1203年(鎌倉時代)、将軍源頼家が武人「仁田四郎(新田四郎)」に洞穴探検を命令、太刀を受け取り出かけた。すると、洞内で浅間大菩薩(=木花開耶姫)と遭遇、命からがら逃げ帰ったいう伝承がある。 また、甲斐の国に攻め込んだ徳川家康が、夜襲にあって惨敗、ほうほうの体で人穴に逃げ込んだ。そこにいた行者のおかげで一命をとりとめ、翌年、感謝の心をこめて、人穴村に無税の朱印状を手渡したという伝承がある。 また、「江ノ島の岩屋」に通じているという伝承もある。
洞口に立つ石像の一つが眼病を治してくれるといい、薬師さんに祈って洞穴内に入り、天井からしたたり落ちる水滴で目を洗うと治癒するという伝承がある。
昔ここに住む村人が、この洞窟に犬を入れたところ数日後に長野県の諏訪湖へ出たという伝承がある。
昔よりこの風穴に南北朝時代(14世紀)に武士が命乞いで入り、仮住まいしたという伝承がある。
諏訪湖まで通じているという伝承がある。
昔、農夫が草刈りに行った折、洞穴に入り神像(=石筍)に「霊力が顔のこぶを治して下さい」と祈願したところ、完治した夢を見た。翌朝目覚めてみると夢は正夢となっており、こぶは崩れて治ったという伝承がある。