巷の噂(2001年版)
「石船沢鍾乳洞」の名称変更(2001/12/20 パイオニアケイビングクラブより入手)
 石船沢鍾乳洞の名称についてのお願いです。
 じつは前々から、気にかかっていたのですが、現在、活動計画書や調査報告書、ホームページ上などで石船沢鍾乳洞の表記が「石船沢鍾乳洞」と「石舟沢鍾乳洞」と2種類使われています。
 名称の由来となった石船沢ですが、沢や山の本、地図によって2種類の表記があります。「石船沢」と「石舟沢」です。PCCが「石船沢鍾乳洞」と命名したとき参照したものでは「石船沢」だったのですが、古い文献や学術関係では「石舟沢」の方が多いことに気づきました。
 まもなく、測量図が完成するので、今のうちに正しい表記を統一しておいた方がよいと思い、大滝村に正式な名前を問い合わせたところ、「石舟沢(いしぶねざわ)」が正しい名称とのことでした。
 よって、今後は「石船沢鍾乳洞」ではなく「石舟沢(いしぶねざわ)鍾乳洞」で表記を統一したいと思います。大変、めんどうをおかけしますが、活動計画書、調査報告書、ホームページ上での表記の変更、よろしくお願いします。

※地R元掲示場より転記





高知県土佐市で新洞発見(2001/11/14 毎日新聞より入手)
土佐市の県道トンネル工事現場で鍾乳洞が見つかる 「貴重、保存が必要」 /高知

 土佐市高岡町丁の県道トンネル工事現場で鍾乳洞が見つかった。正確な規模は不明だが、照明で見える範囲で東西に約15メートル・南北約5メートル・高さ約11メートルの空間が確認された。うち約6.6メートルは水没しており、天井から水面までの高さは約4.3メートル。この空間だけで100本近くの鍾乳石が密集しており、11日に中を見た鈴木堯士(たかし)・高知大名誉教授(地質学)は「見つかった部分だけでも県内でも5本の指に入る」と話している。 
 現場は仁淀川にかかる八天大橋から南約500メートル、掘削中の「吹越トンネル」(長さ108メートル)の中。路面になる部分に直径約1メートルの穴が開いているのを7日、工事作業員が発見、鍾乳洞と判明した。工事を進める県道路課によると、天井からは最大で長さ1.5メートルほどの鍾乳石が密集して垂れ下がり、床からは石筍が上に伸びている。鍾乳石と石筍がつながった石柱も見られた。鍾乳石は、やや茶色がかった乳白色という。 
 現場一帯では昔から石灰岩が採掘されており、県道路課も洞穴の存在は想定していたが「これほど大規模な鍾乳洞があるとは……」と驚いている。規模が不明で、工事にどう影響するかも現時点では分からないが、地元からは「治水上からも水の通り道をつぶさないでほしい」との声が出ており、県は鍾乳洞の上をコンクリートの床板で覆うなど鍾乳洞を保存する工法を検討している。 
 鈴木名誉教授は「龍河洞(土佐山田町、天然記念物)のように太くて立派な鍾乳石ではないが、これほど密集しているのは珍しい。貴重な鍾乳洞であり、保存は絶対に必要。見学できるように整備すべきだろう。(鍾乳石の成長速度を決める)水の成分が分からないので、年代は何とも言えない」と話している。 
 県は18日、洞内の水をくみ上げ専門家とともに詳しく調べる。




「あぶくま洞」リニューアル(2001/10/24 あぶくま洞管理事務所より入手)
 福島県田村郡滝根町の観光洞「あぶくま洞」が、10月5日(金)に観光部分のリニューアルを行った。光のイリュージョンと銘打って照明を大幅変更、案内板も見やすく変更された。




