洞穴名
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龍泉洞(りゅうせんどう) |
別 名
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湧口・湧窟・龍泉窟 |
所在地
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岩手県下閉伊郡岩泉町 |
規 模
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総延長3101+m 高低差147+m |
伝 承
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誰かが「湧口」に行ったら箆(へら)やしゃもじが流れてきたという話で、それでたぶんその中を通っていくと部落があるのではという話があった。それで誰が犬を追い込んでやったら、その犬が八戸にある洞穴に出たという伝承がある。 |
備 考
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新旧洞口に「清水川神社」あり。観光洞。国指定天然記念物。 |
参考文献
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日本洞穴学研究所 (1988) : 日本洞穴学研究所報告 第6号 |
洞穴名
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安家洞(あっかどう) |
別 名
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底無し穴・祝井沢の穴 |
所在地
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岩手県下閉伊郡岩泉町 |
規 模
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総延長23702+m 高低差165+m |
伝 承
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八戸の洞穴へ通じているという伝承があった。 |
備 考
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観光洞。国指定天然記念物。総延長国内第1位。 |
参考文献
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日本洞穴学研究所 (1988) : 日本洞穴学研究所報告 第6号 |
洞穴名
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鬼人穴(きじんあな) |
別 名
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コウモリ穴 |
所在地
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岩手県下閉伊郡岩泉町 |
規 模
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総延長約220m 高低差?m |
伝 承
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鬼人が棲んでいたという伝承がある。 |
備 考
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「鬼」とは異風習人や里人以外の者(外人、山人、山窩、犯罪者、乞食、奴隷、非人、身体障害者、精神異常者など)のことを指す場合が多い。 |
参考文献
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日本ケイビング協会 (1986) : JAPAN CAVING 通巻第61−62号 |
洞穴名
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銭吹き穴(ぜにふきあな) |
所在地
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岩手県下閉伊郡岩泉町 |
規 模
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総延長79.9m 高低差4.5m |
伝 承
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江戸時代に贋金を鋳造していたという伝承がある。 |
備 考
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洞内からは鉄滓や密鋳銭枝銭が採集。遺跡洞。 |
参考文献
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日本洞穴学研究所 (1988) : 日本洞穴学研究所報告 第6号 |
洞穴名
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喜惣次穴(きそじあな) |
別 名
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尻高洞穴 |
所在地
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岩手県下閉伊郡岩泉町 |
規 模
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総延長342.3m 高低差42.5m |
伝 承
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喜惣次という人物が洞内で妾を囲っていたという伝承がある。 |
備 考
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遺跡洞。 |
参考文献
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日本洞穴学研究所 (1991) : 日本洞穴学研究所報告 第9号 |
洞穴名
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大穴(おおあな) |
所在地
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岩手県下閉伊郡岩泉町 |
規 模
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総延長1350m 高低差46m |
伝 承
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摂待村の嶽の奥山に岩穴があり、この岩穴に牢人の山伏が徘徊していた。その山伏の人相は悪く、力は数十人力で、寛永十七年(1460)頃からこの穴に棲んでいて、野田通から宮古通に通じる北街道に隠れていて通行人を殺害し、複数連れの旅人も殺害され、屍骸の山ができ、旅人は一人も助からない情況だった。野田通は大騒動になり、何者の仕業かと大勢で捜索したが、行方も知れなかった。寛永十九年(1642)に至って持待ガ嶽に俳桐していると拐待村から宮古の代官所に訴えがあった。
船越新左衝門が当番代官で、同役の小本助兵衝と相談して、船越新左衛門がこの山伏の捕手の大将となって、カの優れた者を100人召し連れて持待ガ嶽に押し寄せて、取り調べようとしたが居所がわからなかった。
それで100人ほどのものがいっせいに閑の声をあげたら、この声に驚いて山伏が穴から飛び出してきた。山伏の身の丈は六尺四五寸(192〜195cm)で、八角造りの一丈(3m)余りの樫の棒を振り回して大勢と渡り合い、散々に押し破り、踏み倒し、降る雨のように礫を撃ったので、30人ほども打ち殺された。新左衛門の息子まで打ち殺されてしまい、散々の体で宮古に帰った。この結果を盛岡の奉行所に報告したところ、不働きだということで知行三百石のうち百石を取り上げられてしまった。
少しして、この山伏を放置しておく事もできないので、今度は小本助兵衛が捕手の大将となって出かけた。黒田村の肝煎の蔵之助を始め都合百人ほど召し連れて押し寄せた。このときも打ち飛ばされ、ねじ殺された者が十四五人もいて、侮りがたい勢いであった。小本助兵衛は蔵之助にむかって「鬼神の様なものであるが今度取り逃がしては我らの身代に係わる、何とか討ち取って汝の手柄にしろ」と申し付けた。蔵之助は三尺余りの大太刀を抜き真一文字に打ってかかり、山伏も槍をとって渡り合い、互いに秘術を尽くして打ち合ったが、双方とも兵法が巧みで、勝負は着かず何時果てるとも知れなかった。山伏が茨に取り囲まれたところで、槍を投げてきたので、蔵之助は刀で受け止めたが建物を取り落としてしまい、すかさず飛び掛って組討となった。汲方とも大力の者なので、上になり下になりして組み合ううちに蔵之助が押し伏せられてしまった。蔵之助は心中に南無八幡と祈念して跳ね返し山伏を押さえ、大勢で取り掛かって手足に縄をかけて宮古に連行した。
その後、山伏は宮古から盛岡に移送され、礫になった。捕手のものにも褒美が下され、小本助兵衛・蔵之助にはそれぞれ数々の褒美が下され身に余る面目を施した。 |
備 考
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遺跡洞。 |
参考文献
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日本洞穴学研究所 (2008) : 日本洞穴学研究所報告 第26号 |
洞穴名
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子安観音洞第1洞(こやすかんのんどう) |
別 名
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マリア観音洞・子安観音穴 |
所在地
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岩手県一関市 |
規 模
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総延長21m 高低差?m |
伝 承
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洞内の小支洞に子安観音が祀られている。この観音像はその姿やこの地形から、江戸時代に隠れキリシタンとされた人々が、藩当局の追求をかわしつつ、密かに礼拝していたマリア像ではないかという伝承がある。 |
備 考
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遺跡洞。 |
参考文献
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現地案内板より |
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