タイトル 地底旅団ROVER元老院第240回CAVING
サブタイトル 第15次龍泉洞再測量調査(第1次潜水調査) at 岩泉町・龍泉洞
分 類 合同・調査ケイビング
入洞洞穴 龍泉洞(湧口、湧窟、龍泉窟)
日 程 2009年12月29日(火)〜2010年1月4日(月)
参加者 千葉の、細野、村野て、佐野、菊地敏雄(日本洞穴学研究所)、松本力、山口真也、森口信雄(以上、東山ケイビングクラブ)、石川典彦、木崎裕久、小林日(以上、東京スペレオクラブ)、藤田絵梨子(パイオニアケイビングクラブ)、鈴木雅子(洞窟救助隊)、秋冨慎司(無所属)、久保彰良、石山慎弥、武繁俊哉、青山泉、久米大作、竹内博、戸塚絹代、長山雅之、三浦俊一(以上、龍泉洞カルストプレインプロジェクト) 以上23名
龍泉洞・洞口日本三大鍾乳洞のひとつとされる国指定天然記念物「龍泉洞」。本洞穴は透明度日本一という地底湖が見所である、岩手県岩泉町経営の観光鍾乳洞である。
第9次龍泉洞再測量調査
によって確認された第7・8地底湖の上層部分において、かつて潜水(ケイブダイビング)調査によって確認された第5・6地底湖へ続く陸上通路の発見に重点を置いてこれまで調査をしていたが、発見には至っていない。
過去の潜水調査と、これまで確認された第7・8地底湖の位置は方向が違う。この不整合問題を検証するには、第3地底湖から水中通路の潜水調査を行なうしか方法が無い事から、「平成21年度日本洞穴学研究所総会」にて提案、承認されたことにより、41年ぶりの潜水調査が実現した。
今回は第1次潜水調査となる。


29日21:00、細野車組(千葉・細野・佐野・小林・鈴木)は東京を出発、東北自動車道経由で一路岩手へ向かう。
30日6:30、矢巾PAに到着。PA内にある「やまなか屋」で冷麺を食す。味はなかなか悪くない。千葉の強制で冷麺を食べたのだが、寒いなか冷麺を食べているのは我々だけで、やはり温かいものを食べたかった・・・。

9:00、龍泉洞事務所に集合する。簡単な挨拶の後、ケイバー、ダイバーのそれぞれが準備を開始。
ダイバーは、スクーバタンクの管理、第3地底湖展望台で現地本部設置作業、水中での作業用フーカー装備やダイビング計画を立てる為のパソコンやモニターテレビの設置を行った。
ケイバーは今回、第7地底湖に緊急浮上したダイバーを速やかに非常用トンネルまで搬送することがひとつの作業である。そのため千葉を中心に第7地底湖までの救助システムを話し合い、使用する装備類の数量等を確認、各自持ち場に移動して設置作業を開始する。
小林・松本・菊地は、第3地底湖を渡るチロリアンブリッジを設置。その後、第3地底湖から第7地底湖までの照明用電気コードと通信用インターホンコードの設置作業を行った。
千葉・細野・佐野は、第7地底湖から第3地底湖展望台への救助搬送用ロープのリギングを行なった。狭い通路に種々のロープと電気コードが入り混じり、一見何がどういった役割をしているのかわからない。

26:00(2:00)、一旦作業を終了。残りは翌日午前に行なうこととした。

26:30(2:30)、宿舎「尼額公民館」到着。宿舎は23名の参加者を十分収容できる広さで、男性が大部屋、女性は小部屋で眠る。調理場も大きく、機能的。ダイバーたちが就寝中のため、ケイバーは調理場でささやかな酒盛りをした。
龍泉洞・人工トンネル前 龍泉洞・人工トンネル 龍泉洞・第7地底湖入口
ケイバーの入洞準備 人工トンネルでの機材準備 狭洞部でのレスキューリギング