福岡県平尾台自然観察センターと平尾台でのケイビングについて(2001/10/15 カマネコ探検隊より入手)
 福岡県平尾台自然観察センターは、2000年5月19日に、環境庁の補助を受け、福岡県と北九州市が協力、エコミュージアムとしてオープンしました。開館時間9〜17時、入場無料、月曜休館日。(同時期に秋吉台エコ・ミュージアム=山口県美東町が開館)  
 日本有数のカルスト台地平尾台において、自然保護の拠点施設として、多くの人々に自然の仕組みや自然公園利用のマナーを学ぶ機会を提供し、自然を愛する心を育むという目的で開設されました。
 活動の柱は
・センターやフィールドの案内、イベント情報の提供
・展示・指導員の解説によって、自然や生態を理解し、自然に対するマナーを学ぶ
・公園利用者、ボランティアの交流の場とする
・自然を守るための保護監視活動の拠点とする
・休息、悪天候時の避難場所や急病傷人の救護の場とする
 となっており、年間約7万人の方々が利用しています。

 当施設は、フィールド付きミュージアムということが特徴です。平尾台に来たら、先ずセンターに立ち寄って、日々新しい平尾台の自然情報を得て、フィールドに飛び出そうというコンセプトで展示されています。ハイビジョンシアターは、「平尾台四季の詩」と「平尾台の不思議」を30分毎に上映しています。また平尾台のカルスト地形の成り立ち・散策コース・動植物の生態・石灰石鉱業などを、ジオラマや模型、パソコンゲームを使って解りやすく展示しています。
 また季節毎にいろいろな自然観察イベントを実施しており、青龍窟・不動洞・目白洞などで行うケイビング教室も大人気です。(詳細はhttp://www.hiraodai.co.jp)
 この夏休みには、平尾台ミステリーツアーと称して、ジャイアントカレンが複雑に発達したポイントや、樹林に覆われたピナクル群、カルスト縁辺地の断崖絶壁、ほとんど人が訪れない無名の鍾乳洞などを訪ね歩き、大変好評を得ました。他にも地元小学校の総合学習の一環として、ケイビングを実施したりしています。

 平尾台は全国でも有数のケイビングのメッカであり、一年を通じて多くのケイバーが訪れています。また昨年、福岡県苅田町で洞窟学会があり、観光化されていない洞窟に入る人々が増加しています。そこで困った問題が起こっています。
その0) ゴミの放置
 当たり前のことですが、ゴミやそのほか人の持ち込んだものを、洞内に残さないことは基本中の基本。一番よく見かけるのは、使い古した乾電池です。必ず持ち帰りましょう。錆びに包まれ、内部から電解液が浸みだしたものがよく落ちています。強烈な酸や水銀が含まれているので鍾乳石や水質を悪化させます。

その1) 荷造りテープの散乱

 たぶん、ケイバーだったら絶対こういうことはしないハズですが、洞内で迷わないように目印の樹脂テープを伸ばして入洞し、それをそのまま放置してしまうということです。特に青龍窟に多く、青・赤・黄色様々な色のテープがゴミとして引っかかっています。目に留まるたび片づけていますが、後を絶たない状態です。

その2) スプレーペンキ

 これも絶対してはならないこと。テープではなく、カラースプレーペンキで目印を付けてしまう人達がいるのです。石灰岩に落書きをすると、地表でもなかなか消えません。ましてや地下では紫外線による色の退行もないので、半永久的に残ってしまいます。

その3) 石灰岩や二次生成物を刻むこと

 経路や目印、また入洞の記念に、洞壁に刻みつけられた名前や日付を目にします。これは大学や探検グループに多い傾向です。他に名を残す方法を知らない下等な考えで、軟らかい石灰岩や鍾乳石に自分の名前を彫り込んでしまったのでしょう。おまけにサークルや学校の名前まで不名誉の道連れにしていることになります。

 以下は不用意にしてしまうことです。
その4) 鋲靴を履いての入洞
 最近、釣り用品や山岳用品で、やすくスパイクのついた靴や長靴が入手できますが、洞内では絶対これを使わないようにしてください。石灰岩は軟らかく、傷つきやすいのです。その傷は長い間、見苦しい跡として残ります。

その5) 用便

 入洞するまえに体調を整えておけば、ある程度避けられることです。もし生理現象が襲ってきたら、携行した袋にして持ち帰りましょう。最低限、流水に溶かして流して下さい。洞内は降雨や微生物など排泄物分解がされないため、そのまま残されているのをしばしば見かけます。

