が餌食。背骨崩壊。しかし、何故か表情が爽やか・・・喜んでいるのだろうか?
洞口で合流した細野は泥まみれで全身茶色。「石切場」より奥の上層部にてルート工作していたとのことで、新洞部がゆえ、泥床は15センチ以上もあったらしい。早期の身洗いを懇願。

17:00、多賀町総合福祉保健センターにて身洗。あまりの汚れにサボンも泡だだず仕事を放棄する。

18:00、多賀町立博物館にて、山西氏による「自然史談話会・中国貴州省の洞窟調査」を開催。大陸の洞窟はスケールが違う!千葉はよほど興味があるのか、積極的に質問をしていた。

19:30、ブリーフィング後に食事&宴開始。木崎氏の加工肉差し入れにより、皆の酒もすすむ。かなり美味い!と、ここで木嵜がハムにガッつくガッつくガッつく!選ぶ肉はポークビッツからフランクフルトまで太さは幅広い!見境いないのかっっ!!!まるで、「ハムの暴れ喰い」だっ!!(フィクションです)(@д@)
しばし、静かな時間が流れるも、またしても木嵜が壊れる、壊れる、壊れる。どこからとも無く始まった猥談に興奮しているようだ。ピュアな男子は即倒もんであると実感した瞬間だった。
そんななか、千葉は初遭遇のコンパスケイビングユニットに挨拶。なにやら情報交換をしていたようである。

25:30(1:30)、夜も更けるとまたもやあちこちでミノムシが大発生。今宵こそはと駆除を決意。消灯。
22日7:30、起床・朝食。朝からラーメン。胃が重い・・・。

9:00、宿舎である博物館を出発。

9:30、「河内風穴」到着。前日同様、駐車場で武装。すると、ハイビジョン撮影を行っているグループが到着していた。千葉は近づき挨拶。どうやら、ミクシィ友達がいたらしい。
千葉・宮野原は人工登攀チーム、細野は前日に引き続きルート工作チーム、木嵜は何故かハイビジョン撮影チームのモデルに抜擢。宿敵?の中込@東京スペレオクラブとヒロインを奪い合うらしい。

10:00、入洞開始。

10:30、千葉・宮野原は現場「ドリームホール」到着。天井にはコクキガシラコウモリのコロニーがあり、超音波が騒
がしい。まずは、千葉がお手本として人工登攀。宮野原は半寝で確保。ロープを揺すって日頃の仕返し。「いつも焼きプリンばっかり食べているから太るんだ!」と、罵倒もしてみる。
アンカーを3発打ったところで登攀交代。宮野原による初人工登攀開始。千葉は慣れた手つきでロープを揺すり、ニヤニヤした後に全寝に突入。オイッ!落ちるときは絶対にあの焼きプリンでつけた脂肪の上に落ちてやる!!と腹をくくった。ちなみにこの日の千葉は二日酔いだとかなんとか・・・。肝臓に800のダメージ。あと一押し!!

13:00、目下に撤収してきた他隊員のヘッドランプが揺れている。ハンマードリルを持つ手も震えてきたところで登攀終了。千葉・宮野原は撤収に入る。

13:30、出洞。ほどなくして細野・木嵜と合流。細野はまたしても全身茶色。木嵜は中込と引き分けた模様。

14:00、撤収作業と装備洗い。

15:00、多賀町立博物館へ移動。一部のものが製図をしている間、図書館で洞窟に関する資料探し。宮野原は千葉に手伝いを頼まれるが、トイレに行くと嘘をつき、ベンチで細野・木嵜と楽しく談話。

16:30、解散。今回で引退の宮野原サファリの上で集合写真。

17:00、多賀大社前「多賀や」で名物:糸切り餅を購入。試食したが美味い。その後、各車両ごとに帰路に着く。

18:30、宮野原帰宅。

24:00、千葉・細野・木嵜・野池が帰京となった。


久々のイザナギプロジェクトであったが、町や管理人の理解も得ており、以前と比べて金銭的にも環境的にも快適となっていた。まだまだ先は長そうだが、機会があれば参加したいと思う。(文責 宮野原弘規)
河内風穴・大クラック上層 河内風穴・大クラック上層 河内風穴・ドリームホール
大クラック上層で確認した新洞部 狭洞部にはまり身動き取れなくなった木嵜 ハンマードリルを使用して登る宮野原

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