葛生石灰岩地域は1970年代に津田塾大学探検部、1980年代に洞窟学研究会とコンサルタント会社(明治大学地底研究部が協力)、1990年代に亀戸ケイビングクラブ、2000年代に横濱ケイビングクラブによる調査が行われているが、洞窟位置図が間違っていたり曖昧だったり、洞窟内外の様子が変わってしまっていたりする。これまでの各報告書を統合し、最新情報に更新した地域調査報告書の発行を目的として活動を行うことにした。
11日6:00、細野が千葉宅に到着。まだ暗闇のなか、細野車(JB74Wジムニー)に装備を積み込んで出発。
6:15、ローソン 国立インター店で朝食を購入。そのまま中央自動車道・国立府中ICから首都高速自動車道、東北自動車道と進む。会話は同学年の息子たちの高校受験。
7:55、北関東自動車道・出流原スマートICで降りる。
8:00、磯山弁財天に到着。
まずは山門付近にある1890(明治23)年発売「下野國安蘇郡出流原磯山辨財天眞景全圖」を見学。「磯山弁財天の穴」は岩穴と記載されている。いつか入手したい絵である。
まだ参拝者がいない階段を登って本殿に到着。お賽銭を入れてから、裏手に回って「磯山弁財天の穴」を見学。許可を取っていないので入洞はできないが、洞口から見る限りは割れ目洞である。
続いて、「横の穴」を探す。それは「磯山弁財天の穴」から左に3m、上に2mに開口していた。こちらも溶食洞ではなく、崩壊気味の割れ目洞といった感じである。確かに「横の穴」ではあるが、名称はもう少し何とかならなかったものか。
更に続いて、「弁財天横の小穴」を探す。本殿から見える露頭に行ってみると、難なく発見。こちらも崩壊気味の割れ目洞といった感じであった。
8:30、本殿に戻ると充電式ブロワーを持った女性に声をかけられる。明らかに怪しんでいる様子。趣旨を伝えると、このS島さんから次のことを教えていただいた。
・磯山弁財天には3つの風穴(ふうけつ)がある。山門付近にある風穴洞(入洞不可能な割れ目、石碑あり)、本殿裏の風穴(磯山弁財天の穴)、出流原弁天池へと続く磯山三峰神社登山道の途中にある風穴。
・1978年頃、「磯山弁財天の穴」に金精様(男根像)を設置。おそらく洞窟を女陰と見立てた。公式ではないようだが、子宝祈願するものもいる。
・管理はホテル一乃館内にある佐野市磯山弁財天観光協会。
・情報源のS島さんは毎朝掃除をしている。
お礼を言ってから、登山道の途中にあるという第3の風穴に向かうことにする。
8:50、第3の風穴に到着。コンクリート製の柵が設置されており、崩落気味の崖のようである。
近寄って内部を観察してみるとやはり崩落帯で、その隙間に暗部が無いことはないが洞窟とは呼べないものであった。
気を取り直して「磯山山頂の穴」へ向かう。
9:15、石碑、石祠2宇、東屋があるところに到着。
石碑によると磯山根本山神社があったらしく、傍らには社であったであろう木材がある。
また、石祠は左が1921(大正10)年建立の三峰神社(庇には三峰山神社)、右が1822(文政5)年建立の雷電神社で、共に錆びたプレートがかかっている。三峰神社内には真新しいお札が入っており、信仰が続いているのがわかる。
9:25、磯山の山頂に到着。手分けして「磯山山頂の穴」を探すも、南側は鉱山跡で崖、報告書プロット図にある位置には石灰岩が見当たらない。
30分間探したところで、もしかしたら第3の風穴のことではないかと思い始め、再確認するため戻ることにする。
10:00、石碑、石祠2宇、東屋があるところに戻ってくる。
傍らにある石灰岩露頭を確認していると、細野が「磯山山頂の穴」を発見。山頂に無いじゃん。。。。。
GPS座標を取り、洞口付近をのぞき込んで終了。下山。
10:30、出流原弁天池に到着。
池畔にある涌釜神社(わっかまじんじゃ)に参拝。千葉は福寿荘売店にて、弁天池を眺めながら佐野名物いもモフライ(200円)を食す。
11:05、磯山弁財天を出発。
11:15、白岩町の宇都宮神社に到着。
お賽銭を入れてから境内を散策、扁額には白岩大明神とある。
この裏山に「白岩不動の穴(白岩神社の穴)」などの洞窟があるはずだが、取りあえず隣接するKG家へご挨拶に伺う。すると、山の所有者はお隣さんではないかとのお答え。また、この神社は白岩神社とは呼ばないが、宇都宮神社は近隣に複数あるため(作原町、御神楽町、下彦間町)、白岩宇都宮神社と呼ぶことはあるとのことであった。
お隣のKМ家へご挨拶。すると、山の所有者はお隣さんではないかとのお答えであった。要するによくわからないらしい。趣旨を伝えると、薬師様の裏手に洞窟があるとのこと。アプローチ道を教えていただく。
11:30、やや荒れ果ててはいるが参道は自然石の石段が整備されており、入り口には江戸時代の石仏類7基がある。「歴史あるんだからたまに掃き掃除でもすればいいのにねぇ」などと言いながら登る。
5分ほどでお堂に到着。特に何も書かれていない(後に医師(くすし)神社と判明)。お堂は石灰岩壁の前にあり、これが白岩という地名の由来らしい。