その6) 二次生成物(鍾乳石)や溶食地形に触れたり破損する

うっかり天井から下がっているストローやペンダントにヘルメットをぶつけてしまった人は、少なからずいると思います。折れなくても表面の突起が壊れて、欠けてしまったり、何百・何千年も掛かった自然の造形を、一瞬に台無しにしてしまったことになります。わざと壊したり持ち帰ったりするのは問題外。
 そして、手でそっと触ることも、してはならないことです。壊さないから良い・・・のではなく、触れることで人が運んだ泥や微生物が表面に付着し、変色・変質してしまうのです。 また二次生成物や溶食地形だけでなく,壁面や天井の岩,床の粘土や砂の堆積物にも,できるだけ触れないようにしてください。このようななにげない場所にも、洞窟が形成されてきた長い歴史や地表の環境変遷を解読する証拠が残されているのです。洞窟の中を自然のままにしておくことを心掛けてください。

その7) 人為的な造形物を作る

泥筍や砂筍、マッドカップの見事なものを見ると、創作意欲をかき立てられマネしたくなる気持ちは分かりますが、そこをグッとこらえて下さい。中には埴輪人形を作って展示していく、脳天気な迷惑者もいるようです。

 平尾台全体は北九州国定公園・筑豊県立自然公園・天然記念物などに指定され、自然公園法・文化財保護法で厳しく規制されています。
<自然公園法>
・工作物を作る
・木・竹の伐採
・鉱物・土石を掘ったり採取すること
・水位を変える
・汚水や排水の排出
・看板設置・広告表示
・水面埋め立て・干拓
・開墾・土地形状の変更
・一切の植物採取・損傷、落葉・落枝採取
・施設の色変更
・道路以外での車・馬・動力船の使用
・屋外での物集積
・火入れ・たき火
・木竹の損傷
・木竹の植栽
・家畜・動物の放牧
・動物捕獲・損傷、卵採取・損傷

<軽犯罪法>
・ゴミ、汚物、廃物を捨てたり放置すること
・悪臭発散・拡声器・ラジオによる騒音発生
・展望所・休憩所の占拠
・用便
・嫌悪感を起こさせる客引き
・その他利用者に迷惑を掛ける行為

<文化財保護法>
・石灰岩の掘削・採取
・地形改変
・上記景観などに影響を及ぼす行為

 このさまざまなルールの中で、ケイバーが犯しやすい違反は、キャンプです。キャンプには火気の使用、草木などを損傷したり広場の占拠、車の乗り入れ、他の公園利用者への迷惑行為などに問題があり、基本的に国定公園の特別保護地区ではキャンプは出来ません。可能な所は特別保護地区から外れている、牡鹿洞の駐車場だけです(将来的には北九州市が県道の西側に平尾台自然の郷の一部に整備中です)。
 なお平尾台公民館は、一般でも宿泊に利用することができます。有料ですが、炊事場も付いており、天候面から考えると一番安心でお勧めです。但し事前の申し込みが必要(電話:093−452−2604)。
 平尾台は多くの住民の生活の場です。夜間に花火をしたり、カラオケや嬌声をあげて騒いだり、カーステレオをならしたり車で走ったり、乱暴なドアの開け閉めなどで、迷惑が掛からないようにおねがいします。 
 また新しい洞窟探査などのために、入口を拡げたり、水の流れを変更することは禁止されています。当然石灰岩や二次生成物を採取することも厳く禁止されています。

入洞の届出について
 平尾台の洞窟に入る場合、出来るだけ平尾台自然観察センターに事前に届出をお願いします。定型様式はありませんが、以下の項目を明記して下さい。
・名称など(代表者氏名、年齢、性別、住所、同電話番号、留守連絡先住所、同電話番号)
・メンバー全員の(氏名・年齢・性別・住所・留守連絡先、同電話番号)
・行動計画(入洞洞窟名、支洞名、位置、日付、時間、装備)
・連絡関係先(警察・消防・その他)
 平尾台での活動が終わったら、必ずセンターに帰還の報告をお願いします。長期に渡る場合は、中間で報告を頂いた方が良いと思います。

 入洞の届出があったもので、予定を過ぎて帰還の報告が無い場合、ボランティア、消防、地元ケイビングクラブに依頼して捜索することになります。なお平尾台では携帯電話は使用圏外なので、緊急の連絡は日中であれば目白洞管理事務所、千佛洞管理事務所、前田商店に公衆電話があります(夜間は前田商店のみ)。

