タイトル 地底旅団ROVER元老院第118回CAVING
サブタイトル 岡山県阿哲台正月合宿
分 類 合同・ファンケイビング
入洞洞穴 三ツ木の穴、蛇の穴、井倉上の穴、日メ坂鍾乳穴、ゴンボウゾネ−本小屋の穴
日 程 2004年1月1日(木)〜7日(水)
参加者 宮野原、戸田聡(亀戸ケイビングクラブ)、平田稔(ウルトラケイビングクラブ)、藤原義行、押谷梨絵(以上、立命館大学探検部)、本田明子、大門良臣(以上、愛媛大学学術探検部)、内山重幸(法政大学探検部)、鈴木知昇(愛媛大学学術探検部OB)、甲斐洋介(岡山大学ケイビングクラブOB)、野池耕平(無所属) 以上11名
恒例である戸田企画:阿哲台正月合宿に宮野原が参加することとなった。


28日10:00、JR上野原駅の駐車場で内山@法政大と待ち合わせ。内山からの、「着きました!」と言う元気の良い電話を切った直後、うつむき加減で不穏な空気を纏った人影を発見・・・。「あ〜間違いないな。」と思い乗車させると、一路阿哲台へ向かった。
道中は2人だけなので、2時間おきに休息をとったが高速SAに入る度に言葉が変わっていくので、私の脳は翻訳に大忙しだった(本来は九州訛りがベースなのだが)。出発して8時間も過ぎた頃だろうか、話の引き出しもそろそろエンプティに近づき、またしても不穏な空気がただよい始めた頃、中国道・北房ICで高速を下りた。
何日か前からの寒波で、阿哲の道は雪に埋もれていた。道幅の境がわかりづらく、「まずいなぁ〜。」などと思っていると案の定ガゴッ!!側溝にハマッタ。スコップを持ち出し、四苦八苦するが出られない。あたふたしていると、通りがかりのそれはそれは優しいオジサマが救いの手を差し伸べてくれた。いや、本当に助かった。ありがとうございます。脱出してからは、スイスイッと岩中作業所へ到着し、その後、活動から帰ってきた戸田、平田、鈴木、藤原と合流。夜も更けて、戸田特製のチャイを飲んだ頃には体がスリープサインを強く発信し始め、まもなく意識の底に沈んだ。
29日、王様ならばちょうどブランチでも戴こうかという頃に目が覚めた。そして、鈴木・藤原が離脱するとともに甲斐・本田が到着。
この日は「三ツ木の穴」へと向かった。寒冷地仕様の激速平田号に、やっとの思いで喰らいつきながら到着した「三ツ木の穴」では、洞口付近に人の手が入っており通路に橋と整備がなされていた。いつに無くウロウロと徘徊し、さては出洞という時だった、すこし前を歩いていた内山がいきなり消えた。???はて??よくよく目を凝らしてみると、水路にかけてあった橋の底板を踏み抜いて水没しているではないか!!まさにファイト一発!?宣伝と違い、すでに助かってなかったが・・・。 
岩中作業所へ到着してからは、宴会が早々と始まった。本田総料理長の作るおいしい夕食と、いつの間にか購入された大量のビールとおつまみ、そして乾杯フライングの甲斐。戸田から教わった、メキシコ流といういかにも怪しくて胡散臭いビールの飲み方は、以外にもおいしく飲むことができ感動だった。そして就寝前、すごいものを見た!それは、横になり呪文のようなものをブツブツと唱えながら、半寝であの懐かしのビッグチョコをほおばる戸田の姿だ。なんで?世界にはイロイロな人がいるものだなぁ・・・と考えながら、意識の底に落ちた。
30日、どうしようもないほどの寒さで目が覚めた。やはり夏用のシュラフでは、阿哲の寒さに太刀打ちできないことを悟った。しかし手遅れ、これしかない。ヒーターの電源を入れ、二度寝。
そして本日二度目の朝、朝食の匂いにつられて目が覚めた。この日は、有名でない方の「蛇の穴」へ向かった。誰かが、「何で阿哲に来てまでこっちの「蛇の穴」に入るんだろう・・・。」と呟いた。私は、「そこがアツイんだっ!!」と教えられた。
確かにアツイと思った。それは、出洞後の超極寒中水泳で心意気を感じたからだ。今にも凍ってしまいそうな水中に身を投じるこのアツさ、いうなればゴクドー。先に入洞した「蛇の穴」でのいびつな感じは、水の冷たさでカチコチに凍って砕けてしまったようだった(いやいや、別に「蛇の穴」が楽しくなかったと言うわけではなく、驚くほどの寒さで「蛇の穴」での出来事をほとんど覚えていないだけなんだが・・・)。
夜になり、野池の合流とあって井倉駅まで迎えに行ったのだが、その後は、岩中作業所に着くや否や宴会に再度参加し撃沈した。
大晦日31日、私が一番期待していた日がやってきた。「井倉上の穴」入洞日。そもそも、私が阿哲台合宿に参加を決めた理由が、戸田の「井倉上の穴」でリギングを教えてやるよ。」という一言。それでいて、この日が待ち遠しくない訳がない。