大晦日 31日6:00、起床。

7:30、朝食。

8:30、昼食担当の木崎・鈴木を宿舎に残し、他は「龍泉洞」へ移動する。

9:00、活動開始。
ダイバーは、引き続き準備作業を行い、午後から第1〜3回の潜水調査を実施した。
ケイバーは、引き続き準備作業を行い、第8地底湖までの救助搬送用ロープと電気コードの設置を完了する。午後から鈴木・森口・菊地がダイバーのタンク等の昇降サポートを行なった。

12:00、藤田が合流。

13:00、龍泉洞事務所2階にて、交代で昼食。

14:00、木崎・佐野は夕食準備のため宿舎に戻る。料理のできない佐野は、木崎に教わりながら夕食の下ごしらえをする。

17:00、調査終了。宿舎へ移動。

19:00、夕食。その後、全体ミーティングを行う。

20:00、秋冨が合流。ダイバーは睡眠時間確保のため早めに就寝。ケイバーは調理場にてアルコール摂取。

25:00(1:00)、ケイバー就寝。
元日6:00、起床。

7:00、朝食。

8:30、昼食担当の木崎・鈴木・佐野・山口・森口以外は「龍泉洞」へ移動する。昼食準備をしながら横目にテレビを見ると、正月番組をやっていて、やっと年が明けたことを実感した。

9:00、活動開始。
ダイバーは、第4〜6回の潜水調査を実施。
ケイバーは、以下の作業を午前・午後交代で担当することになった。(1)ダイバー緊急浮上を想定して、第7地底湖で待機。(2)第3地底湖と第4地底湖間の人工トンネルでの待機。(3)第3地底湖前にてダイバーのタンク等の昇降サポート。(4)食事準備。
佐野・松本・鈴木・山口が第7地底湖で待機していると、水底から大量の泡が湧き出て、ダイバーの第7地底湖通過を確認する。自分の待機している下、水深約50m地点をダイバーが潜行しているのを想像して、一人興奮していた。

17:00、調査終了。

19:00、宿舎に戻り、夕食をいただく。夕食後に全体ミーティング。

20:00、村野が合流。

21:00、ケイバーは救急医である秋冨に、調理場でレスキュー講座を開いていただく。人が立てない狭所での要救助者の体位転換など、細かい技術まで教えていただき、とても参考になった。
龍泉洞・第7地底湖 龍泉洞・第3地底湖 龍泉洞・第3地底湖 龍泉洞・第3地底湖
レスキューリギング完了 第3地底湖での潜水準備 潜水調査直前 調査中は水が濁ってしまう

2日6:00、起床。

7:00、朝食。

8:30、昼食担当以外は「龍泉洞」へ移動。

9:00、活動開始。潜水調査も今日で3日目。
ダイバーは、第7〜8回の潜水調査を実施。
ケイバーは、第7地底湖待機班(細野・佐野・松本)、第3地底湖潜水器材サポート班(千葉・村野・木崎・藤田・秋冨・菊地)とし、ダイバーのサポートを行う。佐野はだいぶ慣れてきたというか退屈してきたので、第7地底湖に本を持ち込み、待機しながら大学の課題に取り組む。

13:00、第7地底湖待機班(村野・山口・秋冨)、第3地底湖潜水器材サポート班(細野・小林・鈴木・菊地)とし、ダイバーのサポートを行う。秋冨は初めてのSRT、というかケイビングであったが、何の問題もなく第7地底湖に到着。食当(佐野・木崎・松本)は夕食準備のため宿舎へ移動。佐野は木崎にイカのさばき方を教授してもらう。

16:00、千葉・藤田は離脱。

17:00、調査終了。随時宿舎へ移動。

19;00、夕食。夕食後に、ダイバーから潜水中に撮影した映像を見せていただく。レギュレーターから浮上する泡が洞壁のほこりを巻き上げてしまうらしく、途中映像にはほこりしか映っていなかった。空気も視界も重力もない状態で潜水調査をしているダイバーの勇気に圧倒される。ダイバー就寝後、明日の懇親会に備え、この日もケイバーはささやかな宴を開いた。