 さて、事故が起こった場合、その旨を洞窟管理事務所か自然観察センター、もしくは巡視パトロールに連絡してください。地域ケイバー・ボランティア・消防・警察へ連絡します。夜間の場合は、届出の際にお渡しする連絡網を参考にして下さい。北九州市消防局のレスキュー隊は、雷神洞での救助事例、目白洞などへの入洞経験があります。また自衛隊芦屋航空隊は目白洞や広谷で毎年訓練を行っています。

 平尾台の代表的な鍾乳洞は、入口の部分が観光化されています。目白・千佛・牡鹿洞は、必ず管理者に入洞の許可を得て下さい。特に目白洞は、概ね4時間の所要時間がかかるので、朝早い時間から行動すると良いでしょう。
 出洞が遅くなると管理人さんに迷惑を掛けます。
 一般の観光客は、ケイバーの全身泥だらけ、ずぶぬれの異様な姿を見ると驚きます。観光洞内で出会ったりすれ違うとき、衣服を汚したり、驚かせたりしないよう注意して下さい。

 一般の方はもちろんケイバーにも、入洞を自粛していただきたい箇所が3つあります。
 その一つは青龍窟のナウマン支洞。 ここは化石などの調査がまだ終わっていないため、苅田町で関係者以外の立ち入りを禁止しています。
 二つ目は、水源地の穴。 ここは地域の水源となっているので、汚染しないよう一切入洞禁止です。
 三つ目は、芳ヶ谷第三洞です。 ここは特別に保護が必要な箇所です。入洞は自粛してください。

 初めて平尾台にケイビングに来られる場合、平尾台自然観察センターに事前に連絡して、ご相談下さい(担当:久下 kuge@hiraodai.co.jp)。
 平尾台をフィールドとする「カマネコ探検隊」など、ケイビングのベテランの方々や地域とのネットワークもありますので、必要に応じてご紹介いたします。

 またこれはお願いですが、平尾台の地質・カルスト・洞窟などについて、資料をお持ちの方は、福岡県平尾台自然観察センターへの資料提供をお願いします。既に地域の洞窟研究家の方々から貴重な文献などを頂いて展示しています。センターは公園利用者・ボランティア・研究者などの交流の場になっています。親睦や情報交換の場として、お気軽にご利用下さい。

 ケイバーの皆さんの平尾台でのいろいろな発見と感動、訪れる人々との出会いがもらたす、ケイビングライフの充実を願っています。

【連絡先等】
福岡県平尾台自然観察センター
〒803−018659 福岡県北九州市小倉南区新道寺3092−2
電話番号:093−453−3737 FAX:093−452−3739
URL:http://www.hiraodai.co.jp
E-mail:info@hiraodai.co.jp

文責:自然観察指導員 久下洋一(くげ よういち)




岩泉町・瓢箪穴遺跡もねつ造(2001/10/6 毎日新聞より入手)
◆「発掘石器1点だけ」報告書届く
 旧石器発掘ねつ造問題で調査をしている日本考古学協会の「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」から、1点だけ「ねつ造」があったとする報告書が5日、県教委と地元の岩泉町教委に届いた。「1点だけ」という報告に「瓢箪穴の価値は変わらない」と訴える専門家もいれば、「(ねつ造が)1点でもあれば(学会からは)全部クロと思われ、おしまいだ」と嘆く人、「ほかはどうなのか」と不安がる人とさまざま。報告書の中でねつ造に関する部分はたった一文だけで、詳細が明らかにされていないのも不安を助長している。関係者は「詳しい報告書を早く出してほしい」と事実関係を明らかにするよう、一様に訴えた。
 報告書によると、東北旧石器文化研究所の藤村新一・前副理事長(51)がねつ造を認めたのは、98年の第4次調査でA区の18層から発掘されたとされる「両面加工の小形尖頭器」1点。そのほかに関しては「やっていない」と話しているという。
 瓢箪穴遺跡発掘調査は旧人骨化石の発見を目指し、95年から東北旧石器文化研究所と、東北福祉大学考古学研究会が合同で始めた。第1次調査(95年)で中期旧石器時代(4、5万年前)の象徴とされる斜軸尖頭器やクマの歯などが見つかり、「日本最古の洞穴遺跡」と発表。第5次調査(99年)では、10万年前の地層から石器11点とクマなどの骨を発掘し、「食料の残りと道具が共伴した国内最古の事例」と発表している。
 県教委生涯学習文化課の小田野哲憲・文化財保護監は「石灰岩層なのに石灰岩がついていない石器もあり、もしかしたらという若干の疑問はあった。そうでなくてほしいと思っていたが……」と肩を落とした。
 小原公平・教育次長は「(調査委員会から来た)文書だけでは分からないことが多すぎる。(聞き取り調査をした)戸沢委員長から直接聞かないと何とも言えない。早く詳しい報告書を出してほしい」と戸惑いの表情を浮かべながら、事実関係の早期公表を求めた。
 日本考古学協会は6、7日に盛岡市盛岡駅西通の市民文化ホールマリオスで盛岡大会を開く。不確実な情報から自治体に不安が広がっていることなどを受け、特別委員会は7日午後4時半から行われる報告の中で、一定の事実内容の公表を行う。