チャチャっと準備を済ませ、早速、「井倉上の穴」へ。装備を整え、リギングポイントはしっかりオツムに叩き込んだ。戸田がサポートにつき、いざ入洞。アンカーを探し、ボルトをねじ込む。ノットを作り、カラビナに通す。作業している私にはあっという間のことで、洞外で待機している人には長い時間で・・・やっと洞床に足がつく頃には、かなりの時間が過ぎていたようだ。皆が降りきって、最奥へ私と戸田と、野池と内山が向かった。最奥は巨大なフローストーンの滝があり壁際を走って下りた。滝でいい感じに濡れた後は、急いで撤収にかかった。途中、ふと洞外へ目をやると真っ暗な中に散々と星が煌めき、そんな中、前を行く合宿員のヘッドライトがゆらゆらと季節外れの蛍のように舞っていた。
岩中作業所に戻ると、ほっとして肩の力が抜けた。その後は本田総料理長のおいしい夕飯と、戸田の作るあま〜いチャイで暖まり、毎夜の行事、酒・酒・酒。なんだかんだで、翌日は元旦なのだが関係ない。騒ぐだけ騒いで、後は爆睡を繰り広げた。この日、大門が合流した。
元日、明けましておめでとうございます。元日でござる。急いで外へ行き、かなり高い位置にある初日を拝む。というか、あまりにも高く日が上っており眩し過ぎて目が痛い。
元旦と言えば、初詣!!ならばケイバーとして、この日に向かう洞穴は一つしかない。日メ坂鍾乳穴神社の「日メ坂鍾乳穴」だ。なんせこの神社、御神体のそれそのものが洞穴という珍しい所。まずは皆で、それぞれ今年の豊富、その他諸々祈願。続いておみくじ!大吉、吉が連発する中、内山が不吉なものを・・・"半凶"・・・。なんとも煮え切らない。戸田、平田に「洞窟・・・迷う。落石・・・当たる。ヘッドライト・・・消える。」などとさんざんいじられていたようだ。
祈願し、笑って、お神酒もたらふく飲んだ?ところで入洞した。洞口にはきれいにツララが下がっていた。そして歩くこと数分、第一の試練、「神の池」へ差し掛かったときだった。雪融け水で水位が上昇しており、先へいくことが危険だと判断され、そこから先への進行は断念した。帰りには、「半凶を引いた内山が全て悪い。」と言うことに落ち着いた。
夜の宴会では、大門の酒豪っぷりがすごすぎてア然とし、就寝に至っては、大門の爆音の鼾に野池・内山が犠牲となった。
2日、いつものように、すっかりと日が昇った頃起きだした。行き先が、岩中作業所のすぐ近くにある「ゴンボウゾネ」だったためか、朝の雰囲気はとろ〜んとしていた。
昼近く、ようやく出発!!洞内で2箇所あるラダー&ロープセットのポイントは、戸田がサポートで内山がセットした。間もなく無事にロープも張り終わり下降。SRT用具を外すと最奥を目指した。途中で、大門と内山がわけも無く極寒の水中に飛び込んだり、2組に分かれて泥合戦をしたりと楽しんだ。出洞の際は、内山がラダー&ロープ撤収。私と野池がサポートにまわり、内山を待っている間は人生相談をして暇を潰したが、お互い対して相談ごとなど無くのほほ〜んと生きていることが判明した。
3人が出洞する頃には、すでに真っ暗となっており作業所に着くともう夕食ができていた。すぐに着替え、宴会へと。いつものように、「さて寝るか。」と言うときだった。あるすごい事件が起きた。皆より早めに撃沈していた大門、マジックバトンにより十分おぞましい顔に塗り替えられていたのだが、昨夜と同じくイビキをかき始めた。「眠れない。」と野池が大門を揺すったとき、いきなり大門が歯ぎしりをしながらすごい速さで腹筋を連発!!しかも、ラク顔で!!腹が捩れそうなくらいの爆笑だった・・・。この日、押谷と合流、駅まで戸田と迎えに行く。
3日早朝、一時離脱していた鈴木が合流。入れ替わる形で、午前のうちに宮野原・野池が離脱した。お世話になった皆様に挨拶し帰路につくのだが、帰る少し前に戸田に騙されて食べたシブガキのせいか、まだ居たいと思う合宿だったためか、名残惜しくもありながらシブシブ出発した。
早くも、合宿を振り返っての思い出し話をしながらの道中だったが、いかんせん時期は正月の帰省ラッシュラッシュラッシュ!!・・・。70キロの渋滞を抜けるのに、なんと4時間。宮崎生まれで渋滞知らずの私には、なんとも驚くべきことか!しばしの我慢。中央道に入ると自然と渋滞は解消され、先ほどとは打って変わってのスムーズさ。途中で野池を下車させてからも、難なく自分の家へと到着し、この合宿も私の都合内で終わりとなった。(文責 宮野原弘規)
岩中作業所 井倉上の穴 井倉上の穴
とりあえずの記念撮影 リギングを開始する宮野原 井倉上の穴洞口

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