タイトル 地底旅団ROVER元老院第241回CAVING
サブタイトル ファンケイビング at 丹波山村・小袖鍾乳洞
分 類 合同・ファンケイビング
入洞洞穴 小袖鍾乳洞第2洞
日 程 2010年1月31日(日)
参加者 佐野、石黒秀昌、後藤聡、後藤晃一、小林日、中込幸子、安東浩正、木崎裕久(以上、東京スペレオクラブ)、後藤貴時(無所属) 以上9名
小袖沢鍾乳洞第1洞・洞口前 「小袖鍾乳洞」は12洞15洞口で構成される洞穴群である。1990年代に洞内事故が相次いで発生、関係者に多大なる迷惑をかけて1996年から閉鎖されていたが、2007年1月、約10年ぶりに入洞が許可された。その時の地R元による調査活動では、洞内に過去の入洞者が残していったゴミの散乱が目立つ反面、コキクガシラコウモリ、キクガシラコウモリ、モモジロコウモリ及びウサギコウモリなど様々なコウモリが生息していることが確認された。
今回は、東京スペレオクラブ主催のファンケイビングに地R元から佐野が参加してた(佐野は今回が小袖鍾乳洞初入洞)。
なお、前日には東京スペレオクラブの新年会が氷川キャンプ場で開かれた。そこにもお邪魔させていただいたので、以下で新年会の様子も報告する。


30日18:30、氷川キャンプ場に到着。この時間にはまだ数名しか集まっていなかったので、木崎氏とともに宴会用のつまみの調理をする。木崎氏が持参した大量の精肉製品に火を通していく。なかなか人が集まらないので、どんどんつまみ食いをしてしまった。チーズ入りのステーキがおいしい。

20:00、人数が集まったところで、新年会開始。大量の精肉製品をつまみに、「世界のビール」を飲み比べる。東京スペレオクラブの方々とはすでに何度か面識があるが、今回は初めて安藤氏とお会いした。安藤氏は2004年の植村直己冒険賞を受賞している方で、いろいろと興味深い話が聞けた。

25:00、就寝。
31日8:00、朝食を食べたあと、数台の車に分かれて小袖集落に向かう。その間に石黒氏らは管理者である山梨県丹波山村役場に挨拶に行く。

12:00、石黒氏らと小袖集落で合流後、準備が整ったところでいよいよ入洞を開始。第2洞から入る。第2洞の洞口は、地面から4mぐらい上がった岩壁に口を開けている。アプローチには十分なホールド、スタンスがあるが、落ちたときのことを考えるとやはり怖い。セカンド以降はロープの補助を使って上がることにした。
今回はルートファインディングの練習をしようということで、測量図なしで第2洞から第4洞に抜ける計画であった。初入洞の石黒氏と佐野が中心となって、主洞部の通路を進んでいく。「ちょうちん穴」のような一貫して洞幅の狭い洞窟だと想像していたが、小ぶりのホールがあったり、天井が高い部分があったりと、想像よりも広い洞窟であった。
今回は後藤(聡)氏のお子さんの貴時君(5歳)も入洞した。さすが、後藤(聡)氏の子どもで真っ暗な洞内でも怖がる様子を見せない。しかも、今回が初ケイビングではないそうだ。貴時君のケイバーとしての将来が楽しみである。
第2洞の第4洞との接続部は上層にあるということで、上への通路をしらみつぶしに上がってみる。しかし、接続部はなかなか見つからない。時間もあまりないため、入洞経験者の記憶を頼りに進むが、結局第4洞との接続部は見つからず、ここでタイムオ−バー。来た道を戻っていく。

15:00、出洞。奥多摩町へ移動して「もえぎの湯」にて入泉。一部の人は現地解散、残ったメンバーで東京へ向かう。

19:30、青梅市内の「かっぱ寿司」にて夕食。

20:30、解散。


今回も洞内の清掃を行なったが、大量のスズランテープのほかに、今回は長さ40メートルほどの10ミリロープを発見・回収した。ロープはきれいに束ねて放置されていたが、過去の入洞者が持ち帰り忘れたのだろうか。一箇所ロープの芯が見えてはいたが、それほど汚れてはいなかったし、あまり古いものには見えなかったが・・・。
「小袖鍾乳洞」は2007年以降、地R元と東京スペレオクラブが度重なる洞内清掃を行なっているが、まだまだ先人が洞内に残したゴミはなくならないようだ。(文責 佐野洋輔)

「活動報告」に戻る
 次の「個別活動報告」へ進む TOPへ戻る

2010 Copyright(C) 地底旅団ROVER元老院
cavers_rover_in_tokyo@yahoo.co.jp