◆「価値は変わらない」−専門家
 「瓢箪穴は、まとも」。前副理事長は00年11月4日、毎日新聞社の取材に、こう答えていた。
 瓢箪穴遺跡の時代ごとの評価をめぐっては、学者の間でも意見が分かれている。
 主に地質面から研究してきた菊池強一・西和賀高校長は、石器についた「石灰華」などの付着具合から、遺構の第8層以下で出土した石器を、「不自然で説明が困難」と疑問を呈してきた。
 01年1月に東京都で行われた「前期旧石器問題を考えるシンポジウム」では、最奥部「F区」に関して、ある研究者が「非常に閉ざされた空間の一番隅の部分から、石器がなぜかまとまって出てくる。手前の広い部分からは少ししか出てこない。不自然な話です」と疑問を投げ掛けていた。
 小田野哲憲・県文化財保護監は「「瓢箪穴」が日本最古の洞穴遺跡とされる理由は斜軸尖頭器の発見にある。仮にねつ造が、今回報告のあった1点だけだとしたら、瓢箪穴の価値は変わらない」と話している。
 第1次調査からかかわっている盛岡大学の熊谷常正教授は「昭和30〜40年代の調査は遺物の年代が合致している。彼がねつ造にかかわったことが分かった時点で(瓢箪穴の)旧石器時代の部分の見直しは必要だった。今でもすごい遺跡であることは間違いないと思うし、これで全部の可能性がなくなったとは考えたくない」と話した。

◆「信頼していたのに」−−ショック隠せない地元
 瓢箪穴遺跡のねつ造発覚で、岩泉町教委の木村康・社会教育課長は「裏切られた気分で、ねつ造が4次調査だけなのか不安は残る。調査研究特別委員会の結果を待ちたい」と述べ、実態が解明されるまで調査支援を見送るという従来の方針を強調した。同町ではほぼ毎年、調査団が訪れるたびに広報で見開きの特集記事を組んでおり、関係者の中には「信頼していたのに……。人間不信になった」とショックを隠せない人も。
 また調査中に前副理事長が宿泊した旅館の女性職員は「いい印象を持っていただけに、残念」と話した。

◆瓢箪穴遺跡とは
 瓢箪穴遺跡は、岩泉町中心部から東の下岩泉地区の山の斜面からのぞく安家石灰岩質の土壌で、古くから土器や獣骨片などが出土することで地元で知られた。
 本格的な調査は、慶応大学の江坂輝弥教授(当時)が60年代に数回、その後、岩泉高校教諭だった菊池強一氏(現西和賀高校長)が同高の郷土研究部とともに、縄文・弥生期までを確認し、一度調査は終了した。
 東北旧石器文化研究所は、中期旧石器時代(13万年〜4万年前)では、日本では珍しくアルカリ質の土壌で、骨が残っている可能性がある点に着目。東北福祉大学と合同で、旧人の人骨を求めて95年から調査を開始。調査は00年まで6次に及んだ。
 98年の第4次調査では、新たに見つかった最奥部の「F区」で調査が本格的に始まった。1〜2人がやっと入れるスペースから斜軸尖頭器などが見つかっている。
 前副理事長が石器のねつ造の告白したF区の手前の「A区18層」の調査も進み、使用可能な石器9点がまとまって見つかっている。しかし、生活の跡を示すものは出ておらず、前副理事長はA区18層を「ベースキャンプ的に使われたのでは」と話していた。
 調査は毎年、ゴールデンウィーク期間中に行われ、現地説明会は大勢の小中学生らを招いて行われた。宮城県の上高森遺跡で、前副理事長によるねつ造が発覚した00年11月以降、発掘調査はストップしている。




