江戸幕府の切支丹禁教令下、日本人バテレン・金鍔次兵衛は大胆にも馬丁になりすまし長崎奉行所に入り、夜は密かに各地の信者に伝道、洗礼を授けていた。次兵衛の行動は全て奉行所の知るところとなり、厳重な大探索網が敷かれることになる。彼は巧みにその手をかわし、身に危険が迫ると、その愛方なの鍔に刻んだ金の十字に何かを念じ、神出鬼没長崎・島原・天草と活動を続ける。「西彼杵半島に潜伏中」との密告を受け、長崎奉行は島原・大村・松浦・性の諸藩に動員をかけ、一大山狩りの包囲網が布かれる。次兵衛は此処鍾乳洞窟に身をひそめ、難を逃れたという伝承がある。
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