この岸壁基部にある「白岩不動の穴(白岩神社の穴)」を確認。GPS座標を取り、洞口付近をのぞき込んで終了。お堂に祀られているのは薬師如来と目眼大明神であり、不動明王はではないので、洞窟名は別名も含めて間違っているということであろう。
続いて「白岩神社の洞口穴」「白岩神社横の穴」を確認。後者の測量図は斜洞のように表現されているが段差であった。
これらの3洞はすべて報告書プロット図とは違っていたことが判明したところで下山。
12:30、KМ家へ戻ってヒアリング。
「白岩不動の穴」は宇都宮神社が管理しており、2022年頃までは参拝されていたが、地域住民の老齢化で自然放棄されたとのこと。それまでは定期的に清掃していたらしい。
「白岩神社横の穴」は葛生までつながっている、「白岩神社の洞口穴」よりもっと南東に竪穴があるという情報も頂いた。
お礼を述べ、昼食先へ向かう。
13:00、手打ラーメン 竹ノ屋に到着。ここは佐野市葛生大会巡検プレ(地R元第410回CAVING)以来、何度も前を通っているものの、なかなかタイミングが合わずに訪れることができなかった店である。
チャーシューメン(1000円)と餃子3ヶ(300円)を注文。ほんのり生姜が香るスープが美味しい。接客も感じよい。
入店直後に売り切れとなったようで(今日は混んでいたとのこと)、何組も残念そうに帰っていく。また来たい佐野ラーメンであった。
13:30、午後の活動開始。
13:45、丸嶽山神社に到着。
報告書プロット図にわると「タカノス沢の穴(丸岳洞窟)」はこの先にあるということで、林道をジムニーで行けるところまで行ってみる。細野はプチオフロード走行にご満悦。程なくして道幅が狭くなり、そこからは徒歩で探索を開始する。
プロット図は左岸側であったが、石灰岩露岩が見当たらない。少し戻り、右岸側の探索を一応始めたところ露岩を確認。二手に分かれて露頭をくまなく探すも洞窟は確認できず。
すると上方で獣の気配がしたため、クマではないかと緊張が走る。それでも千葉は情報の露岩を確認しに行くが、細野が近づくことはなかった。
諦めて撤収。
14:30、千葉が丸嶽山神社付近で畑仕事をしている女性を発見。趣旨を伝えると、もっと下流のほうであった。またもや洞窟プロット図が違っていた。。。
14:50、「タカノス沢の穴」を確認。GPS座標を取り、ささっと洞内を確認して終了。
別ルートから帰ると、こちらからほうが分かりやすい。丸嶽山神社付近で女性にお礼を言い、世間話をしてから出発。
15:25、舟澤山正明寺に到着。
この寺はかつて北西方向にあり、境内には「船ヶ沢観音洞(葛生觀音窟)」あったが、採掘によって洞窟は消滅、寺はこの地に移動してきたようである。
ヒアリングができないものかと訪れてみたが、まったく人の気配がしない。そのまま鉱山方面へ進み、安蘇澤神社まで行ってみたものの人はおらず。
寒くなってきたため、またの機会とすることにする。
15:45、「山菅・前河原洞窟(葛生人骨出土跡)」に到着。
細野は訪れたことがないということで見学するが、近づくことはできないため、今は洞窟と呼べる状態なのかはわからない。
活動終了、速やかに佐野市内へ移動する。
16:00、道の駅 どまんなかたぬまにてお土産を物色。
16:40、ラーメン太七に到着。本日2杯目の佐野ラーメンということで、変わり種を選択。
看板メニューの青ねぎラーメン醤油(980円)と黒から揚げ2ヶ(300円)を注文。見た目のインパクトは大であるが、超すっきりスープでネギの辛みしか感じられなかった。
17:20、移動開始。東北自動車道・佐野藤岡ICより南下する。
18:00、Pasar蓮田にてお土産を物色。
20:00、首都高速自動車道、中央自動車道・国立府中IC経由で千葉宅に到着。解散。
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| 磯山辨財天眞景全圖の岩穴 |
照明付き「磯山弁財天の穴」 |
「横の穴」 |
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| 「弁財天横の小穴」 |
山頂にない「磯山山頂の穴」 |
「白岩不動の穴(白岩神社の穴)」 |
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| 「白岩神社の洞口穴」 |
葛生まで続く「白岩神社横の穴」 |
「タカノス沢の穴(丸岳洞窟)」 |
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| 佐野名物いもフライ |
9回目となる佐野ラーメン |
10回目となる佐野ラーメン |
現地での協力により目的とした洞窟は確認できたが、白岩町地区では「白岩洞」の跡地、「白岩金毘羅の穴」、もうひとつの「白岩神社の穴」、ヒアリングで得た竪穴、の確認という課題が残っている。ヤマビルが出ないうちにまた行かねばならない。(文責 千葉伸幸) |