「青岩鍾乳洞」入洞規制(2001/10/3 入手)
 山梨県北都留郡丹波山村の管理洞「青岩鍾乳洞」が、9月10日より入洞規制が行われている。
 理由は、同日関東地方を襲った台風15号の影響により、アプローチ道に架かる橋が崩壊したため。今のところ復旧の見込みは立っていない。

※2003年に開洞。




2002年のケイフェスは秋吉台に(2001/8/13 入手)
 日本洞窟学会・第28回大会は、秋吉台で開かれることが「ケイブフェスティバル2001in岩泉」閉会式にて発表された。
 秋吉台での大会開催は、1978年第1回大会、1990年第12回大会・秋吉台ケイブフェスティバル1989、1996年第19回大会・’96ケイブミーティング秋吉、1999年第24回大会・秋吉台大会in1999に続いて5回目。




葛生原人は室町人と断定(2001/7/10 毎日新聞・朝日新聞より入手)
 栃木県阿蘇郡葛生町で見つかり、旧石器時代人の骨とされてきた「葛生原人」の骨が、15世紀ごろの骨であることが、お茶の水大学の松浦秀治助教授(人類学)らによる年代測定で判明した。これまでにも研究者から「原人ではない」との指摘があったが、室町時代人の骨として最終的な決着がついた。14日に京都市で開かれる日本人類学会で発表される。
 骨は「明石原人」の発見者でもある人類学者の故・直良信夫氏が発見、「葛生原人」と名付けた。しかし、原人の骨としては疑問の声もあり、現存する8点の骨について国立歴史民俗博物館と国立科学博物館が数年前から分析を進めてきた。
 その結果、4点はトラ、クマ、大きな鳥類、ニホンザルの骨と判明。人骨と見られる4点のうち、2点を松浦助教授が放射性炭素年代測定法などで鑑定したところ、15世紀ごろのヒトの前腕骨と大腿骨であることが分かった。旧石器時代人とされる骨は全国十数カ所で見つかっているが、大分県「聖嶽洞穴」で見つかった人骨が先月には後世のものと判明している。
 栃木県葛生町はこれまで「葛生原人」の骨の出土跡に案内板を設置したり、骨のレプリカを町文化センターに展示したりして、町おこしを進めてきた。永島耕作・町経済課長(54)は「これまでも原人のものでないとの指摘があり、今回の調査結果には驚いていない。骨が原人のものかどうかにかかわらず、8月の恒例イベント葛生原人祭りなどは、これまで通りに続けていきたい」と話している。

※葛生原人(くずうげんじん)=1950〜51年、葛生町内の採石場や洞穴などから発見された大腿骨や顎の骨が「約50万年前の原人の骨」と鑑定された。国内で数少ない旧石器時代の人骨として注目されたが、その後、オーストラリア国立大の博士が一部は人骨ではなく、年代も10万年以後と推定するなど、異論が出ていた。