24:00、ケイバー就寝。
龍泉洞・第3地底湖 龍泉洞・第3地底湖 龍泉洞・第3地底湖
潜水調査開始 第3地底湖の水中風景 マスコミ取材を受ける

3日6:00、起床。

7:00、朝食。

8:30、昼食担当以外は「龍泉洞」へ移動。

9:00、活動開始。
ダイバーは、第9〜10回潜水を実施。武繁・久米・竹内が過去報告されている第5、6地底湖に通じるルート探査及び探査エリアのVTR撮影を行う。
ケイバーは、第7地底湖待機班(村野・山口)、第3地底湖潜水器材サポート班(菊地・木崎・松本・秋冨・佐野)とし、ダイバーのサポートを行う。

13:00、食当が昼食を運び入れ、ダイバー・ケイバーが引上げて来て昼食。

14:00、ダイバーは、久米・久保が水中設置モニター、ライト、酸素減圧システムの回収及び残材ケーブルの採集を行う。
ケイバーは、第3地底湖と第7地底湖設置の照明器具やインターホン回収班(小林・松本)、第3地底湖サポート及び撤収班(鈴木・秋冨・細野)に別れて活動。第3地底湖サポート班はダイバー用設置器材の搬出手伝いを行い、潜水ダイバー浮上後にロープシステムの撤収を行った。食当(木崎、佐野)は夕食準備のため宿舎へ移動。

16:00、村野が離脱。

17:00、調査が完全終了。

18:00、秋冨が離脱。

19:00、宿舎で新年会を開始。調査期間中、ダイバーは健康管理のため睡眠時間確保・食事管理を行っており、開放された最終日の新年会は盛り上がった。沢山の差し入れもあり、飲食は今までの活動にないぐらいの種類や量が準備できた。時間が経つにつれて、ダイバーとケイバーの壁が払拭できるくらいに打ち解け合えているように見えた。

24:00、順次消灯。
龍泉洞・第3地底湖 尼額公民館 尼額公民館
チロリアンブリッジを撤収 新年会 ダイバーもお酒解禁

4日7:00、起床。朝食を済ませ、回収した装備・備品等を洗浄、宿舎清掃を行い、公民館館長、龍泉洞事務所へ挨拶。

10:00、現地解散。

12:00、細野車組(細野・佐野・小林・鈴木)は借用装備・備品を日本洞穴学研究所に戻し、帰京の途につく。東北自動車道路に乗る前に、「ぴょんぴょん舎」にて冷麺を食し、一路東京へ。

22:00、JR新宿駅到着。


今回の潜水調査によって、得られた成果は以下である。
@第3地底湖から奥に至る水中通路は、第7地底湖からケイバーが吊り下げたスタティックロープがダイバーにより確認されたことで、陸上通路と同様に南南西に伸びていることが確認された。
A41年前の潜水調査のときに発見されたB洞、C洞が、ケイバーが第9次龍泉洞調査で発見した第7地底湖、第8地底湖であることが確認された。
B41年前の潜水調査のときに発見された第5地底湖、X洞、第6地底湖に繋がると思われる水中通路を発見することができた。
なお、今後の潜水調査では、今回の調査でルートを構築した水中通路の測量を行なう予定である。

ケイバーは今回、第7地底湖に緊急浮上したダイバーを非常トンネルまで搬送するためにレスキューシステムを設置した。ダイバーが緊急浮上した場合に想定される障害は減圧症である。減圧症に罹った場合、速やかに減圧症の治療ができる医療機関に搬送し、高圧酸素療法を行なわなくてはならない。特に重症の場合は一刻を争い、治療が遅れれば遅れるほど生存率は下がる。
しかし、第7地底湖から第3地底湖までの搬送は、最低でも数時間はかかる。そのため、より生存率が高い方法ということで、第7地底湖から奥で負傷しても、同行ダイバーが第3地底湖まで連れて行き、搬送の簡単な第3地底湖から浮上することに決定した。
すなわち、今後は第3地底湖から第7地底湖までレスキューシステムを構築することが不要となった。

普段フィールドが全く違うダイバーとケイバーが一緒になって一つの目標に向かい力を合わせて活動できたことは素晴らしいことだと実感した。
次回の第2次潜水調査では和気藹々とした活動になると確信した。(文責 細野誠・佐野洋輔)

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