タイトル | 地底旅団ROVER元老院第137回CAVING | ||||||
サブタイトル | 美山町プロジェクト at 山県市・マイコミの堅穴 | ||||||
分 類 | 調査ケイビング | ||||||
入洞洞窟 | マイコミの竪穴 | ||||||
日 程 | 2004年10月2日(土)〜3日(日) | ||||||
参加者 | 千葉、村野て、鈴木、小池純、湊幸栄、宮崎朋彦(以上、東京スペレオクラブ) 以上6名 | ||||||
1991年に立教大学探険部によって発動された岐阜県「美山町プロジェクト」、ホスト団体が代わりながら、現在は東京スペレオクラブが中心となってによって継続調査されている。 今回は「マイコミの竪穴」での新洞探索に参加させてもらうこととなった。 2日20:30、車両2台にて多摩地区を出発する。翌日3日は雨天予報ではあるが、荒天とはならなそうである。 3日2:00、東海北陸道でタヌキとニアミスしながらも現地林道駐車場着。予定より大幅に遅れているため、仮眠せずに装備を整える。 ふと気がつくと、手には妙な固まりがひっついている。足の裏にも何かついている。・・・・山ヒルである。いつだか「鷲嶺の水穴」で襲われた以来である。気持ち悪いことこの上ない。 3:30、準備を整えて洞口を目指す。あまり足元状態が良くない。 4:00、入洞開始。 リギング湊・宮崎組、セカンド小池の体制で行う。途中、何ヶ所かで残置ロープが流されてしまっていたため、回収しながらのリギングで手間がかかる。 また、鈴木は経験が浅いため、千葉・村野でフォローしながら最深部を目指す。何よりもテンショントラバース+ディッセントが怖いらしいく、前後で指示を出しながら進ませる。 9:00、−150m地点に到着。湊・宮崎組は最終ピッチのリギングに取りかかる。地R元と小池は、夜食とも朝飯とも昼飯ともつかない行動食を取る。 不覚ながらも湯沸かし用コッヘルを忘れてきてしまったため、カップヌードルを鼠のごとくむさぼり喰う。う〜ん、意外とカレー味は湯なしでもいける(笑)。 10:00、活動開始する。 【千葉・小池組】 −150m地点での人工登攀を開始する。目標地点は滴下水源流と支洞入口と思われる箇所。今回は前者に向けて、千葉が登ることになった。 ボルトアンカーを打つためハンマー打診すると、何処も鈍い音。浮き石と言うよりは、全体的に泥が詰まった洞壁である。様々なルートを検討するが拉致があかず、1発目はビレイ用アンカーであるため、落ちても最悪洞床には撃墜しないであろうと、自分を騙しながら登り始める。 手にするところ、みな剥離してしまい、洞奧へ吸い込まれていく。落コールはするものの、下方メンバーにはまずい状況である。 重いマキタ製24Vハンマードリル+特注メアンダー製バッグを使ってのアンカー打ちとなるが、滴下水のなかでは重さばかりが身にしみる。 4、5発目のみアブミを使い、テラスへ取り付く。すると、更に上部が見える。 スタティックロープを張り、小池さんに登ってきてもらい、再び千葉が登り始める。すると、手を掛けた岩が落ち始め、必死の思いで2人がかりで移動させる。これが下方メンバーに当たってしまったら怪我では済まない大きさである。その勢いからフリーで登ってしまったため、更なる上方を目指す。 すると、8ピッチ竪穴部に出てしまい、結局空振りに終わった。 その後、小池さんは次回に向けての支洞入口へのアンカー打ちを行ってから活動終了とした。 【湊・宮崎組】 −170m地点での人工登攀を開始する。2000年到達ポイントを越えたところでタイムアップとなり活動終了とした。 【村野・鈴木組】 12:30に最深部へ到着。滴下水の降りそそぐなか、記念撮影後に反転する。 15:00、撤収を開始する。小池・鈴木、千葉・村野、湊・宮崎でアッセントを行うが、村野は慣れない長時間活動により体力を奪われ、まさに命からがらの出洞となった。 19:00、完全出洞。その後は関市内で夕食を取る。 26:00、睡魔と闘いながら帰京となった。 私にとっては楽しく、久々に充実した活動であった。 また、村野と鈴木にとっては夜間活動、15時間入洞、−195mと初めて尽くしで、非常に良い経験になった。この場をお借りして、サポートをしてくれたプロジェクトメンバーに御礼を申し上げます。(文責 千葉伸幸)
|
|||||||
「活動報告」に戻る 次の「個別活動報告」へ進む TOPへ戻る |
|||||||
2004 Copyright(C) 地底旅団ROVER元老院 cavers_rover_in_tokyo@yahoo.co.jp |