「嵩山の蛇穴」高校生が落書き消し作業(2001/7/8 中日新聞より入手)
 愛知県豊橋市嵩山(すせ)町にある国史跡で縄文時代早期の住居跡「嵩山の蛇穴(じゃあな)」の洞口に、スプレー塗料によるとみられる落書きが見つかった問題で、落書きを知った豊田市の私立杜若高校自然研究部の生徒12人と顧問の先生3人が7日、「嵩山の蛇穴」を訪れ、落書きを消す作業をした。
 「嵩山の蛇穴」は石灰洞で、高さ1.3m、幅3.5mの洞口から奥行き約70mの穴が広がる。
 落書きは約10日前に見つかり、洞口に縦約1m、横約2mにわたり、青と黄色で文字のようなものが書かれていた。すぐに豊橋市美術博物館の職員が洗剤と混合溶剤を使って消す作業をしたが、表面がでこぼこしていることもあり、塗料が薄くなった程度だった。
 探検や山登り、山菜採りなどの活動をしている同校自然研究部は、洞穴探検の練習のため「嵩山の蛇穴」をを年1回訪れている。新聞報道でこの問題を知り、作業を豊橋市に申し入れた。
 この日、顔にゴーグルを付けた生徒らが交代で落書き個所に混合溶剤を塗り、ブラシや雑きんで一生懸命こすると、約2時間後に8割方消えた。洞内の空き缶や菓子袋などのごみも拾った。
 同部部長で豊橋市内に住む中林厚君(3年)は「蛇穴は昔から知っている好きな場所。落書きは許せないが、今日の作業で少しは役に立てたと思う」と満足そう。作業に立ち会った市美術博物館の職員は「生徒たちの気持ちがうれしい。こういう生徒が増えれば落書きも減るのでは」と目を細めていた。




「嵩山の蛇穴」に落書き!相次ぐ国史跡被害(2001/6/28 中日新聞より入手)
 愛知県豊橋市嵩山(すせ)町にあり、国史跡に指定されている縄文時代早期の住居跡「嵩山の蛇穴(じゃあな)」の洞口に、スプレー塗料によるとみられる落書きが見つかった。一週間ほど前には同市瓜郷町にある国史跡・瓜郷遺跡内の復元竪穴住居が全焼したばかり。相次ぐ国史跡の被害に、管理を担当する市教育委員会は頭を抱えている。
 蛇穴は、石灰岩の洞穴で、洞口付近の堆積土から、押し型文土器や石器、骨角器が発見されている。昔、大蛇が住んでいたとか、穴が長野県善光寺までつながっているとかという伝説があり、神秘性にひかれて、訪れる観光客も多いという。
 蛇穴の洞口は高さ1.3m、幅3.5m。穴の長さは約70mあるという。落書きは、横約2m、縦約1mにわたり、青と黄色で文字のようなものが書かれていた。落書きは10年以上前に一度あったが、それ以降はなかったという。
市の委嘱を受けて管理している地元の坂本彦男さん(89)は「地元で大切にしているものにまで書かれるとは」とがっかりしている。蛇穴から約100m離れた公衆トイレにもスプレー塗料による落書きがあり、坂本さんは「消しても消しても書かれる」とため息をついた。市教委は28日、水洗いしてみるという。




青木ヶ原樹海で熊に襲われる(2001/6/22 富士山火山洞窟学研究会HPより入手)
【緊急ニュース】ケイバー&大学探険部の皆さんへ

 6/2(土)の青木が原地区の調査で「就寝中に熊に襲われ亡くなられた方の遺骸」を発見しました。
 樹海の中はキャンプは禁止されていますが、遵守されているか疑問があります。
 危険な野生動物がいることを肝に銘じて、安易なキャンプを慎むようにお願いします。
 「樹海内でのキャンプは自殺行為」です!

※富士山火山洞窟学研究会ホームページより転記




J.E.Tが三重で大洞窟を発見(2001/1/5 J.E.THPより入手)
 
21世紀のはじめに三重県にて竪横複合洞窟「霧穴」を発見しました。高低差は、測量をおこなっておりませんが、100mを越える模様です。また、幅・高さ、数10メートル、長さ100メートルを超えるホールの存在も確認されてい るようです(数値は未確認です)。大きな支洞が多くまだほとんだ調査・探検すらしてお りません。測量には数年がかかると思われます。 現在は、とても多くのこうもりが冬眠中のため活動を停止しておりますが、今後数年間 はこの洞窟の探検と測量をおこなっていきます。尚、トラブル防止のためこの洞窟名「霧穴」のみ公表して、所在地は公表しません。報告は、J.E.TホームページとJ.E.T発行のメ ルマガ「EJJ」てお知らせしていきます。

※J.E.Tホームページより転記


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