タイトル 地底旅団ROVER元老院第122回CAVING
サブタイトル 奥多野かんな姫計劃・第17次神流町立処山洞穴調査
奥多野かんな姫計劃・第6次神流町叶山麓洞穴調査
分 類 調査ケイビング
入洞洞窟 立処鍾乳洞(立処山の鍾乳洞、立処鍾乳洞第1洞、立処山第1洞、井戸穴、田戸呂山鐘乳穴、大黒洞)、立処8之字穴、立処魚穴、目玉穴、仏穴第11洞、仏穴第12洞、仏穴第13洞、仏穴第14洞
日 程 2004年2月14日(土)〜15日(日)
参加者 千葉、村野て、鈴木 以上3名
古鉄橋付近「奥多野かんな姫計劃」の一環として企画された。
立処山は1980年に「明治大学地底研究部」によって洞穴探査及び測量がなされているが、地主の話によると未報告の洞穴が多数あるようなので洞穴探査・測量を行うことにした。
今回は「立処魚穴」下層部の測量、「仏穴第11〜13洞」の測量、仏岩地上測量を目的として企画された。1ヶ月連続調査第3弾である。


14日23:00、現地到着。地主娘・明美さんの焼いたパンを頂ながらブリーフィングを行なう。焼きたてのパンは旨い!
今回、旅団員として初参加となる鈴木(1月入団)は測量活動2回目、また村野は初コンパス及びスケッチ担当となるため、簡単な測量講習も併せて行なった。

25:00(1:00)、消灯。
15日6:30、起床。晴天だが、窓をあけると風華(現地では「ハーテ」という)が舞い込んでくる。

9:00、活動開始。鈴木は立処山初登山となるため、「立処鍾乳洞」に寄っていくことにする。時折小雪がちらつく中、千葉と村野は早くも急登に喘ぐが、鈴木は一人でスイスイと登っていく。うっ?これが10年の差なのか??

9:30、「立処鍾乳洞」入洞開始。最奥部のホールには80頭余りの冬眠中のキクガシラコウモリが見られた。

10:00、出洞。立処山南面の新洞探査、「立処8之字穴」の洞口撮影をしながら「立処魚穴」に向かう。しかし、新洞やPCCが確認した「立処山南腹の穴」は発見されなかった。

11:00、「立処魚穴」入洞開始。上層部と下層部の一部については第16次神流町立処山洞穴調査(第121回CAVING)で測量完了しており、今回で下層部の残りの部分を片付けてしまう。体制はスケッチ千葉、コンパス村野、メジャー鈴木。午前中で終わらせる予定であったが、下層部洞口付近で新たにループしている箇所が見つかり、測量完了まで3時間かかってしまった。

14:00、出洞。北風が吹き付け、極寒である。早々に立処山南面に避難し、ランチタイム。こちらは北面とはうって変わって日ざしが降り注ぎ、のどかな雰囲気であった。

14:30、仏岩に向けて下山開始。途中「目玉穴」の洞口を撮影。
また先週の活動で細野、宮野原が測量した「木古里岩黴穴」洞口を確認した。「木古里岩黴穴」は岩帯基部から約+10mの岩壁中腹に開口しており、千葉・村野は下から見上げただけで足がすくんでしまうのであった。

15:30、仏岩到着。先週の活動で千葉が発見した「仏穴第14洞」を千葉が一人で測量。その間に村野・鈴木は「仏穴第14洞」への地上測量を行なった。

16:00、「仏穴第12洞」と「仏穴第13洞」を2班体制で測量する。「仏穴第12洞」は千葉一人、「仏穴第13洞」はスケッチ・コンパス村野・メジャー鈴木の体制である。「第13洞」は10m程度の小穴だが、全体的に匍匐前進を強いられ、また村野がスントタンデムの扱いやスケッチに不慣れなため、なかなかはかどらない。鈴木も測量は地味で気合いのいる活動であることを実感しているようだ。村野が「測量、楽しいだろ?」と言っても返事がなかった・・・。測量はまだまだいっぱいあるぞ。頑張ろうな、鈴木。

17:00、「第12洞」と「第13洞」の測量を完了し、本日の活動終了となった。

17:30、地主宅「木古里」にて夕食。その後、武甲温泉に入泉。

23:00、解散となった。


今回の活動で「立処魚穴」の測量が完了し、総延長70.2m、高低差13.4mであることが判明した。これで所在が確認されている未測量洞は「仏穴第11洞」と「[仮]かぶり岩洞穴」のみとなり、立処山・叶山麓の洞穴調査もいよいよ大詰めとなった。
立処山・叶山麓の洞穴は現在40洞確認、35洞測量済み。(文責 村野哲雄)
立処鍾乳洞 立処魚穴 立処魚穴
冬眠中のキクガシラコウモリ 立処魚穴の魚型二次生成物 立処魚穴の測量

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