タイトル | 地底旅団ROVER元老院第126回CAVING | ||||||
サブタイトル | 奥多野かんな姫計劃・第20次神流町立処山洞穴調査 | ||||||
分 類 | 調査ケイビング | ||||||
入洞洞窟 | 立処8之字穴、抜け穴、目玉穴、ちゃんから穴 | ||||||
日 程 | 2004年4月24日(土)〜25日(日) | ||||||
参加者 | 千葉、酒井、黒田、中野、鍵屋民地(無所属) 以上5名 | ||||||
「奥多野かんな姫計劃」の一環として企画された。 立処山は1980年に「明治大学地底研究部」によって洞穴探査及び測量がなされているが、地主の話によると未報告の洞穴が多数あるようなので洞穴探査・測量を行うこととし、大部分の測量は終了した。 今回は「立処山南腹の穴」確認及び測量と写真撮影(抜け穴・目玉穴・ちゃんから穴と洞内産出獣骨)を目的として企画された。また、臨時の撮影スタッフとして酒井の友人である鍵屋氏が参加した。 24日24:00、千葉組と酒井組がほぼ同時に「木古里」到着、簡単なブリーフィングを行う。 26:00(2:00)、就寝。 25日7:00、起床。朝食、準備。 8:30、活動開始。 9:30、「立処山南腹の穴」を探すうちに「立処8之字穴」に到着。結局、「立処山南腹の穴」は見つからなかった。気を取り直して、「立処8之字穴」の洞内を再度確認する。この洞穴は「奥多野かんな姫計劃」の比較的初期に測量されたもので、測図内の記載に間違いや不足点があったため測図をみながら補足・修正を行なった。 11:00、「抜け穴」到着。ここから測量班と写真班に分かれて活動する。 【測量班(千葉・黒田)】 地上測量の修正、写真撮影後、予定変更して神流町図書館で資料収集をすることにした。しかし、電話確認したところ日曜休館とのこと。 結局、烏頭沢での岩帯確認、明家確認、上野村資料購入、伝承収集などの雑用に終始した。 【写真班(酒井・中野・鍵屋)】 「抜け穴」での写真撮影を開始する。撮影ポイントは、@斜洞「忍びの坂」グアノの河A4本の石柱B竪穴部「落とし穴ホール」の3ポイントとした。 一眼レフカメラを使用し、マニュアル/フラッシュOFFモードで露出補正を変えながらストロボ2灯で撮影をおこなった。カメラ(ストロボ)酒井、モデル中野、ストロボ鍵屋の体制で行なった。撮りたい構図でカメラを構えられなかったり、光量がどのくらいになのか、慣れない作業で思ったよりも時間がかかる。しかも撮影していても実際に写っているのか非常に心配である。 そんな不安を抱きつつ3イントを終了、「目玉穴」に向かう。 14:30、「目玉穴」洞口前で休憩・昼食 15:00、「目玉穴」入洞。ここでの撮影ポイントは@洞口ホールA支洞奥の斜洞の2ポイントとした。ホールから複数の支洞が出ているという洞内の特徴が表現できそうな構図を探したが、この構図での撮影は不可能であった。 15:30、「ちゃんから穴」到着。上層の「ヘルメット斜洞」を撮影のポイントに決めていた。しかし鍵屋氏が初チムニー をはじめたところ、自他共に危険を感じたため写真撮影をあきらめる。 16:00、下山開始。すでに「木古里」でまったりしている測量班と合流した。 着替えを済ませてから、「木古里」に保管してある獣骨の撮影を行なう。ツキノワグマの脊椎・骨盤・頭蓋骨やコウモリの骨など撮影していると、ご主人である高橋さんが狸・猿・テン・ウサギと次から次へと獣骨を出してくれた。その場が獣骨動物園と化したところで全部を撮っているとキリがないことに気づき、撮影終了とした。 その後、「木古里」にて夕食をとり解散した。 今回は、洞内写真撮影の難しさをあらためて実感した。露出もさることながら、構図の取り方やカメラのセッティング、ストロボの当て方や光量など洞内写真はかなり奥が深い・・。やっぱり、たまに撮影会をしたほうがいいですね。 最後に、初ケイビングでひたすらストロボを発光させてくれた鍵屋氏に心より感謝いたします。(文責 中野ちえ)
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