タイトル 地底旅団ROVER元老院第3回CAVING
サブタイトル 地底への誘い at 奥多摩町・倉沢鍾乳洞
分 類 観光・ファンケイビング
入洞洞窟 倉沢鍾乳洞、大増鍾乳洞(大沢鍾乳洞)
日 程 1998年4月19日(日)
参加者 千葉、雨宮、村野、小塚、小園、細野、黒田、朝倉、葛西真弓(ガールスカウト東京28団) 以上9名
倉沢鍾乳洞・馬の背
確保をとって「馬の背」を降りる
倉沢鍾乳洞・下層部入口
下層部入口でお別れの撮影
倉沢鍾乳洞・水晶池
「水晶池」は冷たすぎて・・・
ストロー(鍾乳管)を見たことがないということであったため、「倉沢鍾乳洞」の前に観光洞「大増鍾乳洞」の見学をすることにした。


9:30、「大増鍾乳洞」到着。案内人に続いて総延長40mの洞内を見学する。とても40mもあるようには思えない。
白色のストローやベーコンなど見応えがあるものであったが、金網越しであるということが悔やまれる。
写真は二次生成物に悪影響を及ぼすから撮ってはいけないという。

10:30、倉沢谷へ移動。バーベキュー後に入洞準備をする。

13:00、2班に分かれて入洞開始する。
下層部班(千葉・小塚・細野)は、岸壁中腹の洞口を確認した後、段差「馬の背」を降りて、さらに下層にある「奧の院」を目指す。「奧の院」へは「水晶池」を突破しなければならないと思い、水くぐりを試みるが、洞外と直結している池の水はウェットスーツなしでは冷たすぎて断念。震えながら戻る。
その他の者は、「ひょうたん池」などを見学してから「馬の背」に到着。村野・黒田・朝倉は降りて中層部ルートを探すが、見つからずに「馬の背」を再び登って戻ることになった。

14:30、「馬の背」を降りなかった雨宮・小園・葛西嬢が出洞。

15:00、その他の者も出洞した。


この日が「倉沢鍾乳洞」閉鎖前の最後の入洞となってしまった。千葉にとっては「小袖鍾乳洞」とともにケイビングを覚えた洞穴であり、この閉鎖は非常に残念である。
しかし、その後の不法入洞が後を絶たないという。噂によれば金網は破られ、鉄柵は壊されているという。日本洞窟学会々員が動いているので、許可申請洞として再び開かれるのを待つべきであろう。(文責 千葉伸幸)

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